黒木親実(くろき・ちかざね 生没年不詳)とは、筑後国の戦国武将である。
黒木氏は調宿禰の調能高の末裔という。渡来人の子孫であり、筑後国猫尾に土着したとされる。
5世孫にあたる黒木貞善が黒木姓を名乗ったのが始まりであるが、現代には二種類の系図が伝わる。
『基礎知識所収系図』の貞善の子・黒木成実の末裔説と『黒木町史所収系図』の成実の弟・黒木善能の末裔説である。
両者の6世孫は黒木統実と共通しており、以後基実、為実、之実と続いている。
が、『基礎知識所収系図』のほうでは親実は黒木重実の子となっており、『黒木町史所収系図』のほうでは黒木之実の子となっている。
また子のほうも両者とも異なっており、前者では黒木鑑真という子がおり、後者では黒木鑑実が子としているとされている。
現実味があるのは後者であるであろう。
| 『基礎知識所収系図』 | 備考 | 『黒木町史所収系図』 | |
| 黒木統実 | ←成実裔 | 善能裔→ | 黒木統実 |
| ↓ | ↓ | ||
| 黒木基実 | 黒木基実 | ||
| ↓ | ↓ | ||
| 黒木為実 | 1407生 1501没 | 黒木為実 | |
| ↓ | ↓ | ||
| 黒木之実 | 1465戦死 | 黒木之実 | |
| ↓ | ↓ | ||
| 黒木重実 | 黒木親実 | ||
| ↓ | ↓ | ||
| 黒木親実 | 黒木鑑実 | ||
| ↓ | ↓ | ||
| 黒木鑑真 | 黒木鑑隆 | ||
| ↓ | ↓ | ||
| 黒木鑑隆 | 別名:家永 | 黒木家永 | |
| ↓ | ↓ | ||
| 黒木延実 | 龍造寺家の人質 | 黒木延実 | |
親実が生まれた時の筑後は菊池氏が筑後守護として統治していたが、1462年に足利義政の命によって大友親繁に筑後半国守護に任命したことで筑後を巡る騒乱が起きる。
これが大友・菊池氏の90年に及ぶ抗争の幕開けとなった。
1465年に親繁の来襲により黒木之実が討死し、黒木氏は祖父・黒木為実(曽祖父という説もあるが親子関係が困難)が再度統括することとなる。
とりあえず黒木氏としては菊池氏だけではなく大友氏にも顔を立てなければならなくなり、尚且つ応仁の乱が勃発してしまったために黒木氏も生き残りをかけて分裂を余儀なくされた。
そこで親実は大友親繁から偏諱を賜って繁実と名乗っている。親繁が1476年に隠居し、その子・大友政親が家督を継ぐと、政親にも偏諱を受けて親実に改名した。
祖父の黒木為実は1407年生まれとされ、親実も大友親繁・大友政親父子によって偏諱を賜っていることから、遅くとも親繁が隠居した1476年を逆算として1460年ごろ、早くても1450年代と推測される。
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最終更新:2025/12/13(土) 06:00
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