大阪府出身。
尽誠学園高等学校~プリンスホテル~西武ライオンズ(埼玉西武ライオンズ)
ドラフト1位で西武ライオンズに潜入…もとい、入団した。ポジションは投手。
150km/hを超えるストレートを放る速球派として注目されていたが、コントロールが悪く、四球で走者を溜めたり打たれてしまう。
一軍では、制球の悪さが課題となり二軍に降格。しかし、二軍では2002年にはイースタンリーグ最多奪三振を獲得した。断じて俺TUEEEEではない
2004年5月7日、北海道日本ハムファイターズ相手にプロ入り初完封勝利を挙げた。この年は中継ぎに抑えも担当し、チームの優勝に貢献した。
2006年、二軍では安定感があったが、一軍では1勝もできずに終わった。その後も二軍で好投→一軍で炎上を繰り返す。
2009年終了時、通算成績218試合登板 16勝29敗、通算防御率4.73。数字だけ見るとパッとしないが、中継ぎ層の薄い西武において、長いイニングを投げられる貴重な右中継ぎとして多大な貢献をしている。いや、マジで。後半は疲労などにより打ち込まれたり、サヨナラ負け投手として目立ってしまったものの、自己最多の54試合登板を記録した。
経験を積んでいくうちに、投球フォームに関しては無駄が無くなり、疲労が少ないプロらしいフォームと好評価を受けている。実際、他の投手が加齢で軒並み球速が衰える中、現在もなお150km/hを超える速球や、好調時にはフォークがよく落ち、スライダーも切れる。渡辺久信監督は彼を「(シーズン)10勝は狙えるピッチャー。どうしてできないんだろうな」と評価は高い。活躍できない最大の原因は制球難を生むチキンハート。異常な四球癖が問題視されているが、上記の理由により現在も活動している。
大沼を軽蔑して見ている者が多いらしい。しかし、ファンサイトの存在や「プリンスホテルの星」として真剣に彼を応援しているファンもまた大勢いることを忘れてはならない。
沼者、もしくは総帥と呼ばれている。
2000年に貫禄のドラフト1位で西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に潜入。
そして早速二軍で好投すると一軍に上がり計4失点。ここから俺達の歴史は始まった・・・。(詳細は俺達の項目を参照)
_、_ バッ
( ,_ノ` ) <ククク、無駄なことを。素直に総帥としての役目を果たすがいい。
Σ∩| | | ∩
( 〒U〒) <僕はあきらめない!!今日こそ西武を救ってみせる!!
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最終更新:2024/05/25(土) 09:00
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