現代アートとは、大変説明が難しい美術ジャンルである。現代美術、コンテンポラリーアートとも。
現代アート定義するのは難しく、「現代アートとは何であるか」と問うよりも、「伝統的・古典的なアートではないアート」という裏返しの定義のほうがイメージがしやすいかもしれない。
原語では、"Contemporary Art" 訳して「現代芸術」あるいは「現代美術」と呼ばれる。和英混じりの「現代アート」という表現は言葉として少しいびつだが、キャッチーな言葉としてアートマーケットなどで使用される傾向にある。
「現代」と言うが、特定の時代を限定した言葉ではなく、20世紀初頭あたりから生まれた作品傾向を指した言葉である。これは、Contemporaryを「同時代」と訳すことで幾分か理解しやすくなるかもしれない。
つまり、同時代性を強く求め、従来の「美術」や「芸術」の作品概念に囚われない前衛的で新しい芸術表現を広く総称して「現代アート」と呼ぶ。
19世紀の画家エドゥアール・マネ(1832-1883)から、印象派、パブロ・ピカソ(1881-1973)のキュビズムへと続く流れを近代美術と呼ぶが、この時から現代美術は始まっていると解釈をする人もいる。だが、現代美術の方向性を決定付けたのはマルシェル・デュシャン(1887-1968)であると考えるのが一般的だろう。デュシャンは早い時期に油絵具による絵画制作を放棄し、既存の芸術の概念を強烈に批判するような作品を次々と発表していった。
デュシャンの活動で最も有名なのは『泉』という作品。男子用小便器に架空のアーティストのサインを施し、『泉』というタイトルをつけただけのもので、これを無審査の展覧会に匿名で出品しようとした。作品は議論の末、展示されなかったのだが、デュシャンは、「無審査」を謳いながらも「出品を拒否する作品がある」という矛盾点を強く批難した。これは、芸術の権威主義な体制やアカデミズムを痛烈に批判するパフォーマンスであったと考えられる。
デュシャン以後、芸術家たちは様々な「新しい表現」を模索し、あらゆる主義、表現が生まれた。表現手法も、フツーの絵画、いわゆるキャンバス絵画(タブロー)に囚われることなく、立体や映像、インスタレーション(空間を含む表現)、パフォーマンス(身体表現)など多岐に渡り、それらの前衛的な試みはあらゆるジャンルに影響を与え、現代音楽、現代演劇、現代詩などへと発展し、従来の概念に収まらない作品を多数生み出した。
作品を理解するための概念までもが従来の枠に収まらないため、作品を理解するためにはまずその作品の背景にある概念を理解しなければならない場合も多く、時に実在する作品の造形性よりも概念が重要になってくる場合さえある。このように作品概念そのものが作品の主要構成要素であると見なされるものは特に「コンセプチュアルアート」と呼ばれる。概念が重要になると同時に、美術批評の役割もまた極めて重要になった。
現代アートとは、既存の概念にとらわれない表現活動である。それはつまり、評価の指針もまた一定でないということであり、作品概念を理解するためには今までの美術史から、社会情勢、様々な学問などあらゆる知識を必要としなければならなくなった。自由で多種多様になる代わりに、複雑難解になったのである。ここから、大衆の「美術ってなんだかわかりにくい」というイメージが生まれてしまった。
さらに日本では、美術作品は非常に高価に取引されているというイメージが強いため、「なんだかわからないもの」が「権威ある人のお墨付きにより高額で取引されている」という偏見が生まれ、「わけのわからないもの」というイメージに拍車をかけている。(実際は現代美術作家でそれだけで食べていけるような人間はほんの一握りであり、ギャラリーや美術館の経営も非常に厳しいものである)
近年では若手アーティストの中にも、「わけがわからなくてもアートなら許されるのではないか」といった偏見を持ったような者まで存在している。Chim↑Pomや、カオス*ラウンジが倫理観に欠ける作品を発表し、問題になったことなどは記憶にも新しい。これらの問題は、「美術作品として優れているかどうか」と「社会通念上問題がないか」とで別の問題として切り離して判断されるべきであり、アートという言葉を免罪符に社会通念上問題のある行為を行なって良いということにはならないだろう。ただし、凝り固まった「社会通念」を批判するのが現代アートであるとも言えるため、やはり問題は単純ではない。
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最終更新:2025/12/13(土) 02:00
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