武田信武(?~1359)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将である。
鎌倉時代、意外なことに甲斐源氏の嫡流である武田氏は安芸の守護職のみを務めており、甲斐の守護職は得宗家と結びついた分家の石和武田氏が務めていた。彼はそんな中、元弘の乱では後醍醐天皇討伐軍に加わり、建武政権では安芸守護こそ認められたものの、甲斐守護に関しては宮方についた石和流の武田政義がもったままであり、冷遇されたといってもよい存在であった。
そのため足利尊氏が建武政権から離反するとこれに付き従い、安芸の有力国人・吉川経盛らを糾合して尊氏方の主力として中国地方各地を転戦したのであった。そしてこの間南朝についた武田政義が戦死したこともあって、次第に甲斐への介入も始めていった。
やがて、観応の擾乱が起きると武田信武は足利尊氏方につき、1351年に足利直義の抑えとして宿願の甲斐守護職に任じられたのである。そしてそのまま甲斐にとどまり、同国に権力基盤の基礎を作り上げたのであった。
その後安芸守護職は武田氏信に、甲斐守護職は武田信成に譲ることとなる。実はこの二人の長幼の順・嫡子か庶子かは未だに議論されており、最近では伊豆守を代々名乗った安芸武田氏の方が嫡流であるというのが有力である。
また武田信武は文化人としても活躍し、『新千載和歌集』には彼の詠んだ歌が載っている。
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最終更新:2025/12/07(日) 02:00
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