Livebetterとは、妖精哲学の三信を体言した森の妖精だけが伝える事が出来る格言である。
「歪みねぇ」苦悩
120年の歴史を持つ伝統格闘技で、欧米諸国の国技でもあるパンツレスリング。
森の妖精ビリー・ヘリントンは戦い続けた。剥ぎ続けた。その理由も分からないままに彼は歪みなく戦い続ける事、歪みなく剥ぎ続ける事に固執し、勝利を重ね続けてきた。しかし、その過程のなかで、彼は自分にとって「歪みねぇ」とはどういう事なの?と、歪みなさを見失い始めたのである。
妖精哲学の三信
出口の見えぬ哲学に苦悩するビリーは日夜、何かに興奮していた。
そんな中ビリーはとある闘いを目撃する。パンツレスリングには様々なファイター達が存在し、パンツを剥ぎ続けている。ビリーの目に飛び込んできたのは『いかりやビオランテvsTDNコスギ』戦である。
ビリーは冷静に試合状況を分析する中で、ビオランテの“挑発に乗りやすい”という弱点を見抜く。城之内との闘いにおいて、勝利後にパンツを剥ぎ取られるという、だらしねぇところを見せてしまったビリーにとって、ビオランテ戦では相手の弱点を正確に分析し、圧勝しなければならない意地があった。
だらしねぇ自分…
ここでビリーは初めて妖精哲学の三信のひとつである【だらしねぇという 戒めの心】と向き合うことが可能となったと、後に語る。パンツレスリングの長き歴史の中で“闘い”だけでは無く“哲学”へと昇華したレスラーは殆ど存在しないと言われている。
苦悩する事から解脱したビリーは、VSビオランテ戦においても歪みねぇ実力を如何無く発揮し、ビオランテと大きくポイントに差をつけつつ、見事パンツを剥ぎ取り勝利した。しかしビリーに電流走るっ…!
既に逆転は不可能とも思える大差がつき、ロッカー席にいた観客達誰もが試合の結末が見えた次の瞬間、ビオランテは突如覚醒し、反撃に打って出たのである。
当初は「ビリーの股間を触ったんじゃないのか?」と思われていた反撃行為であったが、ビリーは決して諦めぬビオランテのパンツレスラーとしての魂に打たれ、彼の行為を「歪みねぇな」と称えたのである。
妖精哲学の三信のひとつ【歪みねぇという 賛美の心】を、ビリーは無意識のうちに理解したのである。
辿り着いた答え、それは「歪みなく生きろ」
試合を終えたビリーは、新日暮里と同じ空気を味わえるという新宿二丁目のBARへと顔を出す。
ビリーはここに8年以上通い続けている常連であり、勝った時の酒と、負けた時の酒の味を覚えたという。ある意味ビリーを影ながらアシストしてきたBARとも言えよう。
勝利とは甘美なる者である。勝利に浮かれるビリー、普段は紳士的な彼だが、今夜ばかりは彼も普段とは違う。
半裸のマスターに対し、その時のノリで「最近どうなん?」と気さくに話しかけた所、事件は起こった。マスターはビリーの問いには答えず、無視したのである。
ビリーは醤油なのか酒なのか分からない液体を含み、言葉を噛殺す。「どういうことなの…」と。
だが、マスターことオナハウス店長の目は歪みねぇ眼差しを湛え、カウンターの奥に踵を返すまでじっとビリーを見据えていた。まるでその無言の中に言葉を込めたかのように…
そこでビリーは気が付く、試合を終えて驕り高ぶっていた自分自身の歪みに。目先の勝利に酔いしれ、顔馴染みの店長に対して若干の上目線な対応をとってしまった事に。
「仕方ないね」それはまさしくビリー自身の驕りに対して、オナハウス店長はただ諭したのだ。だらしねぇ…と怒る事も出来ただろう、でていけぇ!と冷たく当たる事もできただろう。しかし彼は兄貴の中に、だらしなさを許容し認める強さもある事を8年もの間その目で、歪みねぇ眼差しで見据えていたのだ。
妖精哲学の三信【仕方ないという 許容の心】に触れた兄貴は『それが大切だね』と言葉を締める。
何故パンツを剥ぎ続けるのか・・・
この問いにビリーは『相手をただのひとりの人間・・・それ以上でもそれ以下でもない、たったひとりの人間として見たいから・・・』と答えた。
パンツを剥ぐこと、それは相手を脱文明化すること。
近年若者の道徳観の低下が危惧されており、彼の生き方を哲学に準えられる理由を、若者達だけではなく兄貴に“何か”を垣間見た全ての人々が向き合い、考えていかなければならないのかもしれない。
いつしかそれは彼、ビリー・ヘリントンの口癖となっていた。
私達が歪みなく生きるための明確な答えなど無いのかもしれない。それでも私達は、兄貴ことビリー・ヘリントンが伝えたい「歪みなく生きろ」というメッセージを理解できる日が来るのかもしれない。
それこそが兄貴が本当に伝えたい『哲学』なのだと、私は思う。
参考文献
関連項目
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