三式指揮連絡機単語


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三式指揮連絡機とは、大日本帝國陸軍が制式採用した航空機である。

概要

陸軍では地上部隊航空部隊が緊密に連携が取れるよう、直接協同偵察機という飛ぶ伝を運用していた。1937年11月から九八式直接協同偵察機が量産されていたが、飛行するにはある程度の滑走が必要だったため、陸軍は使い勝手の良い次世代機を欲した。

参考にしたのは、同盟ドイツで運用されていたフィーゼラーシュトルヒ連絡機であった。1940年陸軍日本国航空工業に揮連絡機(キ-76)の試作を命じた。その一方でもし性が思わしくなかった場合、ドイツからシュトルヒ連絡機を購入する事も検討していた。キ-76は生まれながらにして競合相手が存在していたのである。陸軍が提示した条件は「軽量」「短い滑走で離陸可」「地上攻撃も可」という欲セットだった。1941年5月、試作機が完成。初飛行も難なくこなした。翌6月ドイツから輸入したシュトルヒ連絡機が到着。キ-76と制式採用を巡って競合した。審の結果、キ-76の方が短距離離陸性や失速速度に優れていたため制式採用が決定。三式指揮連絡機の名を与えられ、量産が決定した。

諸元は全長9.56m、全幅15m、重量1110kg、最高速度178キロ、航続距離420~750km。下方視界は「見えすぎて困る」と言われるほど良好で、全幅の4倍の距離が離陸可という優れた離陸力、陸軍一の折りたたみなど名機に相応しい機体であった。ちょっと訓練を受けるだけででも操縦可になる操作性の良さも見逃せない。制式採用された後、各種改良により向かい風5キロあれば30mで離陸できるようになった。

しかし三式指揮連絡機の量産が始まったのは1943年であった。この頃には連合軍の新機が次々に登場し、200キロにも満たない低速の三式指揮連絡機に活躍の場は残されていなかった。そんな中、思わぬ運用法が持ち上がった。陸軍が保有する空母あきつ丸艦載機となり、短期間ながら対潜活用されたのである。優れた離陸性は短い飛行甲からの出撃をも可にし、良好な下方視界は対潜に打ってつけだった。タンカー改造空母山汐丸にも搭載する予定だったが、こちらは間に合わなかった。

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