FC町田ゼルビアとは、神奈川県東京都町田市を本拠地とする、JFL所属のサッカーチーム、並びにFC町田のトップチームである。
略称は「町田ゼルビア」・・・あまり変わりないとか言うな。
FC町田は元々少年サッカー界では有名で、全国大会で優勝した実績も持つクラブである。
後にトップチームが誕生したのは1989年のこと・・・このときはまだ「ゼルビア」という愛称は付けられておらず、純粋な社会人チームであった。
転機が訪れたのは1992年、後に消滅する「横浜フリューゲルス」の前身である全日空横浜クラブが町田市をホームタウンにしたいとの話を持ちかけたことだった。
急な事もあって資金を用意することは出来ず、一角を担うはずだった町田市がこの話を受け入れられなかったために、この話は白紙となった。
しかし、この事がキッカケで設立された「町田にJリーグチームを誘致する会」に、「誘致の可能性」を一方に置きつつも、市内に日本初の総合スポーツクラブを創設しようという考え方が出始めた。
町田としては、まずそれをサッカーで始めることとなり、後にJリーグ参入を目指すチームとなるFC町田のトップチームに、「市民に認知されるサッカークラブ」を目指すために現在の愛称が付けられた。
その後、ゼルビアは2005年の東京都リーグ1部を優勝し、出場権を獲得した関東社会人サッカー大会も優勝して関東リーグ2部に昇格。
翌2006年の関東リーグ2部を1年で突破して1部に昇格し、翌々2007年は2位の栃木ウーヴァFCを勝ち点10もの差をつけたりと、圧倒的な強さで優勝するが、地域リーグ決勝大会は予選ラウンド敗退となり残留となる。
しかし、2008年は関東リーグ1部連覇、地域決勝も優勝を飾り、JFL昇格を果たした。
JFL参戦1年目、同じ昇格組のV・ファーレン長崎とホンダロックSCがリーグの厚い壁に阻まれて苦戦している一方で、ゼルビアは「Jへの門番」Honda FCに勝利するなど好調であったが、途中でホームグラウンドである野津田スタジアムの問題が発覚し、Jリーグ2部への昇格を断念せざるを得なかった。
それでも、FC岐阜やファジアーノ岡山のように昇格圏内には入れなかったものの、最終順位を6位とし、周囲の予想とは裏腹に好成績でリーグ戦を終えた。
2年目、新たに監督としてS級コーチライセンスを取得した相馬直樹が就任、彼の指導者としてのキャリアはゼルビアが初めてであったが、前年を上回る3位に食い込んだ。しかし、懸案だったスタジアム問題は解決せず、成績ではJリーグ参入の条件を満たしていながらJFLに残留することとなってしまう。さらに相馬監督は1年で退団、後任には大分トリニータなどで監督を務めたポポヴィッチが就任する運びとなった。
2009年からのJFL昇格が決まったゼルビアを、新たに小田急(ユニフォーム胸スポンサー)、玉川学園(ユニフォーム背中スポンサー)、J:COM関東(厳密にはスポンサーではないがクラブ専門の番組放映や試合中継を担当)の3法人が支援することになった。
当時から世界不況による広告不況の影響がスポーツ界にとって痛手であったが、JFLというJリーグ2部と比べたらマスコミ露出が極端に少ないカテゴリにコレだけの大手法人(特に小田急)が支援するのは異例と言われている。
しかしこれらの法人とも町田市との関わりが深いこともあり、今後生き残るための戦略として互いの思惑が一致した形で、今回の支援が実現した。
話の詳細はこちらを参照にしていただきたい。
制作はJ:COM関東である。(http://ktmc.jcommunity.net/contents/kanto/zelvia.html)
FC町田ゼルビア オフィシャルグッズオンラインショップ
(ちなみにクレジットカード決済の場合、JCBが非対応である。orz)
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最終更新:2025/12/20(土) 20:00
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