一日作さざれば一日食らわずとは、「一日不作 一日不食」と書く。「働かざる者食うべからず」とはニュアンスが少し異なり、『自分の為すべきことをすることができなかったから食事をいただくに値しない』という意味である。
概要
百丈懐海(ひゃくじょう えかい)という禅僧の言葉である。749年、中国の唐代の禅僧で、インドから伝わった仏教の伝統として、僧は、托鉢(たくはつ)や布施によって修行をしていたが、百丈和尚は農作業など労働して自ら作物をつくりだすことを修行の一環とし、田畑に鍬を入れ、自給自足の生活を行うようになった。
百丈和尚は80歳になっても畑仕事を作務として行っていたが、弟子はケガでもされては大変だと、ある日弟子たちは鍬や鎌を隠してしまった。
畑仕事(作務)をしなくなったその日から、部屋に戻った百丈和尚はいっこうに食事を取らなくなり、その時に出た言葉が「一日作さざれば一日食らわず」なのだ。
内容の説明
「働かざる者食うべからず」は義務的に、働いたので食べることができると考えることができるが、「一日作さざれば一日食らわず」は、自らのすべき仕事ができなかったので食べないという自発的な責任を伴う、他者への訓戒の意味も込めた(自分ルール?)、決意的な意味を持つ。
つまり、『自分の為すべきことをすることができなかったから食事をいただくに値しない』と自分で言っているのである。
凄く難しいことかもしれないが、美味しいご飯を食べるために自分の責任ある務めを果たすことである。
生きていく以上、何かを食べなくてはならない。食べなければならない以上、どう「務めを作(な)す」べきか、この言葉と向き合っていただければ幸いです。
関連外部リンク
悩める「ニート」達に贈る百丈禅師の言葉 ~「一日不作一日不食」~
できることから… 「一日作さざれば一日食らわず」の意味を考える ラピス和尚の辻説法
関連項目
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