金城龍彦(きんじょう たつひこ、1976年7月27日-)とは、大阪府出身のプロ野球選手(外野手)である。2016年からは読売ジャイアンツのコーチを務める。
| 読売ジャイアンツ #71 二軍外野守備走塁コーチ |
|
|---|---|
| 金城龍彦 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 大阪府大阪市東成区 |
| 生年月日 | 1976年7月27日 |
| 身長 体重 |
177cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投両打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 1998年ドラフト5位 |
| 経歴 | |
選手歴
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年 |
| プロ野球選手テンプレート | |
近畿大学附属高等学校時代は投手で、藤井彰人とバッテリーを組み、2年夏に甲子園出場を果たし、金子誠擁する常総学院に敗れる。高校卒業後は住友金属に所属し、1998年ドラフト5位で横浜に入団。野手(外野手)に転向した。
2000年は三塁のレギュラーに定着し、首位打者と新人王を受賞した。一時期打率は4割を超えていた。
2001年は外野手に転向、打率は下げたが球団記録となる43犠打を記録した。
2002年は打率1割台と苦しんだ。
2003年は復活。長打力もつけ、一試合左右両打席本塁打を二回達成する。
2003年から3年連続3割、二桁本塁打をマーク。特に2005年は191安打、ゴールデングラブ受賞、オールスターMVPと大活躍した。
2006年にはWBC日本代表に選ばれ、世界一に貢献した。
2006年以降は打率が3割を切るようになり、2009年は規定打席を割ってしまう。
2010年は出場試合が100試合を切る。FA権を行使したが、残留。
2012年はスタメン、守備固め、代打とどの役割もこなしチームで3番目の129試合に出場。開幕3戦目ではチーム初となるホームランを放ち、9月14日のヤクルト戦では村中恭兵からヒットを放ち通算1500本安打を達成した。
2013年5月25日の千葉ロッテマリーンズ戦で、通算100本塁打を達成。
2014年オフ出場機会を求め二度目のFA権を行使し、読売ジャイアンツへ移籍。
2015年に現役引退。
2016年からは新たに新設された三軍の打撃コーチを務める。
2017年からは二軍外野守備走塁コーチを務める。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| 横浜 DeNA |
応援歌のピコカキコ一覧#5 | 8007 | |
| 巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#1240 | 13335 |
| 通算:16年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1892 | 6593 | 5927 | 663 | 1648 | 254 | 19 | 104 | 592 | 40 | 135 | 33 | 438 | 60 | 737 | 106 | .278 | .332 |
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最終更新:2025/12/13(土) 22:00
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