淡路島とは、上沼恵美子の領有地、近畿地方兵庫県に属する瀬戸内海最大の島である。洲本市、淡路市、南あわじ市の3市からなる。
北東から南西へかけて細長く伸びた(琵琶湖をひっくり返したような感じ)形が特徴的。シンガポールや琵琶湖よりちょっと小さい。
北部と南部の淡路山地と中南部の淡路平野に分けられ、周囲の主な属島には紀淡海峡の成ヶ島(なるがしま)、紀伊水道の沼島(ぬしま)がある。名前の由来は「阿波への道」が語源と言われているが(2本の橋が出来てからは実際そうなのだが)、『古事記』や『日本書紀』で淡路が最初にできた…とあるので、近年では否定的な見解も出ている。
大阪湾、播磨灘、紀伊水道に四周を囲まれ、本州とは明石海峡を縦断する北端の明石海峡大橋、四国とは鳴門海峡を縦断する南西端の鳴門大橋で繋がり、島を縦断する形で神戸淡路鳴門自動車道が通っている。2つの大橋完成後は本州や四国と気軽に行き来が出来るようになり、交通の不便も解消された。現在では、高速バスなどで四国のみならず全国各地からの旅行者が通り掛かる島である。淡路島にも寄っていってね!
その反動でフェリーは立て続けに廃止され、原付、125cc以下のスクーターが島を移動できない問題が発生していた。現在は明石からジェノバラインを使えば渡ることはできる。
瀬戸内海式気候に属し、年を通じて天気や湿度が安定している。しかし、夏の降雨量が少ない&目立った川がないため水不足が起こりやすく、その対策として島内各地に23000もの「ため池」が存在している。これは兵庫県内にある「ため池」の半数を超えており、いかに夏場の水不足が深刻かを物語っている。明石海峡大橋建設時に送水管も設置し、本州からも配水を行っている。(淡路島の配水の26%程を本州の配水が担っている)それで余裕が出来たのかは不明だがため池は今じゃブラックバスの釣り場になってたりするけど。また、島全体の標高が低いので真冬であっても雪が降るのは稀である。
豊かな自然と動植物が暮らす県内有数の景勝地の宝庫でもあり、特に成ヶ島にはレッドリストに登録された絶滅危惧種の動植物が生息している。また、周囲を瀬戸内海や紀伊水道に囲まれているため、海の幸が豊富であり、季節を問わず多種多様な魚が釣れるので近畿圏内の釣り人にとっては人気スポットでもある。なお、沼島には非常に珍しい鞘型褶曲という岩石(簡単に言うと1億年前に出来た地球の「しわ」)があり、同心円状のものはこことフランスの1ヶ所でしか見られないらしい。
古くは日本列島の国産みの神話にその名が登場し、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)、『日本書紀』では淡路洲と書かれており、伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が最初に生んだとされる。つまり神話上では、淡路島は日本で一番最初に誕生した島である。
蘇我氏最大のライバルであった物部氏と関係が深く、現在でも物部や上物部などといった地名として残っている。律令制の下では淡路国(あわじのくに)として成立し、租庸調に加えて贄とよばれた海産物を朝廷に奉納する役目を持っていた。このような国は御食国(みけつくに)と呼ばれ、その数は限られていたそうな。
朝廷支配が崩壊した後、戦国時代にはあちこちの勢力下に収められる激動の歴史を辿る。ざっくりと記すと、
こうして阿波藩の一部に収まった淡路。阿波藩からは家臣の稲田氏が派遣され、以後淡路は稲田氏によって治められることになった。
しかし、時を経て徳島本藩と稲田氏との間には確執が広がっていく。明治維新後の徳島藩の禄制改革の際、陪臣である稲田家臣が士族として認められなかったことで、亀裂は決定的なものとなった。
稲田家臣たちは淡路を洲本藩として独立させることを目指して新政府に働きかけ、それに反発した徳島本藩側の過激派藩士たちが、明治3年5月13日(1870年6月11日)に洲本城下の稲田家とその藩士らの屋敷を襲撃するという事件が発生する。この事件は庚午事変(稲田騒動)と呼ばれ、この事件を機に淡路島は兵庫県へと編入させられ現在に至っている。
なお、その際に稲田氏側には北海道静内と色丹島 の配地を与えるという名目の島流しで家臣全員に移住・開拓を命じており、現在の静内には開拓民として奮闘した彼らをたたえる記念碑が建てられている。ここらへんの経緯は、ドラマにもなった小説『お登勢』や『北の零年』などに詳しい。
近畿地方の一角として発展を続け、1985年に淡路-徳島を結ぶ鳴門大橋が開通。1986年からは淡路-神戸を結ぶ明石海峡大橋の建設が着工され、本州と四国を結ぶ交通の要衝としてさらなる発展が期待されていたが…1995年1月17日、「阪神・淡路大震災」が発生。震源地は淡路島・旧北淡町であった。島全体も大きな被害を受け、その際に地表に露出した野島断層は、震災を後世に伝えるために保存館が建てられ、国の天然記念物に指定された。
建設中の明石海峡大橋も、震災の影響で橋の中央支間距離が1m伸びただけでなく、淡路側の山上にフランス革命200周年記念事業として、日仏友好モニュメントが建設予定であったが休止された。
1998年には明石海峡大橋も無事開通。震災から復興しつつあった2000年にはジャパンフローラ2000(通称:淡路花博)が開催され、世界中の珍しい花が集められ、多くの観光客でにぎわった。2002年のFIFAワールドカップではイングランドチームの合宿地となり、ベッカムたちイングランドチームの勇士たちが淡路島で英気を養い、本戦へと臨んでいる。
農業や漁業が盛ん。1次産業の就業割合は県平均の約10倍にも達する。主な特産品としては、
また、地味ーに線香の有名生産地でもあり、全国生産量の約7割が淡路島の淡路市(旧一宮町)で生産されている。縁日でよく売られている吹き戻し(息を吹き込むとピーという音とともに紙筒が伸びて、吹くのをやめると先の方からクルッと戻ってくるアレ)に至っては全国シェア8割を誇り、国内で製造される吹き戻しのほとんどが淡路島産である。吹き戻しの里に行けば工場見学や実際に作って遊べるよ!
また、創業者が淡路島出身なため、三洋電機の支部が存在する。ここでは携帯電話の電池などの各種電池事業の拠点であり、三洋電機の経営が傾く中で利益を上げ続けた。
島内には伝統芸能や農業から生まれた民間信仰、独特の習俗などが多く残っており、中でも淡路人形浄瑠璃は国の重要無形民俗文化財に指定され、保存活動が行われている。他にも「芝右衛門狸」という狸の民話が伝わっており、日本三名狸の一つとして数えられているんだそうな。
島内では淡路弁という方言が話されていることが多い。これは、普通の関西弁と徳島弁を足して割ったような感じ。また、由良地方では更に由良弁という独特な方言が残っており、島民ですら由良のお年寄りが何を言ってるのかわからないことは結構あることである。淡路弁の代表的なものとして「~だー?」というものがある。これは付加疑問であり、「コメントしてもいいんだー?」は「コメントしてもいいんでしょ?」って感じの意味である。他にも興味があればここら辺のサイトを見てね!
かつては洲本市・津名郡・三原郡の1市10町体制であったが、平成の大合併の煽りを受けて市町村合併を行い、現在では洲本市、淡路市、南あわじ市の3市体制となっている。
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平成の大合併前 | 平成の大合併後 |
合併前から存在する唯一の市。戦時中から存在する県内でもかなり古い歴史を持つ市である。2006年に旧五色町と合併し、現在の人口は約39,000人。
市章は洲浜紋※である。決してネズミではないし千葉県浦安市とも姉妹都市関係ではない。
淡路島のほぼ中央に位置し、かつての阿波藩領時代の城下町を基盤とする中心市街地があり、淡路島の中では最も都市化が進んでいると思われる。島唯一の映画館があるのもここ。サンテレビ視聴者なら一度は目にしたことであろうホテルニューアワジがあるのもここ洲本市である。ジャスコ…もといイオンは若者たちのたまり場。
大正期に建てられたレンガ造りの建て物(元はカネボウの工場)もちょっとした有名スポットであり、再開発によって現在はレストランや図書館へと生まれ変わっている。実物を見たい人は洲本高速バスセンターでバスを降りると目の前に建っているのでオススメ。
※洲浜紋…洲浜は三角洲など、浜辺にできる島形の洲。家紋にも使われるなど日本伝統の紋。
2005年4月1日に旧・津名郡淡路町、津名町、北淡町、一宮町、東浦町が合併して誕生した。明石海峡大橋で神戸市と結ばれている。現在の人口は約40,000人。
淡路島の北半分に位置し、大阪湾や播磨灘に面しているため漁業が盛んであり、前述の線香はほぼ淡路市で生産されている。また、ふるさと創生事業で旧津名町がレンタルした一億円の金塊を引き継いで展示していたが、金相場が高騰したためにレンタルを解消して保証金を受け取った。ある意味でふるさと創生事業をうまく活用した自治体と言える。阪神・淡路大震災の震源地でもあり、現在でも野島断層は震災の傷跡として保存・展示されている。なお、後述する淡路SAは新たな観光スポットとして知名度を上げている。
2015年より、日本の女子プロ野球チーム「兵庫ディオーネ」の本拠地となった。津名港ターミナルに球団事務所を設置し、2月3日に開所式
を行い、選手・スタッフら22名が住民票を移した。
2005年1月11日に旧・三原郡三原町、緑町、西淡町、南淡町が合併して誕生した。鳴門海峡大橋で徳島県と結ばれている。合併によって島内最大の面積と人口を持つようになり、現在の人口は約41,000人。
淡路島の南半分に位置し、当り前ではあるが兵庫県最南端の市である。広大な平野地帯があるため昔から農業が盛んなところであり、淡路島を代表する玉ねぎはほとんどこの南あわじ市で生産されている。現在ではちょくちょくテレビでCMをやってたりもする。他にも酪農が盛んで質のいい牛たちが育てられている。
本州と四国を結ぶ神戸淡路鳴門自動車道が縦断しており、本州へは明石海峡大橋で、四国へは大鳴門橋で繋がり、本州と四国を結ぶ高速バスが多数走っている。明石海峡大橋が開通するまで、本州へはフェリーや高速船しか移動手段がなかったために非常に不便だったが、現在は利便性もバッチリ。そのせいでストロー現象が発生したけど。神戸淡路鳴門自動車道中にある淡路SAはJB本四高速の休憩施設の中でも最大規模を誇り、総売り上げは全国トップクラスを誇る。2006年にはなぜか観覧車ができ、新しい観光スポットとなりつつある。ちなみに、なんでこんなにアクセス面で恵まれているのかというと、自民党の有力者であった原健三郎氏が淡路島出身だったためである。
なお、2010年末にたこフェリーこと明石淡路フェリーが休止したため、現在淡路島への航路は高速船のみとなっている。そのため、自転車を除く軽車両・原付・小型自動二輪車・ミニカーが自走で淡路島へ出入りする手段は存在しなくなった(2つの大橋はどちらも自動車専用道路のため)のでツーリング目的で興味がある人は注意が必要である。
2015年8月に新たに就航した淡路ジェノバラインの新型双胴船『まりん・あわじ』のおかげで、明石~岩屋間であれば125cc以下のオートバイが淡路島に行けるようになった。公式HPの、黒文字で書かれた便が対象となる。
また、以前は関西空港行きの高速船があったが、2007年に航路が廃止されたので現在和歌山方面へは遠回りをしなければならない状況にある。
2017年に淡路ジェノバラインの子会社「淡路関空ライン」が設立され、約10年ぶりに洲本港~関空間の航路が復活した。
島内には電車が存在しないため(かつては存在したが現在は廃線)、島内の移動手段はもっぱら自動車もしくはバスによる。ただし、島内を走る淡路交通バスは全国一料金が高いと悪名高い料金設定であるため、旅行の際は自動車を利用した方が賢明である。
掲示板
74 ななしのよっしん
2024/05/30(木) 20:34:26 ID: d7q7bznSJQ
タクシー会社の先輩が無線で「行先 淡路方面」のお客さんに呼ばれて詳細な目的地を聞いたら阪急の淡路駅じゃなくて淡路島だったという事がある
75 ななしのよっしん
2024/06/06(木) 09:02:19 ID: r1kjZn5PiG
最近はパソナが社員移住させたりあちこちレジャー施設作ったり着々と侵略を進めてるな…負けるなえみちゃん。がんばれえみちゃん。
76 ななしのよっしん
2025/02/10(月) 18:49:17 ID: Z8eXcqkE4d
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最終更新:2025/03/24(月) 04:00
最終更新:2025/03/24(月) 04:00
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