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黒田清隆単語

クロダキヨタカ

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黒田清隆1840~1900)とは、幕末から明治時代初頭にかけて活躍した人物であり、日本の第2代総理大臣である。

概要

薩摩士・黒田清行の長男。通称了介。示現流有数の使い手で戦争後には江戸砲術を修めるなど優れた人物であったが、わずか4石の下級武士であり、幕末の動乱で頭を現した人物の一人である。

彼がようやく最初に表舞台に立つのは、1865年長同盟の際に、西郷隆盛の使者として桂小五郎長州の説得にあたった時である。その結果、の上を実現させ、長同盟締結に繋げることとなった。

そして1868年、羽・伏見の戦いに参加。戊辰戦争では北陸道鎮撫総督参謀となり、北越戦争長岡、新発田秋田米沢などを降伏・帰順させていった。特筆すべきが庄内の降伏で、寛大な処置を施して薩摩庄内連携の糸口を作っていったのであった。
さらに1869年に函館征討参謀となり、旧幕府軍を壊滅。戦後榎本武揚の助命嘆願に尽していった。

戦後1870年から北海道開拓次官、1873年には参議兼開拓長官となり、榎本ら旧幕臣を開拓使に登用して、北海道の開拓に尽していく。ただし1877年に西南戦争が勃発すると、軍務に復帰。衝背軍を率いて熊本の日奈久に上陸。西郷軍を背後から襲撃して熊本城の防衛に成功した。

1881年に、開拓使止に伴う開拓使官有物払下げ事件で批判を浴びる。しかし、その後も政府薩摩閥の重鎮として活動を続け1888年に内閣総理大臣に就任。総理となっていたのはほんのわずかな期間のみであったが、枢密顧問官、逓信大臣、枢密院議長などを歴任して伯爵位についた。

関連項目

初代 第2代 第3代
伊藤博文所属)
1885~1888
黒田清隆 (所属)
1888~1889
山県有所属)
1889~1891

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最終更新:2019/08/26(月) 04:00

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