Y.S.C.C.横浜とは、神奈川県横浜市を本拠地とするJリーグに加盟するサッカークラブである。
正式名称は「横浜スポーツ&カルチャークラブ」。略称は「YS横浜」。
NPO Y.S.C.C.(Yokohama Sports&Culture Club)は、幼稚園児から社会人まで、家族的な雰囲気の中で、活動するスポーツクラブです。 基本的にはスポーツを愛する人、とりわけサッカーを愛する人は、どなたでも入会できます。
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1986年に地域の公共財となることを目指して、横浜スポーツクラブとして設立。1987年に「横浜サッカー&カルチャークラブ」へ名称を変更。2002年に法人化すると共に横浜スポーツ&カルチャークラブへ名称を変更。2013年にJリーグ準加盟クラブとして承認され、2014年にJリーグに入会。
クラブ名は、地域クラブとして、地域住民と深くつながるスポーツクラブを通じた地域文化の発展を目指す志を由来としている。エンブレムには横浜の海とカモメがデザインされ、太陽と街の夜景をイメージしたオレンジが配色されている。クラブマスコットは、オカピとペガサスがモチーフの「ハマピィ」。
ホームスタジアムは横浜FCと同じニッパツ三ツ沢球戯場。
総合型地域スポーツクラブとして、テニス、バドミントン、バスケットボールの活動も行っており、Fリーグに加盟するフットサルクラブの運営も手掛けている。2022年には元サッカー日本代表の松井大輔がサッカーチームとフットサルチームの両方に在籍した。
Y.S.C.C.の源流は、1964年の横浜市中区に設立されたスポーツ少年団である。その後、1979年に全日空が資本参加し、チームは強くなっていったのだが(これが後の横浜フリューゲルスである)、その一方でクラブ運営は一企業クラブとしてのものに変わり、当初の「市民に向けたクラブ」という理念からは離れていくことになった。
1986年3月に起きた、クラブと一部選手の対立(6人が試合をボイコットするという事まで起きてしまった)を契機に、クラブを離れた選手が、改めて市民に向けたクラブを作ろうと立ち上げたのが、このY.S.C.C.(当時の名称は「横浜サッカー&カルチャークラブ」)である。
1998年度をもっての横浜フリューゲルスの解散にあたり、Y.S.C.C.を後継チームとするという案もあったとされている(最終的には成立せず、横浜FCがその立場を受け持つことになった)。横浜フリューゲルスを源流に持つという意味で、横浜FCは親戚関係と言えるのかもしれない。
2002年にはNPO法人化・「横浜スポーツ&カルチャークラブ」へ改称、サッカー以外へのスポーツへの活動拡大も進めている。
トップチームは2005年に関東サッカーリーグ1部に昇格。その後2006年、2009年、2010年と関東サッカーリーグを制覇するも、地域リーグ決勝大会突破(JFL昇格)は叶わなかった。特に2009年と2010年は、2回とも決勝ラウンド(ここで4チーム中2位以内に入れば自動昇格、3位でも入れ替え戦)に進むも、2回とも最下位に終わり昇格を逃していた。
2011年の地域リーグ決勝大会では、1次ラウンドで藤枝MYFCに次ぐ2位に終わるも、1次リーグで2位であったチームのうち成績が最上位であったことから、決勝ラウンドへの出場権を獲得(「地域リーグ決勝大会」の記事も参照)。決勝ラウンドでは2勝1PK敗で優勝し、4度目の正直でJFL昇格を果たした。
2012年には天皇杯で横浜F・マリノスとの対戦が実現。結果は2-4で敗れた。またJFL昇格初年度ながら6位と上位に食い込んだ。
2013年6月27日、J3参入を目指しJリーグ準加盟の申請を行う(Y.S.C.C.公式)。8月20日に準加盟が承認された(Jリーグ公式)。その後正式にJ3参入が承認され、横浜市に第3のJリーグクラブが誕生する。
なお、Jリーグ所属時の呼称は「Y.S.C.C.横浜」だが(※公式発表である)、「Y」自体が横浜(Yokohama)の意味をそのまま表しているので、ツイッター上ではコレを元に『YSCC横浜のYの新しい意味を考える』というハッシュタグを付けられてネタにされていた。
2014年、Jリーグ参戦初年度の監督としてアカデミー出身でありFC東京U-18コーチの有馬賢二が就任。創設1年目のJ3リーグの戦いは、流石に前年のJFL12位のチームだけあって他のチームの戦力差は否めず。年間4勝で12チーム中の最下位に終わる。2015年も年間7勝を挙げたが、2年連続の最下位に沈む。
2016年より横浜FMや甲府で監督を務めた樋口靖洋が監督に就任。3シーズン連続で連勝がなく、シーズン終盤には14戦勝利なし(3分11敗)も記録し、年間5勝で3年連続の最下位(16チーム中)に終わる。
2017年も開幕から6試合未勝利と苦戦。それでもシーズン後半にJ3加盟後初の連勝(3連勝)を含む7戦負けなし(5勝2分)を記録。昇格後最多となる8勝を挙げ、14位(17チーム中)と初めて最下位を脱出し、甲府・徳島がJ2時代に記録した「同一カテゴリーの連続最下位」のワースト記録更新を防いだ。2018年も15位に終わり、シーズン終了後に樋口監督が退任。
2019年よりJリーグクラブでの最年少となる34歳のシュタルフ悠紀リヒャルトが監督に就任。就任1年目は13位だったが、就任2年目は17位と低迷。
シュタルフ監督就任3年目となる2021年は組織的な守備の構築に成功し、手堅いチームへと変貌。前半戦は得点力の少なさからなかなか勝利に結びつかなかったが、シーズンが終盤になるにつれて調子を上げていき、最終的にはJ3参戦以降初の一桁順位となる8位で終える。また、11勝7分10敗と初のシーズン勝ち越しを果たした。また、この年初めてJ2ライセンスが交付される。
シュタルフ監督が退任し長野の監督に就任したため、2022年は元FC岐阜監督の仲田健二が就任。しかし第5節で最下位に転落するなど不振に陥り、5月に仲田監督が辞任。WEリーグ・INAC神戸の監督だった星川敬が後任となる。第11節から31節までずっと最下位だったが、残り3試合で最下位を脱出すると最終的に16位でシーズンを終える。
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最終更新:2025/12/15(月) 00:00
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