後ろ四天王とは、「後ろ」の名を冠するものに与えられる称号である。常に4人であるとは限らない。
「こんばんはー!」と叫ぶ男子部の石川の背後にいる人物。何も話さない。微笑を浮かべる。
「わはー!」と叫ぶロバートの背後にいる人物。何も話さない。微笑んでいる。
「ママ、あたしと一緒に来て。」と発言しているキャロンの背後にいる灰色の影。何も話さない。正体不明。
「ここを抜けないと軽音部にたどり着けないぃ~」と発言している平沢唯の背後の扉から顔を覗かせる少女。
何も話さない。正体不明。
上記全部
「後ろ」とは何だろうか。「後ろ」に心惹かれる理由とは何だろうか。
これら「後ろ」の存在は本編とは何ら関係性がない。「後ろ」が存在していなくてもストーリーは正常に展開し、正常な結末を迎える。つまり「後ろ」とは画面上に現れたノイズのような存在であり、結末を迎える前に挿入されるこの「後ろ」というノイズがその映像作品の保っていた均一性を崩し不安定な状態を生成する。「後ろ」は安定志向の現代社会に対する反乱であり、しかし同時に反乱は鎮圧される(=「後ろ」の有無に関わらず映像が正常な結末へと向かう)というあらがうことの出来ない巨大な存在である”運命”を暗喩しているものであるという説。
なぜ「後ろ」を見ると心が躍り胸がときめくのだろうか。そこには理由など存在せず、ただ本能的、あるいは遺伝子レベルに刻み込まれた宿命が「後ろ」という安息を求めているからだ。太古、ヒトが小さな村落を作って暮らしていた頃、自らの背後には信頼できる人物(それは家族であったり仲間であったり様々だ)がいた。背後に立つ信頼できる人物と「後ろ」の姿を重ね合わせ、「後ろ」への本能的なまでの強い帰属意識・回帰願望が発現し、動画中の「後ろ」という存在を明確に浮き彫りにしている、という説。
我々は日常という枠組みから脱することは滅多にない。非日常という冒険的な事態を味わえない我々は様々な娯楽作品を通して冒険心を養っている。しかしそれは外部からの視点であることが多く、作品に出演している当人に近づくことはできない。「後ろ」は本編に登場しているにも関わらず、本編には一切関与していない。言ってみれば「後ろ」は作品の出演者に極めて近しい傍観者である。我々は作品をより身近なものとして体感したい潜在的な強い願望があり、「後ろ」という作品中の傍観者への無自覚な感情移入が「後ろ」の存在を決定づけている、という説。
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最終更新:2024/06/02(日) 01:00
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