「成宜」(セイギ ? ~ 211)とは、後漢王朝末期の武将であり、関中に独立した勢力をもった軍閥の一人である。
正史では
鍾繇(鍾ヨウ)が、張魯討伐軍を起こしたと聞いて、馬超と韓遂が軍閥を巻き込んだ反乱に参加した。
※なお、この際に馬超に与力した軍閥の中でも、正史に名前が記述されている数少ない一人であり、史書によっては反乱の首謀者の一人とされている事もある。
潼関の戦いで曹操軍と相対した成宜だったが、盟主である馬超と韓遂が、隠れた三国志最強軍師の賈詡(賈ク)の離間の策により不和が生じた際に、曹操軍の挟撃を受けて、同じ軍閥の李堪らと共に戦死した。
演義では
独立勢力から格下げされて、韓遂配下の旗本八騎または手下八部の一人として登場する。
曹操に父を殺された馬超の復讐に協力する事になった韓遂に従い、長安攻略戦で活躍した。
しかし、続く渭水の戦いでは、曹操軍の陣に夜襲をしかけたものの見破られ、空の陣に入り込んでしまったところを攻撃されたところで、夏侯淵に討ち取られた。
※その他「成宜」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
関連動画
▼登用禁止のプレイ条件の中、初期メンバーとして登場する「馬騰登用禁止プレイ」
関連データ
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | 45 | 37 | 24 | 82 | 21 | ||||
三國志II | 61 | 35 | 38 | ||||||
三國志III | 63 | 38 | 32 | 39 | 59 | 21 | |||
三國志IV | 57 | 61 | 36 | 30 | 49 | ||||
三國志V | 66 | 28 | 30 | 47 | |||||
三國志VI | 45 | 64 | 22 | 34 | 38 | ||||
三國志VII | 68 | 61 | 42 | 63 | |||||
三國志VIII | 66 | 40 | 47 | 51 | |||||
三國志IX | 74 | 70 | 38 | 56 | |||||
三國志X | 64 | 71 | 40 | 45 | 52 | ||||
三國志11 | 74 | 72 | 41 | 48 | 56 |
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