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1 ななしのよっしん
2017/03/28(火) 15:39:19 ID: CCuxGe3sd3
同じ編集者が作成した「全国統一」の記事もそうですが、かなり個人的な解釈や主張が強く(特に各所の赤字部分)読む側が困惑する部分が多いと感じます。
少し話が変わりますが、ひとつ提案があります。
「織田信長」の項目で同編集者が「織田信長は天下統一した」と編集して一部で物議を醸しましたが、信長の掲示板が凍結中で本格的な議論が出来ません。
天下統一とは何かを含めて、その部分の議論をこちらに誘導するのはいかがでしょう?
2 ななしのよっしん
2017/05/15(月) 23:12:44 ID: BELv5ItCvH
なお広辞苑には天下不武は収録されているが
天下統一は収録されていない模様(実物未確認)。
3 ななしのよっしん
2017/07/14(金) 21:54:17 ID: bSLRmFjKSv
『全国統一』に引き続き、こちらの記事も修正かけたいのでいろいろ作業中
とりあえずこの記事で一番引っかかるところは
>天下の概念が次に注目されるのは、源頼朝によってであった。源頼朝は「天下の草創」と称して鎌倉幕府を成立させる。これ以降、天下という言葉は「天皇から統治を任された武家政権の支配における正当性」を含むようになった。これ以降、概ね武家政権の正統な全国性を持つ支配に付随する言葉として「天下統一」いう表現がなされるようになり、天下統一した人物を「天下人」と呼ぶようになった。
この部分かなあ。
「天下」という言葉・概念は昔からあったのは確かだろうけど、それが武家政権の正統性を含んでいたのだろうか。「天下兵馬の権」なら分かるが、「天下」だけでは足りないのではないだろうか。
また、「天下統一」という表現が出来たのはほんとに頼朝までさかのぼるのだろうか。信長の政権末期でさえ「天下一統」という言葉を使っていたのであって、「天下統一」と言う言葉が出てきたのは江戸時代と言われてる。
4 ななしのよっしん
2017/07/14(金) 22:02:46 ID: bSLRmFjKSv
丸島和洋のツイッターから引用 (※現在このツイートはアカウントごと閉鎖されてる)
>一般には「天下統一」が馴染みがあると思いますが、「統一」という言葉は江戸後期が初見で、
>秀吉の時代には使われていないのです。当時は、「天下一統」といいました。
江戸時代の人が源頼朝を指して「天下人」の一人というのはありそうだけど、現在の文章だと誤解を招きそうである。
とりあえずネット上で見られる参考になりそうな本など
戦国武将・人気のウラ事情 著者: 鈴木眞哉
https://
この本のネット上のプレビューで見れる第1章の部分で「天下人」の定義が非常にあいまいな事解説してくれてる。
>>az4569699405
5 ななしのよっしん
2017/07/14(金) 23:03:58 ID: bSLRmFjKSv
あと思ったのは「天下人」=「天下統一」という論理が先行し過ぎてる部分が多いんじゃないかなあ。
これに関しては天下統一でも天下一統でも変わらないけど、>>1でも指摘されてるこの記事の初版編集者が「信長は天下統一した」と書いたのってこの論理の暴走が原因じゃないかと思うんだ。
「秀吉家康は天下統一して天下人と呼ばれている」
→「信長も天下人と呼ばれている」
→「したがって信長も天下統一した」
というような流れではないだろうか。
同様に、「頼朝も天下人と呼ばれている」→「頼朝も天下統一した」、「足利も~」というような感じで。
6 ななしのよっしん
2017/07/14(金) 23:10:58 ID: 4aDObEUhoN
内容はともかく、修飾過剰だと思った
太字が多すぎると、かえって強調したい部分がわからなくなるよ
7 ななしのよっしん
2017/07/15(土) 12:36:53 ID: CCuxGe3sd3
個人的にはまずは三英傑、つまり戦国時代の話に絞った方が良いかと思っています
それ以前に対して「天下統一=天下人」という要素を遡って適用するのは齟齬が起こりやすく、話のポイントも不明瞭になってしまうかと
天下人という単語自体が江戸時代に出てきた言葉ですし
そして「天下統一=天下人」というのも強引かなー、と
ウィキペディアに書いてある、というのが以前の筆者の主張でしたが、「天下統一を完成させる」のと「天下人と呼ばれる立場にいる」のは別のタイミングだと思うのですね
8 ななしのよっしん
2017/07/15(土) 12:40:11 ID: CCuxGe3sd3
個人的なメモに近いものですが、統一事業の流れを書いたものです。
https://
政権の枠組みとか、どういう風に臣従させてるかとか、そういう部分は抜けているのでご了承ください
9 ななしのよっしん
2017/07/17(月) 12:10:04 ID: bSLRmFjKSv
>>7
戦国時代の天下統一事業に特化させるのはいいと思います。
ただ、一応せっかく書かれた記述ですし、今ある平氏~室町までの文章などは
「武家政権」の記事を作ってそちらに修正しつつ移したほうが良いかなと思います。
10 ななしのよっしん
2017/08/30(水) 12:38:25 ID: IXApw54MDo
あくまで一個人の意見ですが、戦国時代の天下統一に限定するのは個人的には反対ですね。
なぜならそうしてしまうと「三英傑以前に天下統一はなされなかったんだ」という勘違いが生まれます。
本来「天下統一」だの「天下支配」だのを謳うのは、戦乱の時代よりもむしろ平穏な時代の方が
当てはまり、代表例では江戸幕府ですと徳川家康統治期よりも、むしろ
後代の徳川将軍の時代の方が強固な政権が築かれております。
さらに言えば、「天下統一事業」の骨組み自体、三英傑がオリジナルで考えたわけではなく、
あくまで元々あった概念を先進させたものにすぎません。三英傑の天下統一事業が語られやすいのは
それすわなち、彼らが活躍した戦国時代が有名であるというのが一因です。
家康の幕府機構は頼朝を大いに参考にしたと言われてますし、秀吉の関白太政大臣体制は藤原、
平家に通じるものがあり、信長の政権もまた足利や平家の踏襲点も見られる中、
「戦国以外は排除ね」と勝手に外してしまうのはどうかと。
11 ななしのよっしん
2017/08/30(水) 12:49:55 ID: IXApw54MDo
また「天下人」の表現扱いにも気になる点があり、>>8のメモには
「三英傑以前は後から当てはめているだけ」とありますが、Wikipediaの
天下人の初出を川角太閤記に比定するのであれば、川角太閤記の成立年1621年には
既に徳川家康も病没しているので、結局三英傑=天下人も突き詰めれば後世の比定にすぎないと思います。
別に三英傑が天下人ではない、天下統一していない、と言うのではなく
「三英傑とそれ以前」で分ける根拠があまりにも弱く、長期的な概念であることがすっぽり抜けています。
ただ、記事の内容自体は非常に素晴らしいものですし、メモではなく形として残されたい、というのであれば
「天下人」とか「戦国時代の天下統一」とか「三英傑と天下統一」で分けて記述されるのがよろしいかと。
12 ななしのよっしん
2018/04/19(木) 02:21:09 ID: zOmrZdEAfI
御城プロジェクト:Reのストーリーモードの名称でもあり、タグ付きの動画としてはそれ関連のものが多いな
概要だけでも触れておいたほうがよさそう
13 ななしのよっしん
2022/05/03(火) 03:02:17 ID: PtkF74lUX+
江戸幕府の長期政権を知ってる現代人からすれば天下統一=すごい偉業だけど、戦国時代の人間から見た天下統一した政権ってその後は滅亡して一族全滅や家臣に乗っ取られたりして散々なイメージだったんじゃないかなって
ましてや戦国時代は応仁の乱以降の室町幕府の大混乱が現在進行形で続いてる時代だし
戦国時代は群雄割拠な一方で「天下統一なんて意味ない」という意識が一番強かった時期じゃないかと思う
14 ななしのよっしん
2023/01/10(火) 08:27:15 ID: 15teuqptMp
せやね 畿内の中央政権に寄った大家は悉く碌な目にあってないか10年もたずに倒壊してる→大内家、細川管領家、三好家、織田家
中央にあまり関わり持たない方が良いってか重要な選択肢ではないって感じ 毛利ー尼子間でも幕府の停戦命令聞きはするけど長続きせんかったし、島津もそんな聞いてないし北条も惣無事の解釈がズレてた感じ(一度臣従表明して当主上洛の準備はしてたけども…)
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