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FC刈谷とは、愛知県刈谷市を本拠地とするサッカークラブ、及び東海社会人サッカーリーグ所属のサッカーチームである。

概要

日本のサッカークラブ
FC刈谷
基本情報
創設年 2006年
運営法人名 特定非営利活動法人
かえるスポーツクラブ
所在地 愛知県刈谷市
サッカークラブテンプレート

同県同市を本拠地としていたデンソーサッカー部が休部になるのを受け、後を引き継ぐ形で誕生したアマチュアサッカークラブである。発足時から幾度と無く存続危機に立たされたが、なんとか乗り越えて今に至っている。

将来的な目標はJFL復帰、そしてフツフツを湧き上がってきたJ3昇格であるが、財政的な面は勿論、トップチームの実力的な面にも課題が残る。また、発足から10年以上経った今でも下部組織を設立させていないので、J3昇格の実現はかなり遠い状況にある。

なお、クラブチーム化以降、デンソーは練習グラウンドを提供する以外の関与はしていない。

トップチーム

東海社会人サッカーリーグ
FC刈谷
基本情報
創設年 1949年
チームカラー 赤、白
ホーム
スタジアム
ウェーブスタジアム刈谷(刈谷市総合運動公園多目的グラウンド)[刈谷市]
ホームタウン 愛知県刈谷市
前身 デンソーサッカー部
サッカーチームテンプレート

前史

1949年、日本電装サッカー部として創設。

1989年シーズンからまだ2部制でなかった頃の東海リーグに昇格し、在籍5年目の1993年シーズンにリーグ初優勝、地域リーグ決勝大会初出場を果たす。同大会では決勝ラウンド2位の成績を残し入れ替え戦に進出するも、ジャパンフットボールリーグ(※旧JFL。当時の地域リーグの上位カテゴリ)9位だった甲府クラブに1-2で破れ昇格ならず。それから2年後の1995年、2度目のリーグ優勝。地域リーグ決勝大会では決勝ラウンド1位を決め旧JFL昇格を果たす。

旧JFL昇格後、親会社の社名変更に伴い、デンソーサッカー部と改称。旧JFLでの3年間は16チーム中15位(1年目)/13位(2年目)/10位(3年目)であった。特に1年目は降格圏内であったのだが、ヴィッセル神戸のJリーグ昇格とコスモ石油四日市FCの解散があったために辛うじて残留となっていた。

日本フットボールリーグ時代

1999年、旧JFLはJリーグ2部と日本フットボールリーグ(JFL)の2つへと発展的解消を遂げたが、デンソーサッカー部はJリーグへの参加意志が無かったためにJFL参加を表明。JFLオリジナル9のメンバーとなる。

初めの3年間は1桁順位であり、特に2001年に徳重隆明、2002年に高山英樹と、1999年のリーグ開始以降、現在でも唯一の「同一チームから2年連続でJFL得点王」という記録を出したが、2002年で10位(18チーム中)となってからは2桁順位が続き、以降残留争いの常連となってしまう・・・。

2005年を以って、デンソーサッカー部が休部(事実上の廃部)。以降は関係者の尽力によりクラブチーム化していく。

クラブチーム化後

2006年、現在の運営法人の下、FC刈谷として再出発していくことになる。

2007年にはFC刈谷初代監督の安原成泰、FC刈谷創設に尽力した服部順一GM、そしてコーチ2人の計4人がシーズン途中退任という異例の事態となる。後任として選手として在籍していた浮氣哲郎が現役を引退し就任。この年は辛うじて残留となる。

2008年は浮氣監督のサッカーが浸透し始め、FC刈谷となってから8位と初の1桁順位となる、が、この年を以って2桁得点していた平林輝良寛と原賀啓輔が退団となるが、これが翌年の悪夢に繋がることになる・・・。(ステップアップとしてFC琉球への移籍となった原賀はともかく、平林は契約非更新による退団であった。)

2009年、前述した2人が抜けた結果、深刻な決定力不足に陥ってしまう。この年にコーチとして入団した「キング・オブ・トーキョー」ことアマラオが現役復帰せざるを得ないほどにだ。また、シーズン途中で補強を試みるも、決定力不足は解消されず、年間順位は18チーム中17位となり万事休す・・・。しかしニューウェーブ北九州のJリーグ昇格も有り、辛うじて自動降格は免れ、地域リーグ決勝大会決勝ラウンド3位のツエーゲン金沢との入れ替え戦に臨むことになった。

2009年のJFL・地域リーグ入れ替え戦

さて、今後を左右するであろうホーム・アンド・アウェー方式での入れ替え戦(ちなみにアウェイゴール制度はなかった)。ここで勝って翌年のJFLに繋げたいところであったが、チーム体質は実に正直であった・・・ここでも決定力不足は顕著に現れたのである、金沢よりも10本以上多くシュートを放っていながら、だ。

結果、第1戦のアウェイ戦で0-1で負け、第2戦のホーム戦も0-1と先行され、87分に日下大資がゴールするも時既に遅し・・・。

2000年代最後を地域リーグ降格という残念な結果で終わらせてしまい、翌2010年を東海社会人サッカーリーグ1部で迎えることとなった。

東海社会人サッカーリーグ時代(第2期)

2010年、15年振りに戻ってきてしまった東海リーグ、体制一新として浮氣哲郎が監督を退任、コーチだったアマラオが監督に就任した。しかし、この頃はJリーグ入りを目指してた新星・shizuoka.藤枝MYFCの後塵に拝して年間成績2位となってしまい、また全国社会人サッカー選手権大会でも予選敗退していたためにJFL復帰はならなかった。

以降、3位(2011年)、4位(2012年)、3位(2013年)、4位(2014年)とJFL復帰に暗雲が生じてしまったが、2015年に20年振り3度目のリーグ優勝を果たす。そして同シーズンの地域リーグ決勝大会では予選リーグ2位ながらもワイルドカード枠で決勝ラウンドに進出。JFL復帰まであと一歩と近づいたが、決勝ラウンドで打ちのめされて勝点が全く取れずに敗退し東海リーグ残留、再び出直しとなったのだった。

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関連項目

  • サッカー地域リーグ - サッカー地域リーグのチーム一覧
  • 愛知県 - 刈谷市
  • デンソー
    • 元・親会社。トヨタグループ企業で名古屋グランパスエイトのユニフォームスポンサーでもある。
  • 名古屋グランパスエイト
    • 元・親会社の親会社(トヨタ自動車)が経営する名古屋市のサッカークラブ及びJリーグ所属のプロサッカーチーム。
  • 月刊グラン
    • 中日新聞社が発行する名古屋グランパスエイト専門の月刊誌だが、FC刈谷の情報がFC岐阜とFCマルヤス岡崎の各情報と共に「東海サッカーダイジェスト」として掲載されている。
  • 豊田自動織機サッカー部
    • トヨタグループ源流企業のサッカー部で東海社会人サッカーリーグ所属。日本サッカーリーグ(JSL)初年度参加チームの一つでもある。FC刈谷と同じく愛知県刈谷市をホームタウンとしている。

クラブ公式サイト

FC刈谷 オフィシャルサイト

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