概要
南朝梁の顧野王が「説文解字」をもとに字を加え、編纂した字書である。543年(大同9年)成立した。
「説文解字」と同じく部首ごとに漢字を分類し並べた字書である。全30巻に部首542部、16,917字を収める。「説文」と違い字形の説明はなく、用例を多く載せる。また「字林」と同じく、漢字の音を示すのに反切を使っている。
部の分け方はほとんど「説文」と同じだが、「説文」にあった哭部や眉部など12部が削られ、代わりに父部、云部など14部が加えられ542部となっている。部の配列も一部から始まり亥部に終わるのは同じだが途中の並びが異なる。
また「説文」との違いとして「説文」では字を篆書で示していたのに対し、「玉篇」では隷書を用いていることが挙げられる。
影響
「玉篇」は中国で当時、広く普及した。また「玉篇」は日本・朝鮮にも影響を与えていて、空海の「篆隷万象名義」は「玉篇」をもとに作られている。また字書の意味で使われるほどに広まり、「倭玉篇(わごくへん)」という書も作られている。また朝鮮でも同様で、辞書の意味で普通名詞風に使われたり、辞書の名称に「~玉篇」と使われたりしている。
テキスト
現在に伝わる「玉篇」は、宋代に編修された「大広益会玉篇」である。「大広益会玉篇」は「玉篇」にあった各字の説明を、だいぶ簡略化していて、これはおそらくは字書としての検索性を向上させるためだったとされる。原本の「玉篇」は完全に失われたわけではなく、断片のいくつかが日本で見つかっていて現在7巻分が残っている。また空海の「篆隷万象名義」は原本の「玉篇」をもとに作られているので、「玉篇」原本のすがたを知る上で非常に重要である。
校訂本
唐代に孫強が修訂し760年(上元元年)に刊行した「増加玉篇」、北宋の陳彭年・丘雍が刊定し1013年(大中祥符6年)に刊行された「大広益会玉篇」がある。孫強のものの原本は残っていない。
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関連項目
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