ディエゴ・ミリート(Diego Alberto Milito, 1979年6月12日 - )とは、アルゼンチンのサッカー選手である。アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオンのラシン・クラブ所属。ポジションはFW。
愛称はエル・プリンシペ。PKが非常にうまい選手として知られる。
2003年にイタリア・セリエBのジェノアへ移籍。はシーズン途中の加入であったが、20試合12得点を記録。
2004-05シーズンにはリーグ戦39試合21得点を記録しジェノアのセリエA昇格に大貢献。しかしカルチョスキャンダルの影響でクラブはセリエC1へ降格した。
2005年にスペイン・リーガ・エスパニョーラのレアル・サラゴサへ移籍。欧州1部リーグデビューである2005-06シーズンに15得点をマークする上々の滑り出しを見せると、翌2006-07シーズンには37試合23得点を記録。クラブの6位進出の立役者となった。2007-08シーズンもリーグ戦でゴールを量産したものの、クラブは低迷しセグンダ・ディビシオンへ降格した。
2008年に古巣であるイタリア・セリエAのジェノアへ移籍。ジェノア復帰後は1年しか在籍しなかったが、2008-09シーズンのリーグ戦で24得点を記録し、得点ランキング2位タイとなった。リーグ戦を5位で終えたチームを前線から牽引した。
2009年にイタリア・セリエAのインテルへ移籍。移籍1年目から当時の監督であるジョゼ・モウリーニョの信頼を掴み取りエースストライカーとして君臨し、インテルの三冠達成(UEFAチャンピオンズリーグ、セリエA、コッパ・イタリア)に大きく貢献をした。とくにUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦では、バイエルン・ミュンヘンを相手に2得点を奪いクラブをUEFAチャンピオンズリーグ優勝へ導いた。2011-12シーズンにもクラブが不調であるにもかかわらず、リーグ戦24得点を挙げる奮闘を見せた。
2014年に古巣のラシン・クラブへ復帰。加入直後にキャプテンに就任し、2014シーズンにはクラブをリーグ優勝に導いた。
2003年にアルゼンチン代表デビュー。2011年の代表引退までに25試合4得点を記録。
コパ・アメリカ2007、2010 FIFAワールドカップ、コパ・アメリカ2011などの国際大会に出場。
招集こそされるものの出場機会が訪れないことが多く、絶頂期に迎えた2010 FIFAワールドカップでもディエゴ・マラドーナの采配によりベンチに座ることが多かった。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
1999-00 | ![]() |
ラシン・クラブ |
プリメーラ・ディビシオン |
11 | 1 |
2000-01 | ![]() |
35 | 2 | ||
2001-02 | ![]() |
38 | 9 | ||
2002-03 | ![]() |
35 | 14 | ||
2003-04 | ![]() |
18 | 8 | ||
2003-04 | ![]() |
ジェノア |
セリエA |
20 | 12 |
2004-05 | ![]() |
39 | 21 | ||
2005-06 | ![]() |
レアル・サラゴサ |
リーガ・エスパニョーラ |
36 | 15 |
2006-07 | ![]() |
37 | 23 | ||
2007-08 | ![]() |
35 | 15 | ||
2008-09 | ![]() |
ジェノア | セリエA |
31 | 24 |
2009-10 | ![]() |
インテル |
35 | 22 | |
2010-11 | ![]() |
23 | 5 | ||
2011-12 | ![]() |
33 | 24 | ||
2012-13 | ![]() |
20 | 9 | ||
2013-14 | ![]() |
17 | 2 | ||
2014 | ![]() |
ラシン・クラブ |
プリメーラ・ディビシオン |
17 | 6 |
2015 | ![]() |
17 | 6 | ||
2016 | ![]() |
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最終更新:2023/12/03(日) 08:00
最終更新:2023/12/03(日) 07:00
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