竹宮惠子 単語

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竹宮惠子(たけみや けいこ)とは、日本の著名な女流漫画家の一人にして京都精華大学名誉教授

旧名:竹宮恵子

概要

所謂24年組の一人。漫画家としてのキャリア5歳からの筋入りで、貸本屋で石ノ森章太郎から小島剛夕まで、幅広いジャンルの本を読み漁るほどの漫画読みであった。『マンガ家入門』と『龍神沼』に衝撃を受け、手紙を送った石ノ紹介で『宝島グループに参加。1968年1月、「りんごの罪」が『週刊マーガレット』の新人賞に佳作入選しデビューするも、の説得により徳島大学教育学部(現鳴門教育大学美術科に通いながら『COM』等への投稿を続ける。

手塚治虫により編集者山本順也を紹介され、徳島まで出向いた山本に説得され、『週刊少女コミック』に『の子トール』を連載し始める。同時期に大学中退上京。その後、増山法恵を通じて萩尾望都らと出会い、練馬区大泉アパートで共同暮らしを始める。そして、サロンとなったアパートに集まるメンバーは後に24年組と呼ばれるようになる。一事はスランプが原因で自律神経失調症を患うも漫画頭することで、『ファラオの墓』がヒット。そして、耽美が受けると判断した宮は7年にわたる構想を元に描いた少年漫画傑作と木の』を世に送り出し、少女マンガシーンに大きな衝撃を与えた。

もちろん、少年だけが宮の持ち味ではない。1977年には当時の女流少女漫画としてはしく、少年漫画シーンへと進出。『マンガ少年』にて連載した『地球へ…』で第9回星雲賞コミック部門受賞。この作品と『と木の』は第25回小学館漫画賞も受賞した。

1980年頃に現在ペンネーム名。1997年にはエルメス本社から依頼されて執筆した『エルメス』が牧野一に評価され、2000年京都精華大学マンガ学部マンガ学科教授に就任。漫画界において、現役漫画家大学の専任教員となるのは日本では初めてのケースとなる。当時は鎌倉京都を往復する生活であったが、現在夫婦の住む福岡京都の往復生活を送っている。2008年にはマンガ学部の部長に、2014年には学長に就任、同年11月には綬褒章を受章。2015年には第8期中央教育議会委員に就任した。その後、2018年4月には京都精華大学大学院マンガ研究科長と全学研究機構マンガ研究センター長に就任し、2020年3月を以て京都精華大学を定年退職。同大学における名誉教授称号を授与した。

現在は後進育成にを入れており、教え子たちにかつて、自身が石ノ森章太郎らに学んだ理念を伝えている。実際、えすとえむらが同大学漫画について学び、商業デビューを果たしている。

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