畠山和洋(はたけやま かずひろ、1982年9月13日-)とは、岩手県出身のプロ野球選手である。現在は東京ヤクルトスワローズに所属。
| 東京ヤクルトスワローズ #33 | |
|---|---|
| 畠山和洋 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 岩手県花巻市 |
| 生年月日 | 1982年9月13日 |
| 身長 体重 |
180cm 92kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 一塁手、三塁手、左翼手 |
| プロ入り | 2000年 |
| 経歴 | |
|
|
| プロ野球選手テンプレート | |
専修大学北上高等学校では2回甲子園に出場。2000年ドラフト5位でヤクルトスワローズに入団する。
入団後はファームで結果を残すが、一軍では結果を残せないという「二軍の帝王」として君臨していたが、2008年は5月以降一軍で四番打者として出場した。その年は自己最多の成績を残したが、12球団で最も年棒が安い四番打者としても注目を集めた。
2009年はジェイミー・デントナにポジションを奪われ、大きく出場試合数を減らした。
2010年も開幕ベンチスタートだったが、外野のスタメンであった福地寿樹、アーロン・ガイエルの不調もあり後半戦では3番もしくは5番レフトでのスタメンを獲得し、3割14本塁打と活躍した。守備は急造であったため打球の目測を誤ったり、送球難をあらわにするなど守備面での課題を残した。
2011年は4番に定着し、オールスター出場も果たし、第1戦でMVPを獲得した。その後もリーグ2位の23本塁打、リーグ3位の85打点を挙げるなど活躍した。
2012年は打撃不振に陥り、13本塁打、55打点に終わったが、2年連続でオールスターに出場。第3戦目では、地元の岩手県民野球場でホームランを放った。オフにゴールデングラブ賞を獲得した。
2014年は打棒が復活し、肉離れによる離脱があったが、初めて打率3割をマークし『火ヤク庫』の一角を担った。
2015年はウラディミール・バレンティンの故障後に4番に座り、4月26日の読売ジャイアンツ戦で通算100本塁打を達成。チームを牽引し、優勝に貢献。105打点で打点王を獲得した。なお、岩手県出身の選手がタイトルを獲得するのはプロ野球史上初。
2016年はぎっくり腰でまともな調整ができなかったが開幕を一軍で迎える。しかし背中の張りを訴えて戦線離脱。さらに左手骨座礁を負ったり、右アキレス腱の状態も悪くなったりと故障に泣かされた1年となった。5月25日の阪神タイガース戦で通算1000試合出場を達成。
96kgとどっしりとした体格やいかにも長打を打ちそうなフォームであるにも関わらず、右への軽打が多いことに加え、長期の不振などもあったことから、2ちゃんねるのプロ野球板やなんでも実況Jでは(蔑称というよりはネタとして)「恵まれた体から糞みたいな打球を放つ(放ちそうな)選手」と呼ばれることが多かった(略して「恵体糞打」とも)。しかし、近年は本塁打などの豪快な打撃が多くなってきたため、一部で「恵体豪打」と呼ばれることも多い。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| ヤクルト | 畠山和洋#7 | 6088 |
(2016年終了時点)
| 年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2016年 | 45 | 190 | 163 | 15 | 40 | 10 | 0 | 1 | 18 | 0 | 0 | 0 | 26 | 1 | 24 | 6 | .245 | .353 |
| NPB:13年 | 1015 | 3801 | 3347 | 374 | 893 | 167 | 7 | 121 | 536 | 7 | 10 | 29 | 391 | 24 | 578 | 93 | .267 | .345 |
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最終更新:2025/12/11(木) 22:00
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