後柏原天皇、後奈良天皇に仕えた鷲尾隆康による日記。永正元年(1504年)から亡くなる直前の天文2年(1533年)2月まで記述されているが、永正3年から永正13年までは鷲尾隆康本人が文中に何も記述していないと書いてある通り、そもそも存在しない。なお名前の二水とは元号である永正、大永の「永」の字を二つに分けたものである。自筆本が内閣文庫にあり、欠けている部分の一部を写本で補うことができる。写本はかなり多く、イェール大学やカリフォルニア大学バークレー校にまで存在する。
この当時書かれた公家日記と同様、後柏原天皇、後奈良天皇や伏見宮邦高親王・貞敦親王を中心とした宮廷生活と将軍や細川氏ら幕府・地方武士の動向が記述の中心となっている。鷲尾隆康は楽を家業にしていたため、神楽や管弦御遊の記事が詳しく、一方で細川政元の内裏昇殿や細川高国と細川澄元・三好之長との戦い、天文法華の乱などの記述がドラマチックに描かれる。一方で日常生活の記述もあり、一人の人間鷲尾隆康の一面も知ることができる。
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最終更新:2025/12/10(水) 13:00
最終更新:2025/12/10(水) 12:00
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