謎の萌え感とは、とある動画を見た人々が感じた、不思議な感覚のことである。
自分はその動画のどこに萌えを感じているのか?
近年の「萌え」ムーブメントにおいては、キャラクターの細分化、要素化により、キャラクターへの萌えを記号化するメソッドが創作者、受け手或いは分析者の間で確立されてきたが、ことハンマー動画においてはその手法が通用しない。
視聴者は、ハンマー動画に萌えを感じていることはを自覚しつつも、動画内に既存の分析可能な「萌え要素」に当てはまるものを見出せずに、困惑している。
ツンデレ? ロリっ娘? 絶対領域?
それ以前にハンマー動画には一部の例外を除きキャラと呼ぶべきものが登場しない。画面にはただただ顔のない金槌が踊るばかりである。
「ハンマー」としか形容の出来ないジャンルが、多くの視聴者に受容され、萌えの対象と認識されていることはいったい何を意味しているのか?
それは、互換性をもつコンポーネントの組み合わせとして産業化された「萌え」への反逆か?
それとも、単に新たなコンポーネント(萌え要素)が提示されたに過ぎないのか?
コンテクストを読み解く技術の帰結として、「読み手」の側が創作者側による視覚的な擬人化プロセスを経ずにキャラクターとしての無生物[1]への愛着を認識することが可能になったのか?
私達は、画面の向こうで踊るハンマーにいったい何を重ねているのか?
萌とはいったい何なのか?
多くの謎を残しつつ今月もハンマーは踊り、視聴者はそれに見入った。
しかし、本来「萌」とはキャラを提示されて初めて存在するものではなく、「読み手」の側が「キャラクター」と「愛着」を見出すことによって初めて存在しえたはずである。
ならば、視聴者が「ハンマー」に「萌えている」ことこそが萌えの原存在としてはむしろありうべき形であり、その脱構築と再構築は二次的な作業であって単なる方法論に過ぎない。
しかし、筆者の考えでは「ハンマー萌え」は謎のままであって、その再構築はおそらく不可能な作業になるだろう。
おそらく来月11日にも多くのハンマーが我々の前に姿を現すであろう。
しかしそうしたハンマーたちは謎の解明に資するよりも、むしろより多くの謎を視聴者に提示していくだろう。そんな気がしてならない。
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最終更新:2024/04/24(水) 14:00
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