大分トリニータとは、日本のサッカークラブである。ホームタウンは大分県。
清武弘嗣や西川周作といった代表選手を育てるなど、育成には定評がある。
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運営法人は株式会社大分フットボールクラブであり、Jリーグ加盟は1999年。ユニフォームはホームがブルーで、アウェーがグレー。
ホームスタジアムは大分銀行ドーム(大分スポーツ公園総合競技場)。
マスコットはニータン(亀)
1994年に「大分フットボールクラブ」として発足。設立当時は大分FCという名前だったが、その後大分トリニティという愛称がつけられた。
1999年に「大分フットボールクラブ」を設立し、設立されたばかりのJ2に加入。その際、商標登録の問題で「大分トリニティ」から「大分トリニータ」となった。2年連続で勝ち点差1で昇格を逃していたが、4年目は新戦力がフィットし、堅守速攻を武器に開幕から首位を独走。J2史上初の通算100勝をマークし悲願のJ1昇格を果たした。
昇格後は降格争いの常連だったが、シャムスカ就任後はナビスコカップ優勝などを経験するが、チームの経営危機や連敗記録を樹立しJ2へ降格した。
2012年には条件付きながらクラブライセンス発行にこぎつけ、成績もプレーオフ圏内の6位。プレーオフも勝利が絶対条件の中勝ち抜きJ1昇格を勝ち取った。
J2昇格後は2年連続勝ち点差1で昇格をのがしたが、4年目に悲願のJ1昇格。
しかしながら開幕戦で千葉に大敗。得点力不足で勝ちきれず、最終節に仙台との直接対決をドローで乗り切りどうにか残留した。なお2ndシーズンのリーグ最少失点で、最小失点で最下位という珍記録を達成した。
その後も降格争いの常連チームとなった。
2005年にチームは大分で活躍した皇甫官をヘッドコーチから昇格させチームの建て直しをはかるものの、開幕当初から神戸との熾烈な最下位争いを演じ、皇甫官監督は辞任した。
降格が現実的になる中シャムスカが新監督として就任。
就任会見で残り12試合で勝ち点18という22試合で勝ち点19しか取れていない大分には無理ゲーとも思える目標を設定するも、いきなり浦和レッズとのアウェーを勝利で乗り切った。その後の強豪から勝ち点を奪い、目標だった勝ち点18を8試合で達成し、最終的には11位と見事に立て直しに大成功した。
また、優勝争いをするチームから勝ち点を奪っていったため、優勝争いを盛り上げる一因となった。そのチームの変貌ぶりに「シャムスカ・マジック」と言われるほどだった。
2006年は主力の大半が移籍していくものの、西川や梅崎ら若手が活躍し8位と大きな飛躍を遂げ、さらなる飛躍を予感させた・・・が2009年シーズンはボランチコンビの放出が響き、降格争いに巻き込まれるものの、シーズン途中での大型補強が成功しどうにか残留させた。
前シーズンでの無理な補強がチームの財政事情を苦しめ、梅崎ら主力を放出したが、何故か高給の家長やウィズレイ、森島を獲得した。金崎のブレイクや、3バックを中心としたカメナチオとも言われた堅守がひかり、九州のチームとして初のタイトルであるナビスコカップ優勝、チームとしても4位、J1史上最小失点でーズンを終えた。大分こそ九州の元盟主。得点数?お察しください。
トリニータにとって2009年は、パンパシ杯を兼ねた遠征により満足にフィジカルの練習ができず、加えて国体明けでピッチの芝の状態が最悪だったためJ1で大きく出遅れることとなり、14連敗という記録を達成してしまい、シャムスカ監督は解任、ポポビッチ監督が就任し、15連敗はなんとか回避。その後10戦負けなしと復調にも成功し最下位脱出するが、降格圏脱出はならず京都戦で当時京都に所属していた林のゴールで降格がきまった。更には、シーズン途中で親会社の無い地方クラブにおいて大きな収入源である10億単位のスポンサーを失ってしまうなど、最悪なシーズンだった。ただ、規定により残留する順位だったとしても降格は免れなかった。チームがバラバラじゃねえか。
その後は後述する溝畑の杜撰な経営が発覚し存続危機に陥った。
J2に戦いの舞台を移した2010年は皇甫官が監督として復帰。大幅な若返りもあり、連勝もあったがひとたびトンネルに嵌まると抜け出せない事態に陥る。一時は11試合勝ちなしなど低迷し、19チーム中15位に終わる。運営の方も、資金がショートしかけ、県からの融資でどうにか乗り切ったほどだった。
2011年に清水エスパルスのコーチだった田坂和昭が新監督として就任。毎年恒例となった経営危機の影響で東や菊池、藤田ら主力を放出。他チームで試合に出れない若手やトライアウトの選手で補強した。その結果12位で終えたものの、「前俊を諦めない」田坂監督の指導をうけた前田や森島が自己最多ゴールを達成、コンバートされた選手が活躍するなど大分サポーターには翌シーズンの昇格を大いに期待させてくれるシーズンとなった。
2012年はいつも通り主力を放出。前俊?諦めました。札幌でも頑張ってね。しかし、放出は最小限に止め、C大阪から3選手をレンタルするなど多くの若手選手や、トライアウトで元代表の村井らの獲得に成功。
融資された3億円についても大分県民からの一億円以上の募金が集まり、地元財政からも2億円、総額3億3306万1323円が集まり、無事に融資返済に成功。融資返済を条件とされていたJ1クラブライセンスを獲得しJ1昇格の準備を整えた。下位相手に取りこぼすことはあったものの。18節以降はプレーオフ圏内から一度も落ちること6位でシーズンを終え、同年から開催されるJ1昇格プレーオフに足を進めた。
このプレーオフでJ1・3位の京都サンガを相手に森島康仁の4得点で4-0と圧勝。続く国立競技場でのプレーオフ決勝・ジェフ千葉戦には一万人以上の大分サポーターが大分からかけつけチームに声援を送った。試合は雨のピッチに対応できず千葉に終始押されるものの、勝利が昇格への必須条件だった大分は高松や林らを投入し2バックにした0-0で迎えた後半41分、大分に降格を決定させるゴールを決めた林がDFラインを抜け出しループシュートで1-0とした、その後、泣きながら応援するサポーターの声援に答えるように、オーロイを投入した千葉の猛攻を凌ぎきり、4季ぶりのJ1昇格となった。チームがまとまってるじゃねえか。
試合終了後のコメントでは田坂監督や森島、宮沢らが涙を流し、サポーターや大分県民にチームを見捨てないで、支えてくれたことに感謝を意をつたえた。
こうして迎えた2013年、4年ぶりのJ1は苦しい試合が続いた。初勝利は開幕から2ヶ月経った第12節まで待つこととなり、終わってみればJ1史上最小の年間2勝、おまけにホームではリーグ戦・ナビスコカップ含めて未勝利という厳しい結果が待っていた(2013年のホームでの勝利は天皇杯でのHOYO大分戦のみ)。天皇杯で初めてベスト8にコマを進めたものの、観客動員は最盛期の半分程度にとどまってしまった。
融資は返済したものの、溝畑が残した借金はまだまだ残っており、苦しい戦いが続くが大分サポーターはあきらめず支えていって欲しい。いや、マジで支えて下さい、お願いします。
2009年、J1第4節、埼玉スタジアム2002から事件は起こった。
対戦相手は浦和レッズ。前半42分に浦和相手にオウンゴールで自滅し、この試合を0-1で終えてから大分の連敗生活が続く・・・。
続く第5節、J1初昇格のモンテディオ山形相手に0-1での完封負け。この後もヴィッセル神戸に2-3と競り負けるなど、非常に苦しいリーグ戦となる。
次第に連敗が続き、いつの間にかJ1戦9連敗となっていた。しかし、ナビスコカップ第3戦(浦和戦)でようやく1-1でJ1の連敗を止めたものの、リーグ戦の連敗は続くのであった・・・。
J1リーグ戦第13節、九州石油ドームで行われたサンフレッチェ広島戦で0-1と競り負け、遂に連敗が「10」と二桁に達成。
ナビスコカップもずっと引き分けでいたが、7戦目(新潟戦)でようやく2-1と勝利し、希望が見えてきたかのように見えた。
しかし、その後もリーグ戦では連敗し、第16節のジェフユナイテッド千葉戦で1-2と競り負けて連敗記録を「13」に伸ばしていった・・・。
このまま連敗すると、1996年当時にJリーグ参戦1年目の京都サンガが作った開幕17連敗の連敗記録と並んでしまうことになってしまう。
連敗記録は14でストップしたが、1996年の京都の連敗は13敗目、14敗目が延長戦による敗戦である。そのため90分間での連敗記録保持者となってしまった。
サポ「チームがバラバラじゃねえか」
高松「みんなちゃんとまとまってるよ」
サポ「やる気あんのか!」
上本「次は絶対勝つ」
サポ「その言葉、信じていいんだな」
上本「次は絶対勝つ!」
サポ「トーリニータ(大合唱)」
スポンサーに恵まれておらず、胸スポンサーとなる企業は大抵何かしらの問題を抱えていることがほとんどである。09年にはゴール裏にサポーターからの抗議の横断幕が出される事態にまで発展した。
ブラック企業が胸スポになった場合、大分だけでなくJリーグの評判そのものが悪化する。本当にJリーグが好きな人達は、大分がマトモな企業とスポンサー契約する日が来ることを願っていた。
そしてついに2011年、ダイハツの系列企業であるダイハツ九州とのスポンサー契約が締結され、サポーターの念願が叶うこととなった。ありがとうダイハツ九州。
大分トリニータの話をする上で、欠かせない話が溝畑宏だろう。
彼は、東大卒で自治省というエリートだったが、大分県庁に出向した際にワールドカップ招致に関わり、大分トリニータの取締役に就任した。ナビスコカップ優勝やJ1で大きく飛躍させたり、大分での仕事に専念するために公務員を辞める、妻子とも別れ、退職金も大分に注ぐだけでなく、自ら営業をかけ多くのスポンサーを獲得するなどと凄い奴だと、ある事件が発覚するまで大分サポータも誰もが思っていた。
2009年に杜撰な経営が露呈し、赤字が11億、債務超過は5億以上となった。Jリーグ史上初となる融資申請を行い、初めは2億といっていたが調べてみると4億不足しており、合計6億円が融資してもらうこととなった。その後、溝畑は引責辞任した。が、その後調べてみると債務超過は9億以上あることが判明した。
ただ、この時点ではそんなサポーターも批判はするものの、溝畑の行動力があったからこそ、ワールドカップの招致を成功させ、クラブの躍進させた功労者と評価していた。そんな中をサポーター激怒させるニュースが東京から飛んできた。引責辞任してひと月あまりで観光庁長官に就任という仰天人事である。これは前原誠司国土交通大臣から連絡があったといわれているが、あからさまなお友達人事である上に、就任理由が地方のチームを日本一にしたから」というふざけた理由だった。
当然、大分サポーターは激怒した。また、大分県知事の広瀬氏も激怒し、「責任を追及されることからも逃げた挙句、こんなふざけたことする奴は二度と大分の地を踏ませない」とまで言い放った。
その後調べてみると、粉飾決済まがいの会計操作や、次シーズンの補強費を独断でつかったり、自分に意見してくる職員や役員を排除し、イエスマンばかりを集めた役員会をつくったりとかなり好き勝手やっていた事が判明。高額年棒の選手も獲得するだけでなく、財政破綻間近となっても主力の放出をしようとせずJ1に一年するなどと無茶苦茶な事をしていた。
また、そういった手法のため大分県サッカー協会とは疎遠になっただけでなく、あまりのワンマンぶりに人間関係のトラブルも多く、自治体ともトリニータと距離ができていた。スポンサーに対しても役人気質の横柄な態度が多く、スポンサーが付いては離れを繰り返す要因となっていた。
大分サポーターは言いづらいことだが、溝畑が連れてくるスポンサーは前述される通り問題がある企業も多かった。破綻後の第三者委員会で調べた所、怪しい金融機関からお金を借りていたり、役員報酬の水増し、出張費のネコババ、用途不明金の存在が発覚した。更には韓国マネーが見え隠れしており、怪しい事例ばかりだった。その結果クラブを倒産させたが、経営責任は不問となり。役員報酬の返還で手打ちとなった。
その後、彼の事を書いた本が出版された。彼が大分のためにどれだけ尽力していたかが書かれているが、見方が溝畑寄りで偏っており公平とも言えない内容である。また、彼の主張としては「あんな地方クラブを飛躍させるのは大変なんだぞ」ということだが、甲府を代表する地方チームでも経営には成功しており、彼の主張は受け入れられるものではない。ただ、この本の利益は全額大分に入ることになっているので、興味がある人は買って下さい。
ただ、溝畑だけの責任だけでなく、身の丈経営を無視した当時の経営陣全体の責任でもある。ちなみに溝畑の観光庁長官としての実績は韓国国歌を歌ったり、人を呼ぶためと(一部の国に対して)入国ピザを緩和したりと相変わらず批判されることをやらかしている。
その後は大分県がスタジアム使用料を免除するだけでなく、追加融資を行い、融資された5億円のうち2億円を返済した。ただ、サッカーばかりを融資するやり方に批判も多いが、大分が破産するとスタジアムが不良債権となるだけでなく、安定して客をよべるサッカーというコンテンツ維持のためには仕方のないことでもあった。ただし、県からの委託を受けた経営コンサルタントの精査による結果、チーム清算・スタジアムごと解体とした場合が最も県の財政にとって負担とならないといった判定があったことも事実である。
2012シーズンから開始されたクラブライセンス制度により残り3億円の融資を完済しない限りJ1に昇格ができなくなった。そこで、クラブは5月に寄付を募った。その結果、1億2380万を集める事ができ、地元財政界や行政もそれに応えるように合計2億の支援を行った。そのかいあって、無事にクラブライセンスは交付され、プレーオフ圏内の6位でシーズンを終えた。プレーオフでは1万人を超えるサポーターが駆けつけ、勝利が必須条件のなか、無事に昇格を果たした。
昇格した際は、財政難のため泣く泣く放出した、元大分トリニータの清武や西川、現FC東京のポポビッチ監督、元取締役社長の溝畑宏などがお祝いのメッセージを送った。
フロント陣には色々と問題があるチームだが、上記の清武、西川、上本、ポポビッチ監督などは給料が減っても大分残留を希望していたようにチームの雰囲気は非常に良く、サポーターとの距離も近い。シャムスカ監督曰く、関アジ、豊後牛や鶏天といった美味しい食べ物、温泉などオフのリラックスに最適な場所あり、選手にとっては理想的な場所らしい。J2に落ちても集客数はJ1時代に比べると激減したものの、J2ではトップクラスだった。他に娯楽がない?事実だけどそんなこと言うな。
ただ、残り6億円程の債務超過があり、依然として経営努力は必須である。これからも三位一体でまとまっていこうぜ!
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最終更新:2025/12/16(火) 08:00
最終更新:2025/12/16(火) 08:00
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