ヨハン・ネポムク・フンメル(1778~1837)とは、クラシック音楽の作曲家、兼ピアニストである。
1778年オーストリアのプレスブルク(現スロヴァキアのプラティスラヴァ)で生まれた。3歳のころから音楽的才能を認められ指導を受け、6歳でピアニストに、8歳で晩年のモーツァルトにその才能を認められて弟子となることになった。
その後はモーツァルトやベートーヴェンよろしく父親との二人三脚で各地を演奏旅行で周っていたが、15歳からウィーンに定住、サリエリ、ハイドンらから教育を受けつつ作曲活動に専念していった。
ベートーヴェンとは親睦を深めるもエステルハージ公の宮廷楽長時代に彼の作品を酷評したと誤解されたり、彼の思い人と結婚したりといろいろあった末に確執を深めていったようだ。
その後はシュトゥットガルト、さらにワイマールで楽長を務めそのままワイマールで時代が次第に古典派からロマン派に移る中亡くなった。
彼の作曲の特徴は後期古典派に属するためベートーヴェンなどと同様モーツァルトらの時代の様式を受け継ぎつつも、ロマン派の芽生えのような様式と混合していることである。ベートーヴェンに比べて長めのメロディーを基盤とした彼の作曲技法はショパンなどにお手本とされることとなった。
またほぼすべての分野の曲を作ったのに比して半数近くがピアノ曲であったように晩年までピアニストとしての活動を続け、彼の弟子にはアドルフ・フォン・ヘンゼルト、フェルディナント・ヒラー、ジギスモント・タールベルクらがおり、ベートーヴェン→チェルニー→リストの門派に席巻される以前の、いわばモーツァルト流派を形成していた。
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最終更新:2025/02/16(日) 20:00
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