アグハージ・カーロイ / カーロイ・アグハージ(1855~1918)とは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したハンガリーの作曲家である。
ハンガリー人のため姓名の方を本記事とする。
概要
1855年ペシュトに生まれた。12歳ですでに国立音楽院(現バルトーク音楽院)に入学し、作曲とピアノを学んだ。1870年に初めてフランツ・リストと会う機会を得、リストはアグハージにウィーンに行くことを勧めた。ウィーンではアントン・ブルックナーの教えを受け、またウィーンのピアノ・コンクールで1位になるなど大きく活躍した。この時期にエルケル・フェレンツの支援で若干19歳ではあったものの、国の奨学金を得られることとなった。
1875年~1878年までリスト音楽院で、リストとアーブラーニ・コルネールに師事していたが、エラール・ホールで行われたコンサートの評判をきっかけに名のあるサロンに次々と招待され、その中のひとつであったフェルディナン・ド・レセップスのサロンで、ムンカーチ・ミーハイと知り合った。
その後ロンドン、ブリュッセル、アルジェリアなどで演奏していく一方、帰国後はブタペストの国立音楽院で教鞭をとっていたが、リストの推薦で1883年~1889年までベルリンの音楽院で指導することとなった。再度の帰国後は国立音楽院で再び教鞭をとり、バルトーク・ベーラの才能に注目した最初の一人となった。
関連動画
残念ながらないようだ。
関連項目
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