アグネスフローラ 単語


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アグネスフローラ

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アグネスフローラAgnes Flora)とは、1987年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牝馬。

オークス馬の母を持ち、5戦5勝で桜花賞を勝ち、母として2頭のクラシックホースを産んだザ・名牝。

主な勝ち鞍
1990年:桜花賞(GⅠ)

概要

父*ロイヤルスキー、母アグネスレディー、母父*リマンドという血統。
父はアメリカからのBold Ruler系の輸入種牡馬で、競走成績はG1を1勝。種牡馬としても直仔の日本でのGⅠ馬はアグネスフローラのみだったが、地方の名種牡馬となったワカオライデンを輩出したり、母父として優秀な成績を残すなどそれなり以上に活躍した。
母は1979年のオークス馬で、アグネス軍団と河内洋騎手に初の八大競走勝利をプレゼントした。古馬でも京都記念・朝日チャレンジカップと混合重賞を2勝するなかなかの女傑であった。
母父はイギリスからの輸入種牡馬。自身のG1勝ちはないが、日本ではダービー馬オペックホースやオークス馬テンモンなどを輩出した。

ちなみに前述のワカオライデンも父ロイヤルスキー×母父リマンドであり、この配合はニックスと呼ばれたりしたとかしなかったとか。

1987年6月18日、三石町の折手正義牧場で誕生。オーナーは母と同じく、「アグネス」冠名の渡辺孝男。所属厩舎も母を管理した長浜彦三郎師の息子である長浜博之厩舎で、担当厩務員も母と同じ、そして主戦騎手も母と同じ河内洋で、全レースに騎乗した。

※この記事では当時の表記に合わせ、馬齢を数え年(満年齢+1歳)で表記します。

豊穣の女神は桜を咲かす

現役時代

デビュー前から陣営は彼女の素質を非常に高く評価していたが、1989年12月9日、阪神・芝1200mの新馬戦でデビューすると、逃げて2着を10馬身ぶっちぎる圧勝デビューを飾る。なお、このときが生涯唯一の2番人気。あとはずっと1番人気であった。

明けて4歳、京都芝1400mの500万下条件戦・若菜賞も逃げて3馬身差で楽勝。3戦目のエルフィンステークス(OP)では初めての不良馬場のレースとなったが、3番手でレースを進めると4コーナーで持ったまま前を捕まえてあっさり先頭に立ち、直線で河内洋の鞭が2発入るとあとはほとんど追うことすらもなく、「しかし、アグネスが強い!アグネスが強い!」という実況とともにコニーストンとエイシンサニーの追撃を悠々振り切って完勝。

トライアルのチューリップ賞(OP)では単枠指定され1.6倍の断然人気。ここも4番手の好位で進めると持ったまんまで外を回して進出。直線では逃げた芦毛の2番人気ケリーバッグが粘ったが、力強く差し切って無傷の4連勝。「アグネスフローラ一足先に満開近し!」という実況とともに、桜花賞の絶対的大本命の地位を確固たるものとする。

というわけで迎えた桜花賞(GⅠ)では当然の単枠指定、2.2倍の1番人気。重馬場でのレースとなったが、スタートから先行争いが激しく、前半からハイペースで縦長の展開となる。アグネスフローラは前のハイペースには付き合わず、6番手あたりに構えた。3コーナー前ですぐ後ろを走っていた12番スイートミトゥーナ(千田輝彦)が転倒、落馬。後ろの馬が影響を受ける中、アグネスフローラは外を回して進出していったが、さらに4コーナーでも2番手にいた17番レガシーワイス(村本善之)が故障発生し転倒、落馬。これはさすがにアグネスフローラも影響を受け、怯んでさらに外に振られてしまう。そんな状況の中で先に抜け出したのがケリーバッグ。しかし立て直したアグネスフローラは外からそれを追いかけ、直線では馬場の真ん中、2頭が馬体を併せての追い比べに突入。前走に続いて粘るケリーバッグを振り落とし、最後は1と1/4馬身差をつけてゴール板を駆け抜けた。
無傷の5連勝で桜の女王に戴冠し、クリフジ・ヤマイチ以来となる史上2組目の母娘クラシック制覇を達成。渡辺オーナーも母アグネスレディー以来11年ぶりの八大競走制覇となり、アグネステスコの1981年エリザベス女王杯とあわせて馬主として牝馬三冠を達成した。

続く母娘制覇のかかった優駿牝馬(GⅠ)では良血馬ダイイチルビーが新たにライバルに名乗りを挙げたが、アグネスフローラは大外8枠20番ながら堂々の単枠指定、2.5倍の1番人気に支持される。レースはトーワルビーが大逃げを仕掛け、大外枠から好スタートを切ったアグネスフローラは中団に構えた。向こう正面から徐々に進出すると、好位で直線を向き残り400mを切ったところでケリーバッグをかわして先頭へ。あとは直線を押し切るだけ――というところで、後方から猛然と脚を伸ばしてきたのが、5番人気の岸滋彦エイシンサニー! 残り100mで捕まってかわされ、3/4馬身差で無念の2着に敗れた。

レース後、左前脚の軽度の骨折が発覚。三冠目のエリザベス女王杯を目指して休養に入ったが、秋になって屈腱炎を発症、そのまま現役引退となった。

引退後

引退後は故郷の折手牧場……ではなく、千歳市の社台ファームで繁殖入り。なんでもオークス当日に社台ファームの吉田照哉が渡辺オーナーの元を訪れ、「もし売ることがあったら、うちに売ってください」と直談判し、渡辺オーナーがその熱意に動かされたんだそうである。

そしてここからもアグネスフローラは凄かった。第4仔アグネスフライト(父*サンデーサイレンス)は2000年の東京優駿を制し、河内洋(と渡辺オーナーと長浜師)に悲願のダービーをプレゼント。
さらにその全弟の第5仔アグネスタキオンは圧倒的なパフォーマンスで4戦4勝で皐月賞を制し、三冠確実と言われながら屈腱炎でそのまま引退、種牡馬としても2008年のリーディングサイアーに輝く大活躍を見せた。
親子3代クラシック制覇は日本競馬史上初の大記録となり、さらにタキオンがダイワスカーレット、キャプテントゥーレ、ディープスカイの3頭のクラシックホースを送り出して4代まで繋げた。5代制覇はさすがに厳しそうだが……。

ただ、競馬ファンならご存じの通り、タキオン産駒は父に似て脚が脆いことでも知られるが、元を質せばそれは母アグネスフローラからの遺伝なのである。フローラの仔たちはフライト・タキオン兄弟のみならずみんな母に似て脚が脆かった。フローラの血は優秀だが、ガラスの脚の血でもあったのだ。
また、フローラを社台ファームに売ったことで渡辺オーナーの以降の活躍馬は社台ファーム産が中心となった一方、アグネス軍団の礎となったアグネスレディーを生んだ折手牧場とは疎遠になってしまった。アグネスレディーは折手牧場から社台ファームへの移送が決まった際、それを嫌がるように暴れ、移送が延期になった挙げ句に馬運車の中で暴れて背骨を骨折、死亡している。フローラが社台ファームに行かなければフライト・タキオン兄弟は生まれていなかっただろうが、長浜師も折手牧場と疎遠になってしまったことは悔いがあったようで、なかなか難しい話である。

アグネスフローラは2005年、両前脚の蹄葉炎のため18歳で死亡。産駒8頭のうち牝馬は第3仔アグネスセレーネー1頭のみで、そのアグネスセレーネーも産駒は3頭しか残せなかったのだが、そのうちの牝馬2頭、アグネスパサーとアグネスラックが牝系の血を広げており、アグネスパサーの孫から2019年のラジオNIKKEI賞(GⅢ)を勝ったブレイキングドーンが出ている。名血はまだまだ絶えることはなさそうだ。

血統表

*ロイヤルスキー
1974 栗毛
Raja Baba
1968 鹿毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Missy Baba My Babu
Uvira
Coz o'Nijinsky
1969 栗毛
Involvement Intent
Lea Lane
Gleam Tournoi
Flaring Top
アグネスレディー
1976 鹿毛
FNo.1-l
*リマンド
1965 栗毛
Alcide Alycidon
Chenille
Admonish Palestine
Warning
イコマエイカン
1967 鹿毛
Sallymount Tudor Minstrel
Queen of Shiraz
*ヘザーランズ Tenerani
Dark Brocade

クロスNasrullah 4×5(9.38%)

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関連リンク

関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧
  • 1990年クラシック世代
  • アグネスレディー
  • アグネスフライト / アグネスタキオン
  • 河内洋
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