尼崎市交通局とは、かつて存在した地方公営のバス事業者である。
概要
尼崎市交通局は1948年、3台の電気自動車で運行を開始。当時は戦後の物資不足もあり燃料が容易に入手出来なかったことから、やむなく電気自動車での運行だった。当時の電気自動車は一晩充電して僅か4時間しか走行出来ず、しかも走行スピードは遅かった。車体も丸みを帯びていたこともあり、市民からは「亀の子バス」と呼ばれた。
1951年には物資不足も解消され、ようやくエンジン駆動の貸切観光バスの運行を開始。
1955年に入ると最盛期を迎えるが、1970年代の高度経済成長期に入ると交通渋滞や物価高騰により経営が悪化する。それを機に交通事業の効率化に本腰を入れるようになった。
2000年にはスルッとKANSAI協議会に加盟し同グループの磁気プリカを導入。
2015年7月時点では、周囲の他バス事業者(阪神バスや阪急バス、伊丹市バス等)とは違い後継のICカード「PiTaPa」の導入には至らなかった。
民営化へ
2004年には交通局の天下り団体、もとい外郭企業である「尼崎交通事業振興株式会社」に一部路線の運行を委託。
2009年には阪神バスにも一部路線・営業所の管理委託を行った。
2016年3月20日をもって尼崎市バス全線は阪神バスに完全移譲され、68年の歴史に幕を下ろした。
が、話はそれで終わるはずが無かった。
民営化後の問題点
なお、尼崎交通事業振興株式会社は法人そのものは何故か未だに存続している。
解散・消滅していないのだ。まさしく、しぶとく残っている天下りゾンビ企業である。
尼崎交通事業振興は現在、尼崎市交通局の民営化に反対していた残党(交通局職員)達の巣窟と化している。
何故、尼崎市ならびに阪神バスは、残党狩りを完全に達成しないまま2016年3月20日を迎えてしまったのか。
未だに疑問が残るものである。
尼崎市さん、2016年3月20日に完全民営化するって言いましたが、
何で尼崎交通事業振興が残っているんですか?
尼崎交通事業振興という天下り組織がが残っている時点で、完全民営化を達成したとは言えないですよね?
話が違うじゃないですか。
かつての営業拠点
路線一覧
阪神バスの記事に移行。
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関連項目
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