前線艦隊指揮はどうぞお任せください
大淀(おおよど)とはDMM.com配信のブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場する、大日本帝国海軍所属の軽巡洋艦「大淀」をモチーフとした艦娘である。
元々は公式で“任務看板娘”、ユーザーの間ではそれを縮めて“任務娘”と呼ばれていたNPCであった。
『艦これ』開始当初よりアイテム屋娘と共に最初から母港におり、艦隊編成や出撃時における特定の条件を設定してそれをクリアする事でボーナス資材を手に入れる“任務”の選択フェイズに登場するキャラクターだった。
任務選定画面を選択すると声付きで「お疲れ様です」と言いながら現れるだけのそれ以外には特に意味のない存在だったのだが、角川発行の漫画雑誌『コンプティーク』および『コンプエース』連載の漫画にて任務娘が登場した際に自ら大淀と名乗っていた事から彼女も“実は艦娘なのではないか”と提督の間で実しやかに囁かれていた。
その後、同じNPCだったアイテム屋娘が4月のイベントにて正式に艦娘の“明石”として実装され、それから2014年5月発売の『コンプティーク』6月号の艦これ特集ページや『Model Graphix』7月号の表紙には艤装を装備した任務娘が描かれたり、さらに6月発売の『艦娘型録』にもやはりこの任務娘が大淀として記載されるなど、この頃には公式においてもほぼ“任務娘=大淀”として扱われるようになる。
そして2014年8月開催のイベント“AL/MI作戦”にてようやく任務看板娘改め艦娘“大淀”が本格参戦する事となった。
任務娘時代はセーラー服のような服と腰が露出したスカートを着て手には羽根ペンとファイルかノートを持っているという秘書っぽいイメージだったが、艦娘としては以前から公表されていたものと同じく右腕に水上機発進用カタパルトアーム、左手に三連装砲、そして背中におそらく水上機格納用ブロックと思われる四角い大きなユニットを装備している。
ついでに言うと霧島、鳥海、望月、巻雲、伊8、武蔵に続く7人目の眼鏡艦娘でもある。
他の艦娘と違って鎮守府そのもののシステムに関わっているようで、任務選択では彼女が任務の指定受理とそれの達成ボーナスの支給を行っていると考えられ、『艦これ』運営からの公式ツイートを表示する“運営電文”も彼女がチョークで黒板に書いて表示しているというものだったりと言わば鎮守府全体の事務員のような存在として描かれている。
ちなみに服装の方は明石も同じような格好なのだが、これは鎮守府指定の制服なのだろうか?
一方、彼女のモデルはれっきとした戦闘艦であり、ゲーム開始の時点で鎮守府にいるのなら最初から彼女も他の艦娘達と共に前線に出ていてもおかしくなかったのだが、それでも彼女だけ裏方扱いだったのは戦闘よりも指揮系統を重視させたという後述の史実的背景によるものなのかも知れない。
二次創作においてはデイリー(日替わり)任務の中に不要な艦を二隻解体するというものがあるため、仲間の解体を勧めてくる腹黒キャラとして描かれたりする場合も多い。
史実については「大淀」も参照。
名前の由来は鹿児島県と宮崎県にまたがる大淀川から。
1939年、マル4計画にて建造された“丙巡”型軽巡洋艦で、もともとは水上偵察機運用のために母艦として建造された水上機6基分積載できる格納庫と大型カタパルトを有した本格的な航空巡洋艦であった。
そのため武装も対空に特化しており、魚雷などは一切積んでいないが、その代わり約11万もの馬力を発揮する高温高圧缶の動力機関を搭載し、その最高速力は35.5ノットから39.5ノットにも迫るほどの高速性能を誇っていた。
本来の運用目的は潜水艦隊を指揮し、時には水上偵察機で潜水艦隊の目となって潜水艦隊の行動を助ける事であり、つまり大淀は本来なら伊198達のボスになるはずの存在だった。
1943年に竣工するも、搭載する予定だった艦載機“紫雲”のダメカっぷりと太平洋戦争における状況の変化によって潜水艦隊を指揮しての敵艦隊の漸減作戦を行う機会は訪れず、魚雷発射能力もなければ主砲も対空に特化しているため使いづらいという事でしばらくトラック泊地での“戊号輸送作戦”などの輸送任務に従事するが、戊三号作戦では目的地であるカビエンで米軍機の空襲を受けている。
翌年の1944年、その高い電波出力からこの大淀を指揮用の艦にするための改装が始まり、水上機搭載用スペースを戦闘指揮所に変更、連合艦隊の旗艦として生まれ変わる。が、これに座乗する連合艦隊司令長官の豊田副武からは「日本の足元を見られそうで嫌だ」「どうせなら大和か武蔵の上で死にたい」と散々な事を言われ、しかもこの大淀が直接指揮を取ったのは“マリアナ沖海戦”のみ、それも本土からの指揮となり、やっぱり司令部は陸の方が都合が良いという事でその機能はさっさと地上へと移されてしまい、艦隊司令旗艦としての務めはたったの数ヶ月で終わる事となった。
その後大淀は普通の軽巡洋艦として小沢治三郎率いる正規空母の瑞鶴を筆頭とする第三艦隊第一機動部隊に編入される。当初は大淀が旗艦となる予定だったが、ここでも小沢が「第一機動部隊の名前が付くなら瑞鶴に乗らなきゃ」という事で旗艦は瑞鶴になってしまった。そして“エンガノ岬沖海戦”に第三艦隊第一機動部隊予備旗艦として参戦。激しい戦いの中で瑞鶴が被弾したため、旗艦としての役割を大淀が引き継いで戦闘指揮を続行しつつ戦った。
次の任地はフィリピンのマニラだったが、いざマニラに着くとそこは空襲を受ける可能性がある聞かされミリに移動、着いたミリでもB-24の爆撃を浴びるがどうにか無事に切り抜け、次に向かったブルネイで武装の整備が成された後、伊勢や日向、足柄など他の多数の艦と共に今度はリンガへと向かっている。
以降はカムランやサンジャックなど各地を転々としていたが、12月21日より木村昌福少将が指揮する“礼号作戦”への参加が決定する。なお、木村は「指揮能力に優れた大淀を旗艦に」という意見に対して「自分は駆逐艦乗りだから」という理由で駆逐艦の霞を旗艦に選んでおり、結局ここでも大淀の指揮能力が活かされる事はなかった。その礼号作戦では自身もかなりの被害を受けるが、この戦いにも大淀は生き残ってみせた。
1945年には司令室だったスペースも倉庫となり、物資を輸送する“北号作戦”に従事、危険な任務とされていたが同道した日向と伊勢の運に助けられたか無事任務をこなして呉に到着した。しかし、大淀の軽巡艦としての役割はここまででもう動かす燃料も無くなった大淀は練習艦へと成り下がる。その後、米軍による呉への空爆に巻き込まれて航行不能なまでのダメージを負ってしまい、その応急修理が施された後で江田島湾に運ばれ、それ以降は浮き砲台として湾を守っていたが、呉での3度目の空襲(呉軍港空襲)の際に完全に大破、そのまま転覆着底した。
1945年11月20日除籍、それから2年後の1947年に引き上げられ、ドックまで運ばれた後で解体された。
当初は姉妹艦として仁淀も建造予定であったが、こちらは未建造で終わっている。
また、1992年から海上自衛隊のあぶくま型護衛艦3番艦として“おおよど”が就航している。
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最終更新:2025/12/13(土) 21:00
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