孫堅 単語

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ソンケン

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孫堅とは、三国志に登場する人物である。

概要

孫堅(156-192年) 字は文台。県の人。

時代に成立した皇帝孫権
勇敢にして忠義厚き人物だが、荒々しく血気にはやって寿命を縮めてしまう。

若き日の雄姿

銭唐(現在杭州)に略奪に走る海賊相手に数に劣る孫堅は、大軍であるかのように揮を取り、賊を追い払った事で知名度を大きく上げた。

乱の鎮圧

184年、太張角によって勃発した黄巾の乱の鎮圧のため、孫堅は朱儁の下で参戦。波才軍を破り、宛攻略に貢献し、数々の勝利を積み重ねた。しかし一方で勝ちに乗じて単騎で深追いし死にかけるなど、最期を暗示するような場面もあった。

186年、州で韓遂らが起こした反乱の鎮圧に向かう。董卓に代わり、温が揮を執り、孫堅はその参軍として従軍した。董卓の度々の軍規違反に立した孫堅は、董卓を処刑するように温に進言するが、退けられている。後日、董卓はこの事を聞き、孫堅を深く憎むようになった。その後も各地での転戦で人材や実戦の経験も豊富となった孫堅軍は、やがて多くの群雄から恐れられ警される事となる。

反董卓連合に参加

陽で董卓が実権を握ると、孫堅は袁紹を盟とする反董卓連合に参加。董卓軍配下の華雄る戦果を挙げる(演義では関羽華雄る)。一方、緒戦ではを攻めようとを置いたところで急襲されて窮地になり、祖茂が囮となってを逸らしたこともあった。

演義では、袁術に妨され祖茂を失うなど散々。さらに、崩壊した陽の復作業中に伝の玉璽を見つけ、袁紹に問いただされ連合軍解散のきっかけとなっている。

突然の悲劇

董卓連合軍が瓦解し、袁紹袁術が対立し始めた。袁術についた孫堅が襄陽の劉表を攻める途中、黄祖の部下に射殺された。「典略」によれば調子づいて追撃を行った際に撃たれたという。享年37歳。敗残の将兵は袁術軍に吸収され、孫堅の志は長子である孫策が継ぐ事になる。

急な死ではあるが孫堅は攻撃を仕掛けようとして返り討ちに遭う場面を何度も迎えており、いつ死んでもおかしくない状況であったとも言える。この苛さは良くも悪くも孫策孫権に(程度の差はあれど)受け継がれている。

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最終更新:2024/05/05(日) 19:00

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