「金旋」(キン・セン ? ~ 209)とは、武陵郡の太守を務めた三国志の時代の荊州四英傑の一人である。
字(あざな)は「元機」。
息子は、曹操に対して最後の反乱を起こした後漢王朝の貴族「金禕(金イ)」。
雍州京兆郡の出身。先祖は匈奴出身ながら身をわきまえた誠実さから武帝より信頼され後事を託された前漢王朝の名臣「金日磾(金日テイ)」。息子の「金禕(金イ)」も後漢王朝に仕えていた事から、名族と言って差し支えは無い。
※ご先祖様の金日磾は馬何羅が反逆した際に取り押さえ、馬何羅はその後処刑された事から、馬何羅の血族である馬騰と因縁があると言えなくもない。
黄門郎や漢陽太守を歴任し、議郎になった後は中郎将兼武陵太守を務めた。
曹操が赤壁の戦いで大敗した後に、劉備の軍勢が武陵に攻めてくると、他の荊州四英傑同様に降伏を申し出たものの、なぜか許されずに劉備軍の攻撃をうけて討たれた。
荊州四英傑の中では、唯一出自がはっきりしている為正史に記述が多く、官職に関する記録が残っているのは金旋だけである。
また、金旋の一族は、金旋の死後に息子の「金禕(金イ)」が耿紀・韋晃・吉本らと起こした曹操への反乱に失敗した際に皆殺しにされ、途絶えてしまっている。
劉備軍の張飛が来襲した際に、部下の鞏志が降伏を進言するも聞き入れず、関羽が「自分より強い」と認めた人間兵器とぶつかりあったものの蹴散らされ、這々の体で逃げてきたところに、自分が出撃している間に民と話し合って降伏することを決めた鞏志の手により射殺されてしまった。
※その他「金旋」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事
コーエーの三國志シリーズにおける金旋の能力一覧。荊州四英傑の中では統率武力は高めに設定される事が多い。
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | 37 | 55 | 44 | 71 | 48 | ||||
三國志II | 43 | 29 | 37 | ||||||
三國志III | 52 | 27 | 25 | 30 | 40 | 13 | |||
三國志IV | 34 | 50 | 26 | 30 | 32 | ||||
三國志V | 51 | 46 | 30 | 30 | |||||
三國志VI | 55 | 49 | 36 | 42 | 45 | ||||
三國志VII | 45 | 32 | 42 | 51 | |||||
三國志VIII | 47 | 32 | 41 | 49 | |||||
三國志IX | 44 | 65 | 22 | 38 | |||||
三國志X | 53 | 69 | 16 | 29 | 42 | ||||
三國志11 | 52 | 68 | 13 | 29 | 47 |
|
荊州四英傑家臣 |
関連人物 |
掲示板
17 ななしのよっしん
2020/04/20(月) 17:06:22 ID: sZIq/w+Dx5
しかし金禕は、正史・演義共に謀反を起こしたときに、
父の仇である劉備に助けを求めようとしたんだろうか?
18 ななしのよっしん
2021/12/28(火) 12:53:55 ID: YFJfcf1MJD
経歴割とはっきりしてるし、董卓・李傕時代の中央を避けて
南下して劉表傘下に収まってそのまま太守として居座り続けたとかではなく
曹操政権下で出仕してて劉琮降伏後のタイミングで派遣されたって感じなんだろうか
19 ななしのよっしん
2022/01/15(土) 20:40:14 ID: GDKymuLsho
>>17
金旋に関しては戦死・降伏どっちの記述もあるしで
金禕の動き的は降伏した説が正しいのかもしれないね
演義は親子関係はない(少なくとも言及はされてない)から
単に正史の動きをなぞっただけの可能性もあるし
何より演義的には悪の曹操を討ち
その後献帝を擁護する立場として頼りになるのは
正義の味方である劉備以外にないってだけだろうけど
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最終更新:2024/05/02(木) 19:00
最終更新:2024/05/02(木) 19:00
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