角中勝也 単語

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角中勝也(かくなか かつや1987年5月25日-)とは、石川県出身のプロ野球選手外野手)である。現在千葉ロッテマリーンズに所属。

概要

小学校から野球を始め、中学校ではシニアに所属した。

日本航空第二高校時代は甲子園に出場した経験はなかった。

高知時代

2006年四国アイランドリーグ高知ファイティングドッグスに入団。85試合に出場し、打率.253、4本塁打、28打点マークした。

その後2006年大学生社会人ドラフト7巡千葉ロッテマリーンズに入団。背番号61
読売ジャイアンツに5巡名された深沢和帆と共に、四国アイランドリーグ出身者では初めて育成ではなく本ドラフト名された選手になった。

ロッテ時代

2008年4月16日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で四国アイランドリーグ出身者初のホームランを放つ。1年は10試合だった。


2011年8月12日から一軍に定着。8月28日オリックス・バファローズ戦で5打数5安打と固め打ちし、9月30日北海道日本ハムファイターズ戦でサヨナラタイムリーを放つなど活躍した。最終的には自己最多の51試合に出場、打率.266をマークした。


2012年は開幕一軍こそ逃したが、ファームで高打率記録すると4月中旬には一軍へ昇格。6番、7番、1番といった打順を経て5月からは5番打者として定着し、クリーンナップの一員としてチームを牽引した。交流戦では打率.349マークして交流戦首位打者き、またプラスワン投票独立リーグ出身者としては史上初となるオールスターへの出場を果たした。
後半戦もロッテ打線の中軸を担い続け、独立リーグ出身者としては初となる首位打者タイトルを獲得した。最終的な成績は打率.312、3本塁打、61打点外野手ベストナインにも選出された。これも独立リーグ出身者として史上初。


2013年WBC日本代表に選出される。レギュラーとして活躍し、2010年以来のクライマックスシリーズ進出に貢献。


2015年は怪で111試合に留まった。


2016年シーズンを通して好調だった。一時期は打率.350マークするなど高打率キープ終わってみれば打率.339で二度首位打者、さらに最多安打タイトルを獲得した。ちなみに打率ランキング2位西川遥輝に2分5厘の差をつける圧倒的なトップであり、パ・リーグ2位に2分5厘の差をつけての首位打者イチロー以来だった。オフ背番号3に変更した。


2017年4月3日に右を痛め戦線離脱。5月23日に復帰したがなかなか調子が上がらず.250前後をうろうろする状態が続いた。8月打率.372マークするなど次第に調子を上げ9月24日日本ハム戦でランニングホームランも放ったが、最終的には打率.269に終わり、2年連続で打率3割には届かなかった。


2018年3月20日埼玉西武ライオンズ戦(オープン戦)の練習中にフェンスに突し、胸椎圧迫骨折で全治5週間の重傷を負った。5月11日に戦列復帰。復帰後は4番、7月以降は井上晴哉に4番を譲りに5番に座った。復帰直後は絶好調で6月打率.395をマークMVPいた。しかし場以降は8月.2059月.209と大きく調子を崩しチーム失速の一因ともなった。最終成績は.265、7本塁打、57打点となった。


2019年は開幕は5番で迎え、4月井上晴哉が打撃不振に陥った際は4番として起用された。1000試合出場、1000安打を立て続けに達成(共に独立リーグ出身としては初)するが、成績は不振が続き更に離れで戦線離脱となり前半戦は打率.222に終わる。後半戦は復調の気配も見せたがレオネス・マーティンの加入もありスタメンを外れる試合も多く、レギュラー定着以降到達していた規定打席にも到達できなかった。


2020年は開幕こそ2番・指名打者でスタメンだったが、打率1割台と前年以上の不振に陥り、さらに出場機会が減少。9月には打率3割をマークするなど持ち直したが、10月にはチーム新型コロナウイルス集団感染の一人となり離脱。最終的にレギュラー定着後初めて出場は100試合を割り、打率.244に留まった。


2021年107試合の出場で打率.244、29打点に終わった。チーム2位に終わったため、銀色に染めた。


2022年は53試合の出場で打率.256、1本塁打、11打点に留まった。


2023年レギュラーとして出続けるのが難しく、代打で結果を出したいと考えを変える。7月24日ソフトバンク戦でプロ入り初の代打逆転サヨナラホームラン記録。86試合の出場で打率.296、キャリアハイの9本塁打、39打点記録した。

プレースタイル

ホームベースにかなり近いところに立ち、重心を低くする特徴的な打撃フォームをしている。ホームベースに寄っているため死球を受けることも多く、2015年は手首に死球を受け骨折してしまったこともある。また、2ストライクと追い込まれるとノーステップ打法に切り替え、長打を捨てたミート重視のバッティングスタイルとなる。この状態の中は対戦投手からすれば非常に厄介であり、一般的な”2ストライクまで追い込まれた打者のリーグ打率”が2割弱なのに対し、中の場合は3割もある。

現在日本プロ野球における「悪球打ち」といえばこの人。顔付近に来る球、ワンバウンドの球も気で打ち返し、ヒットにする。ホームランにしたこともある。本人く「タイミングさえ合えばどんな球でも打ち返せる」とのこと。中の悪球打ちは「変態打ち」と呼ばれしまれている。何故かパ・リーグTV定期的変態打ち特集の動画をUPしており、それによってパ・リーグファンの多くが知ることとなった。

打率3割を打った年は首位打者タイトルをとっている(2012年2016年)。

なんか鈍足っぽいが毎年そこそこ盗塁しており、また走塁は上手い。

名誉育成枠出身選手

ドラフト7位で名された中だがなぜか育成ドラフトで指名された選手と勘違いされる。

ファンにも勘違いされていたり、またテレビ解説でも間違われたりもする。

これは独立リーグ出身者は育成上がりの選手が大半なためかと思われる。また、同僚で同じような名字本当に育成選手多がいたり、同僚の同じ外野手育成枠から支配下登録し活躍した岡田幸文がいるため混同されてる可性もある。

人物

独立リーグ出身のプロ野球選手としては最も結果を残しているため「独立」という呼ばれ方をされることもある。

息子を絶対にプロ野球選手にする」という実によって、3歳の頃からバットを持って野球練習をしていた(させられていた)。からの導はスパルタそのものであり、勝也少年は嫌々練習に取り組んでいた。その生活たるや、3歳の頃から毎日1キロロードワークを課す自宅の倉庫を改造して打撃マシーンを置き室内練習場にして学校のない日も鍛えさせる夏休みの宿題に木彫りでバットを作らせる等壮絶なものであった。く次男はを怖がっていたが、長男中は物応じしないうえ体が強く、小学校マラソン大会で優勝するなど素質があると思っていたという。
現在プレー中に笑顔を見せることもあるが、それについては「勝也がこんなに楽しそうに野球をやっているのを見たことがない」と発言した。中自身も「(高校時代までは)はっきり言ってやらされていた」としながらも「独立入りして野球の楽しさを感じて、これで食っていこうかなと思った」と発言している。

プロ入り時の背番号は61だったが(2017年から3)、アイランドリーグ時代につけていた9を標としている[1]

2015オフシーズンには地元石川に帰省中、隣県富山にて行われた石川歩西野勇士トークショーをおびで観覧。ほぼ変装なしで行ったのににも気づかれなかった。

ZOZOマリンスタジアムに近いアパホテル東京ベイ幕張運営するアパグループとは球団も含め交があり、アパデーのヒーローインタビューアパ社長(美子)にイジられタジタジだったり、アパグループのディナーショーに5年連続で出席した為、カレー30キロを贈呈されたりしている。

畜生キャラ

ロッテ入団当初は人見知りで寡黙な性格だったが、中心選手となった現在ではかなり明るく、畜生な面も見え隠れするようになっている。以下中の畜生エピソードをまとめる。

応援歌

球団 レス No プレイヤー
ロッテ 応援歌のピコカキコ一覧 8571
8571

成績

年度別打撃成績









































2007年 ロッテ 9 17 17 2 4 0 0 0 2 0 0 0 0 0 4 1 .235 .235
2008年 10 23 18 2 2 0 0 1 1 0 1 0 4 0 4 0 .111 .273
2009年 10 21 18 1 3 0 1 0 1 1 1 0 2 0 5 0 .167 .250
2010年 13 23 18 1 0 0 0 0 0 0 1 0 4 0 6 0 .000 .182
2011年 51 171 154 9 41 5 1 0 10 2 1 3 9 4 30 2 .266 .318
2012年 128 525 477 52 149 30 5 3 61 8 1 4 38 5 67 9 .312 .366
2013年 125 525 462 65 133 26 6 5 43 10 6 3 40 4 63 3 .288 .360
2014年 133 544 451 62 125 22 5 8 57 9 7 4 76 6 66 4 .277 .385
2015年 111 484 427 57 125 25 5 6 52 8 7 2 47 1 52 12 .293 .363
2016年 143 607 525 74 178 30 5 8 69 12 2 6 68 6 64 8 .339 .417
2017年 110 452 383 44 103 17 4 8 44 6 1 2 62 4 44 6 .269 .375
2018年 112 470 411 44 109 23 2 7 57 3 0 6 50 5 63 9 .265 .345
2019年 108 435 368 47 95 17 1 8 48 2 3 4 55 5 63 10 .258 .359
2020年 84 254 217 21 53 9 3 2 15 2 7 1 24 5 41 7 .244 .332
2021年 107 326 275 33 67 19 1 0 29 1 2 5 40 4 51 4 .244 .343
2022年 53 138 129 10 33 4 0 1 11 1 0 0 9 0 35 0 .256 .304
2023年 86 244 216 20 64 16 1 9 39 1 3 3 21 1 43 0 .296 .357
NPB:17年 1393 5259 4566 543 1284 238 40 66 539 66 43 43 557 50 702 75 .281 .363

国際大会での打撃成績

年度 代表 大会 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
2013年 日本 WBC 5 11 9 3 1 0 0 0 0 1 1 0 1 0 2 0 .111 .200

通算守備成績

機構 守備位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
NPB 外野手 1088 1842 54 27 7 .986

記録

初出場 2007年7月24日 福岡ソフトバンクホークス14回戦 福岡Yahoo!JAPANドーム
安打 2007年7月26日 福岡ソフトバンクホークス16回戦
西山から
打点 福岡ソフトバンクホークス16回戦
柳瀬明宏から 
本塁打 2008年4月16日 東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦
ドミンゴ・グスマンから
千葉マリンスタジアム
盗塁 2009年9月25日 オリックス・バファローズ22回戦
岸田護俊哉から
1000安打 2019年5月11日 福岡ソフトバンクホークス8回戦
千賀滉大から
福岡ヤフオク!ドーム
1000試合出場 2019年5月25日 福岡ソフトバンクホークス11回戦 ZOZOマリンスタジアム

タイトル・表彰・その他

タイトル
首位打者 2回 2012年2016年
最多安打 1回 2016年
JA全農Go・Go賞 1回 2012年
ベストナイン 1回 2012年
その他
オールスターゲーム出場 3回 2012年2015年2016年

関連動画

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関連項目

外部リンク

脚注

  1. *入団以来のロッテ背番号9は福浦和也が付けている。現在サブローの付けていた背番号3を着用。
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