仲哀天皇
(ちゅうあいてんのう 148年~200年3月8日)とは、第14代天皇である。
概要
日本武尊と垂仁天皇の皇女・両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)の間に生まれる。
叔父の成務天皇に皇子がいなかった為、178年に立太子されて皇太子となり、成務天皇がお隠れになった後の192年に即位した。実父の日本武尊が死後に白鳥となって天に昇った事から、全国各地に白鳥を献じるように命令をだしたが、異母弟の蘆髪蒲見別王(あしかみのかまみわけのみこ)が、白鳥も焼けば黒鳥と言って献上品の白鳥を奪いとる事件を起こした為、父に対する不敬として蘆髪蒲見別王を誅殺した。
193年に後に神功皇后となる気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)を妃に迎えて皇后とした。
199年に九州の熊襲討伐に神功皇后と共に赴き、筑紫にて神がかりした神功皇后から西海の宝の国(新羅)を攻めよとの神託をうけるが、信じずに非難してしまった仲哀天皇は、神の怒りにふれて翌年にお隠れになられた。在位は当時としては非常に短い9年だった。
仲哀天皇と言う諡号は、漢風諡号を持たない神武天皇から元正天皇までの44代(弘文天皇と文武天皇を除く)に対して、奈良時代の文人「淡海三船」が漢風諡号を一括撰進して以降呼ばれるようになったもので、古事記では帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、日本書紀では足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)と呼ばれている。
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関連項目
13代 | 14代 | 15代 | |
成務天皇(せいむてんのう) 131~190 |
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) 192~200 |
神功皇后 201~269 |
応神天皇(おうじんてんのう) 270~310 |
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