田中将大(たなか まさひろ、1988年11月1日-)とは、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)である。現在は読売ジャイアンツに所属。
愛称は「マー」「マー君」「まさお」など。一部のファンには「まーりゃん」「ドルオタピッチマン」と呼ぶ者もいる。
偉大な功績からもはや「君」呼びなど畏れ多いということからネット上では「マーさん」と呼ばれることもしばしば。
連続勝利記録のギネス世界記録を保持。2014年から2020年まではメジャーリーガーだった。
読売ジャイアンツ #11 | |
---|---|
田中将大 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県伊丹市 |
生年月日 | 1988年11月1日 |
身長 体重 |
188cm 93kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2006年高校生ドラフト1巡目 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
五輪 | 2008年、2021年 |
WBC | 2009年、2013年 |
プロ野球選手テンプレート |
小学校時代は坂本勇人とバッテリーを組んでいた(別に親友とかではなくチームメイトの一人)。
ちなみに当時は、坂本が投手で田中が捕手であった。
北海道の駒大苫小牧高校に進学。2年生時、事実上の主戦投手として甲子園連覇に大きく貢献。決勝戦で投じた最後の一球が150km/hを計測し、俄然プロから注目を浴びる。
3年次はエースとして3連覇に挑み、決勝で早稲田実業の斎藤佑樹と延長15回引き分け再試合という熾烈な投げ合いを演じて甲子園を大いに沸かせた。結局再試合で敗れ3連覇はならず。
ちなみに愛称の「マー君」は日米選抜大会に出場した際に、斎藤からこう呼ばれていたと明かしたのが由来。
斎藤が早稲田大学への進学を表明したこともあって、その年のドラフトでは高校生最大の目玉として横浜ベイスターズ、オリックス・バファローズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、北海道日本ハムファイターズから1位指名を受け、くじ引きの結果楽天が交渉権を獲得。契約金1億、年俸1500万という最高額で契約を交わした。
魔球とも称される縦の高速スライダーは独特の変化を見せ、解説者が球種を間違えることも少なくない。そのため田中のハイライト動画においては、投げた球種について意見するコメントが集中しやすい。
楽天時代は、駒大苫小牧時代の活躍もあって日本ハムファンにも人気がある。2008年に札幌ドームでの日本ハム戦で勝利した際、特別にヒーローインタビューが場内に流され(普通は敵チームのヒーローインタビューは流されない)、日本ハムファンからも温かい拍手を浴びた。
2006年甲子園決勝の一件があるためか、何かと斎藤佑樹の比較対象となる。
田中本人も以前は嫌がっていたが、スルースキルを覚えたことにより対処できるようになった。
投手陣が手薄なことと、当時の楽天・野村克也監督の「マーくんは、実戦でドンドン経験を積ませていった方が、絶対に伸びる」という方針から、高卒ルーキーながら開幕から一軍のローテーション入り。
公式戦初登板では福岡ソフトバンクホークス打線にメッタ打ちにされる(でも打線の援護で黒星は消えた)。が、登板4試合目でソフトバンク相手に完投で初勝利を挙げリベンジを果たすと、その後はソフトバンクを完全にカモにし、結局この年ソフトバンクから5勝を挙げた。ちなみに「四本柱」と呼ばれるソフトバンクの4投手(斉藤和巳、杉内俊哉、和田毅、新垣渚)の全員に投げ勝っている。
一時期、リードを許して降板したものの、その後打線が奮起し田中の負けを消してしまうことが多く、野村監督から
「マー君 神の子 不思議な子」とまで言われた。
1年目ながらオールスターに出場。だが散々打たれて敗戦投手に。
結局高卒ながら11勝(7敗)し、同じく11勝した西武ライオンズの岸孝之を抑え新人王を獲得した。
高卒投手の新人王は松坂大輔(西武)以来である。
北京オリンピック野球日本代表に選出。本大会では3試合7イニングを無失点に抑えた。
一方でペナントの勝ち星はムエンゴが多く惜しくも9勝どまりで、二桁にはあと一歩及ばなかったが、岩隈久志に次ぐローテーションの柱としての地位を確かなものにした。
WBC日本代表に最年少で選ばれる。先発ではなく中継ぎでの起用が中心だったが役割を果たし、連覇に貢献する。
ペナントが開幕すると、いきなり『4試合連続完投』+『4連勝』で4月を終え、初の月間MVPに輝く。
その後連勝記録は7まで伸びたが、8勝目を得た後は勝ち星が遠のいた。
しかし、9勝目を得てからは再び勝ち星を積み重ね、8月には二度目の月間MVPに選ばれる。
クライマックスシリーズでは第1ステージ、第2ステージともに先発し、完投勝利を挙げる。
シーズン成績は15勝6敗、防御率2.33。
シーズンオフの契約更改では1億500万円増の1億8000万円で更改。
シーズン開幕前に沢村賞宣言をするも、ムエンゴに悩まされる。神の子とは何だったのか。
更に6月には大腿の肉離れ、 8月末には右大胸筋部分断裂によりシーズン終盤を棒に振るなど故障にも悩まされる。
シーズン成績は11勝6敗、防御率2.50だったが、奪三振と投球回は過去4年で最低の成績を記録。
シーズンオフには里田まいとの交際も発覚。ちなみに楽天のチームメイトは全く気付かなかったらしい。
2010年同様、キャンプ時に沢村賞宣言をする。同時に2011年はスペらないことも宣言した。
更に岩隈久志から開幕投手の座を奪うことも宣言。
シーズン開幕後は2010年に続き、再度ムエンゴに悩まされる。
一方で新たに習得したSFF(前年の週刊ベースボールの変化球特集に載っていたファルケンボーグ(ソフトバンク)のSFFについて語った記事を見てボールの握り方をモノにした)による奪三振率の増加、防御率の改善(統一球の影響もあるが)など投球内容が大きく向上。6月15日終了時には防御率一位になる程に。
江夏豊以来となる(高卒)ルーキーイヤーからの5年連続100奪三振の記録も達成。
8月27日に首位ソフトバンクから18奪三振を奪い完封勝利。1試合18奪三振は、1995年の野田浩司(オリックス)が記録した19奪三振に次いで歴代単独2位。
シーズン終了時には新人王以来となる最多勝、最優秀防御率、最優秀投手のタイトルを獲得。
完投数、奪三振、イニング数、完封数、無四球数ともに自己最多の記録を更新した。
防御率に至っては1.27と1956年の稲尾和久の1.06に続くパリーグ2位の記録を樹立(2リーグ制以後歴代5位の記録でもある)。
11月4日にはキャンプ時の宣言通り沢村賞も受賞。
名実ともにプロ野球界を代表する投手の一人になった。
兼ねてから交際していた里田まいとの婚約を発表。ところがその直後に自動車の接触事故(人身事故)を起こすというアレな展開(俗に沢村賞の呪いと言われる)で2012年の始まりを迎える。
開幕投手を務めるも敗戦し、更に腰痛で離脱する。
復帰後はエースの意地か、登板時には積極的に長いイニングを投げ、シーズン終了時には両リーグトップの8完投を記録。
最終的には2011年よりも成績は悪化したが、最多奪三振のタイトルを獲得。
WBC日本代表に選出される。背番号17。序盤は打ち込まれ中継ぎに転向したが、WBC球に慣れていき、決勝戦での先発登板が予定されていたが、決勝ラウンドの準決勝で敗れたため、登板はなかった。
レギュラーシーズンでは開幕から連勝記録を重ねる。8月2日の北海道日本ハムファイターズ戦でプロ野球タイ記録となる開幕15連勝を達成。さらに8月の月間MVPを受賞したことで、両リーグ初の4ヶ月連続月間MVPも達成し通算11度目はオリックス・ブルーウェーブ時代のイチローを抜いて両リーグ単独最多となった。9月6日の北海道日本ハムファイターズ戦を勝利し開幕20連勝を飾り、稲尾和久の単独シーズン20連勝のプロ野球記録に並び、1912年にルーブ・マーカード(ジャイアンツ)が記録した開幕19連勝を超える“世界記録”も達成。9月26日の埼玉西武ライオンズ戦ではリリーフで登板。ランナーを二人抱えたが、栗山巧と浅村栄斗をストレートで討ち取り、楽天史上初の優勝を決め、田中は胴上げ投手となった(詳細は田中の8球を参照)。最終成績は24勝0敗1セーブ、NPB歴代新記録の勝率1.000、防御率1.28、WHIP0.94を記録し、二度目の沢村賞を受賞。
ポストシーズンでも負けなしで勝ち進んだが、読売ジャイアンツとの日本シリーズ第6戦目。日本一に王手をかけマウンドに上がったが、対策を練ってきた巨人打線に打ち込まれ、その後9回まで160球投じたが、初めて敗戦投手となる。その後マウンドに上がることはないと思われたが、なんと翌日の第7戦の9回のマウンドに上がった。ランナーを背負ったが、巨人打線を無失点に抑え、楽天は球団初の日本一を達成。田中はレギュラーシーズン、クライマックスシリーズに引き続き、3期連続で胴上げ投手となった。
12月25日、MLB入りを目指すため、ポスティングシステムが申請された。
田中の移籍先の最終候補としてニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブス、シカゴ・ホワイトソックス、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの5球団が有力視されていた。この頃になると、アメリカメディアは田中の動向に敏感になっていて、田中がツイッターで「(Twitterのアイコンをどれにするか)決めれん」とつぶやいたところ、なぜか「決まった」と誤訳され、「ついに球団を選んだ!」と勝手に解釈され大きく報道されるなどの事件も起こった。
そして2014年1月22日、アメリカメディアは田中がニューヨーク・ヤンキースと7年総額1億5500万ドルで契約したと報じた。投手としては、クレイトン・カーショウ、ジャスティン・バーランダー、フェリックス・ヘルナンデス、CC・サバシアに次ぐメジャーリーグ史上5番目の高額契約である。背番号19。
開幕ローテーション入りし、デビュー戦となったトロント・ブルージェイズ戦(4月4日)では7回3失点と好投し、メジャー初勝利。これが日米通算100勝となった。その後もメジャーの舞台で連勝していたが、5月20日のシカゴ・カブス戦では4失点でメジャー初黒星。楽天時代から続いていた連勝記録も34でストップした。メジャー記録タイ記録となる16試合連続クオリティー・スタート(6回以上投げて自責点3点以内に抑えた時に記録)を達成し、オールスターに選出されるなど順調だったが、7月10日に右肘の痛みを訴え故障者リスト入り。診断の結果、右肘の靭帯断裂で戦線を離脱することになった。前半戦終了時点で12勝4敗、防御率2.51。9月21日のトロント・ブルージェイズ戦で復帰し、13勝目を挙げたが、ボストン・レッドソックス戦で5失点でKO負け。メジャー1年目を13勝5敗、防御率2.77で終えた。
前年の肘の故障が懸念されていたが、8月28日のアトランタ・ブレーブス戦で10勝目を挙げ、ダルビッシュ有以来のデビューから2年連続二桁勝利を達成。
ア・リーグ地区シリーズ進出決定戦で登板したが、2被本塁打2失点で敗戦投手となり、15年シーズンを終えた。
シーズン開幕前に第1子が生まれた。
オープン戦では不調だったが、2年連続で開幕投手を務める。ダルビッシュ有以来のデビューから2年連続二桁勝利を達成。メジャー3年目にして初めて規定投球回に到達し、チームトップの14勝を挙げた。
第4回WBCは不参加だった。
開幕戦で3回7失点と炎上。その後も不調に苦しみつつも、8月27日のシアトル・マリナーズ戦で10勝目を挙げ、4年連続2桁勝利を挙げた。9月2日のボストン・レッドソックス戦でメジャー通算50勝を達成。好不調の波に悩み、13勝12敗だった。
ポストシーズンでは地区シリーズ第3戦で7回3安打無失点、ア・リーグ優勝決定シリーズ第5戦で7回3安打無失点で2勝を挙げる。2勝は日本人メジャーリーガーでは5人目である。
27試合に登板し、12勝6敗、159奪三振、防御率3.75の成績を挙げたが、5年連続2桁勝利は日本人史上初だった。
地区シリーズでは第2戦で勝利投手となり、第4戦ではブルペンで待機していたが、登板することはなく、チームは敗退した。
2年ぶり4回目の開幕投手を務め、6回2失点で勝利投手となった。オールスターには代替として選出され、1回無失点と好投して、直後に味方打線が得点を入れたことで日本人メジャーリーグ初の勝利投手となった。32試合の登板で11勝を挙げ、ヤンキースの7年ぶりの地区優勝に貢献した。
地区シリーズではミネソタ・ツインズに全焼したが、リーグチャンピオンシップシリーズでは1勝1敗で敗退した。オフに右肘のクリーニング手術を受けた。
新型コロナウイルスの流行の影響でシーズン開幕が7月にずれ込む。シーズン開幕を前にジャンカルロ・スタントンの打撃投手を務めていたが、打球を頭部に受け、幸い病院で軽い脳震盪と診断された。そのためシーズン開幕から約一週間後の8月にシーズン初登板となった。10試合に登板し3勝3敗だった。オフにFAとなり、長きに綿って所属先が決まらなかった。
1月28日に古巣の楽天に復帰し、2年契約を結んだ。背番号は18。年棒は9億円で巨人の菅野智之を超えた。入団会見では「震災から10年で意味あるタイミング」「日本で投げたい気持ちがあった」と述べた。
ヤンキースに関してはGMが新型コロナウイルスでシーズンがいつ始まるかも不透明な要素ばかりな上、コーリー・クルーバーなどの投手の補強を行ったことで財政に余裕がなかったことを明かしているが、再契約の可能性については「これからもオープン、ドアを閉めることはない」と返答した。
4月17日の北海道日本ハムファイターズ戦が日本球界復帰後初登板となったが、5回3失点で敗戦投手となり、2012年から続いていた連勝記録は28で止まった。4月24日の西武戦で日本球界復帰後初勝利を挙げたが、これがNPB通算100勝となった。楽天のみでの達成は史上初である。規定投球回に到達したが4勝9敗と打線の援護に恵まれなかった。
5月3日の日本ハム戦で通算1500投球回を達成。10月2日のオリックス戦で敗れたことで二桁勝利に届かず、パ・リーグワーストの12敗に終わった。オフに楽天と再契約を結んだが、契約更改では9億円から47%減の4億7500万円でサインした。
2012年以来11年ぶりに開幕投手を務める。日本ハム打線相手に5.2回を1失点で締め、エスコンフィールドHOKKAIDO初の勝利投手となった。10年ぶりにオールスターゲームに選出され、第1戦で登板した。この年も7勝11敗と負け越し、日米通算200勝まで残り3勝となった。オフに右肘のクリーニング手術を受けた。
状態が上がらなかったため長きに渡って二軍で過ごした。1試合の登板で1敗に終わった。契約更改では減額制限を超える減棒を提示されていたが、これを拒否したことで自由契約となった。
2024年12月24日に読売ジャイアンツと契約したことが発表された。背番号は11。
年度 Year |
球団 Team |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
ホールド HLD |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007年 | 楽天 | 28 | 28 | 4 | 1 | 11 | 7 | 0 | 0 | .611 | 186.1 | 68 | 196 | 83 | 79 | 3.82 |
2008年 | 25 | 24 | 5 | 2 | 9 | 7 | 1 | 0 | .563 | 172.2 | 54 | 159 | 71 | 67 | 3.49 | |
2009年 | 25 | 24 | 6 | 3 | 15 | 6 | 1 | 0 | .714 | 189.2 | 43 | 171 | 51 | 49 | 2.33 | |
2010年 | 20 | 20 | 8 | 1 | 11 | 6 | 0 | 0 | .647 | 155.0 | 32 | 119 | 47 | 43 | 2.50 | |
2011年 | 27 | 27 | 14 | 6 | 19 | 5 | 0 | 0 | .792 | 226.1 | 27 | 241 | 35 | 32 | 1.27 | |
2012年 | 22 | 22 | 8 | 3 | 10 | 4 | 0 | 0 | .714 | 173.0 | 19 | 169 | 45 | 36 | 1.87 | |
2013年 | 28 | 27 | 8 | 2 | 24 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 212.0 | 32 | 183 | 35 | 30 | 1.27 | |
2014年 | NYY | 20 | 20 | 3 | 1 | 13 | 5 | 0 | 0 | .739 | 136.1 | 21 | 141 | 47 | 42 | 2.77 |
2015年 | 24 | 24 | 1 | 0 | 12 | 7 | 0 | 0 | .632 | 154.0 | 27 | 139 | 66 | 60 | 3.51 | |
2016年 | 31 | 31 | 0 | 0 | 14 | 4 | 0 | 0 | .778 | 199.2 | 36 | 165 | 75 | 68 | 3.07 | |
2017年 | 30 | 30 | 1 | 1 | 13 | 12 | 0 | 0 | .520 | 178.1 | 41 | 194 | 100 | 94 | 4.74 | |
2018年 | 27 | 27 | 1 | 1 | 12 | 6 | 0 | 0 | .667 | 156.0 | 35 | 159 | 68 | 65 | 3.75 | |
2019年 | 32 | 31 | 1 | 1 | 11 | 9 | 0 | 0 | .550 | 182.0 | 40 | 149 | 95 | 90 | 4.45 | |
2020年 | 10 | 10 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 48.0 | 8 | 44 | 25 | 19 | 3.56 | |
2021年 | 楽天 | 23 | 23 | 1 | 0 | 4 | 9 | 0 | 0 | .308 | 155.2 | 29 | 126 | 54 | 52 | 3.01 |
2022年 | 25 | 25 | 1 | 1 | 9 | 12 | 0 | 0 | .429 | 163.0 | 30 | 126 | 65 | 60 | 3.31 | |
2023年 | 24 | 24 | 0 | 0 | 7 | 11 | 0 | 0 | .389 | 139.1 | 38 | 81 | 79 | 76 | 4.91 | |
2024年 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 5.0 | 2 | 1 | 4 | 4 | 7.20 | |
NPB:11年 | 248 | 245 | 55 | 19 | 119 | 68 | 3 | 0 | .636 | 1778.0 | 374 | 1572 | 569 | 528 | 2.67 | |
MLB:7年 | 174 | 173 | 7 | 4 | 78 | 46 | 0 | 0 | .629 | 1054.1 | 208 | 991 | 476 | 438 | 3.74 |
年度 | 代表 | 大会 | 登板 | 先発 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年 | 日本 | 五輪 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7.0 | 3 | 9 | 0 | 0 | 0.00 |
2009年 | WBC | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2.1 | 0 | 5 | 1 | 1 | 3.86 |
タイトル | |||
---|---|---|---|
NPB | 最多勝利 | 2回 | 2011年、2013年 |
最優秀防御率 | 2回 | 2011年、2013年 | |
最多勝率 | 2回 | 2011年、2013年 | |
最多奪三振 | 1回 | 2012年 | |
表彰 | |||
NPB | 新人王 | - | 2007年 |
月間MVP | 12回 | 2009年4月・8月、2010年5月、2011年6月・7月・10月 2012年6月、2013年5月-9月 |
|
沢村賞 | 2回 | 2011年、2013年 | |
最優秀バッテリー賞 | 2回 | 2011年(嶋基宏)、2013年(嶋基宏) | |
ベストナイン | 2回 | 2011年、2013年 | |
ゴールデングラブ賞 | 3回 | 2011年-2013年 | |
MLB | ピッチャー・オブ・ザ・マンス | 1回 | 2014年5月 |
その他 | |||
NPB | オールスターゲーム出場 | 6回 | 2007年-2009年、2011年-2013年 |
1試合18奪三振 | 1回 | 2011年8月27日 | |
開幕投手 | 2回 | 2012年、2023年 | |
MLB | 開幕投手 | 4回 | 2015年-2017年、2019年 |
MLBオールスターゲーム出場 | 2回 | 2014年、2019年 |
掲示板
809 ななしのよっしん
2024/12/31(火) 10:07:25 ID: QYaFNI/EFS
巨人としは村田修一を本人のためを思ってトレード要員ではなく自由契約にしたら、どこからも拾われずに終わっちゃったのがトラウマになっているんかなぁという今回の田中将大獲得やったね…
村田修一も結局引退の翌年に巨人がコーチで拾ったからなぁ
810 ななしのよっしん
2025/01/02(木) 03:32:17 ID: 1hG+FkmavM
村田修一の場合はスタメンから外されてベンチ温める様になったら居眠りしてる様子をカメラにバッチリ収められたってのもあるから素行に問題が無かった訳じゃないし当時サードの需要がどこも埋まってたから獲りに行かないのも仕方ない
811 ななしのよっしん
2025/01/03(金) 19:02:21 ID: ztIIRJhj0g
田中自身もムスっとしてて後輩に慕われてる感あんまり無いからなぁ… 尊敬されてて近づけないとかだったらいいけど安樂の件で大分マイナスだし
けどここでちょっと頑張ればその後大きく変わるんだし頑張ってねって感じ
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最終更新:2025/02/07(金) 05:00
最終更新:2025/02/07(金) 05:00
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