赤松満祐(1381~1441)とは、室町時代に活躍した武将である。
概要
赤松義則の息子。兵部少輔、大膳大夫、左京大夫。播磨・備前・美作守護
1427年に父を引き継ぎ赤松氏惣領職を継ぐ。ところが将軍・足利義持は播磨国を召し上げ、近臣である赤松持貞にこれを与えようとする。赤松満祐はこの撤回を求めるが拒否され、屋敷を焼き播磨に下向した。結局義持は理由をつけて持貞を殺し、畠山満家の仲介によって両者は和解することとなった。
1428年に足利義持が亡くなり、足利義教が将軍になると、赤松満祐は侍所所司を拝任し正長の土一揆や播磨国人の一揆の対応にあたった。しかし、足利義教が近臣である赤松貞村に播磨・美作の守護職を与えようとしている、という風聞が立つ。さらに、実際に満祐の弟である赤松義雅が所領を没収され、近臣の貞村と細川持賢に与えられる、という事件が発生する。また、同じく守護である一色義貫、土岐持頼らが義教の命で討たれ、満祐は危機感をつのらせていった。
そして1441年ついに、嫡男赤松教康らと謀って足利義教を暗殺。嘉吉の乱である。播磨に下向したが、細川成之、山名持豊らの軍勢に攻められて自害した。
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