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1 ななしのよっしん
2015/02/01(日) 23:49:38 ID: okYOupowK4
ひらがな時代は「わしう」だったのに
漢字時代は「わしゅう」になったんだ
2 ななしのよっしん
2015/03/23(月) 13:55:44 ID: 8IkyNAq5Kh
夜行の鷲羽が廃止されたのは昭和55年で国鉄の値上げが続いてた時期でもあるが、宇野での接続が余りに使いにくい時間帯だったのも要因じゃないかと思う……
手元に昭和53年(1978年)10月改正の時刻表があるがこんな感じ。
(下り)新大阪23時21分→宇野2時28分 宇野2時45分→高松3時45分
(上り)高松0時26分→宇野1時26分 宇野1時35分→新大阪5時26分
1~2時台に宇野駅で列車と航路の乗継を強いられた。
当時すでに、現在のジャンボフェリーの原形である関西汽船や加藤汽船の航路が大阪港・東神戸港~高松港の間を深夜発早朝着で出とったようだし、乗り換えの手間が省けるからそっちに流れてたんじゃないかと推測。
3 ななしのよっしん
2022/04/26(火) 01:57:42 ID: QckLrj7BXO
山陽新幹線開業後、本四連絡の本州側の主役は
岡山駅~宇野駅間を1時間間隔で運行される、通称宇野快速が担うことになった。
これを補完する意図で、鷲羽は夜間急行のみの存在となった。
関西&加藤汽船フェリーは安価ではあったが、所要時間において国鉄の敵ではなかった
汽船の場合、フェリーに乗るまでの乗り換え、フェリーを降りた後もまた乗り換えがあるため手間もかかった。
結局のところ、新幹線の高速性にも勝てなかったということであろう。
以前より早く宇野駅に着けるようになり
わざわざ夜行の時間帯に宇高連絡船にのる需要がなくなったのだ。
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