東海道・山陽新幹線の第2世代車両。「フルモデルチェンジ車」と「高速化」が喫緊の課題となっていた東海道新幹線において、博多開業に際して増備された0系が編成単位で置き換えの時期に来たため、老朽化置き換え用として開発。0系の後継車として国鉄末期の1985年に落成、同年10月1日に営業運転を開始した。
なお、開発時には国鉄上層部にもデザイン等の報告は上がっていたが、開発陣と知り合いでもあった当時国鉄理事の須田寛は「お任せします」とだけ返している。また、開発に際して1両あたりの値段は200系が3億円とアップしたため0系の2億円をベースとし、この範囲で収まるようコストダウンを図った。
最大の特徴は2階建て車両である。JR東海のX及びG編成は2階建て車両は2両だがJR西日本のV編成は4両連結していた。これは付随車を設けたことによるものであるが、付随車設置についてはブレーキ面から全電動車を推す島秀雄からは反対意見も出ていた(が、開発陣は付随車設置を強硬した)。
内装は0系から大きく進化しており、広いシートピッチ、3列シートの回転機能、フリーストップ式のリクライニングシートを、2階建ての食堂車などのように快適性が大幅に向上することになった。
一方で動力性能は付随車もあることから0系と編成全体の出力は大差なく、300系投入以降の高速化の波に完全に遅れた存在となってしまった。実際、JR東海は民営化後減価償却費を積み増すために100系を増備したものの、「0系から技術的進化はない」(葛西敬之)として「スーパーひかり」計画を引き継いで300系による270km/h運転を急いだ(もっとも、東海道新幹線のフルモデルチェンジとスーパーひかり計画は国鉄内部では並行していたものの、スーパーひかり計画が時間的に間に合わないためフルモデルチェンジを先行した)。
営業運転開始から18年後の2003年10月1日のダイヤ改正によって270km/h可能な車両で統一する事となり(のぞみ号中心ダイヤへの変更)東海道では9月16日に、山陽では9月15日に16両編成の運転が終了の予定であったが代替で10月9日に山陽こだまで運用された。前述のとおり性能差が原因で、最終増備車は通常製造後13~15年で廃車されるところを、製造後11年に前倒しされる形で廃車されてしまうこととなった。
2008年現在、4両と6両の西日本色の100系がこだま号として営業運転に就いているが、老朽化によるものと考えられるトラブルの他、九州新幹線全通後にレールスター用700系7000番台がN700系7000番台(S編成)増備に連動して順次こだま号運用となる事もあり、2012年3月17日のダイヤ改正で引退した。
※但し、新下関駅併設の新幹線乗務員訓練センターにある元P2編成は2012年の本線引退後も新下関に残っていたが、2013年3月末で引退となる。
最初に落成した編成で、国鉄(→JR東海)に所属していた。食堂車を連結し、グリーン車は2両。先行量産型は小窓だった。東京~博多間の運用に優先充当されたため、その走行距離の多さから寿命も短く、1999年10月1日の「こだま」運用を最後に引退している。2000年までに全編成除籍され全廃。
量産先行車X0編成1本のみで新会社に継承させる訳にはいかないとの判断から86年11月のダイヤ改正に間に合わせる形で量産車48両を1985年に発注。この時点では2階建てグリーン車の最終確定がまだだったため、2階建てのない12両編成で発注(G1~G4編成)し当時12両運用であった「こだま」に先行投入。のちに2階建て4両編成16両を追加編入しX編成(X2~X5編成)とした。あわせて、量産先行車も量産化改造を施行しX1編成とした。
民営化以後は下記のG編成に切り替えられたため、民営化直前の87年3月落成となった3次車2編成を含め国鉄時代投入の7編成のみとなった。
なお、X6・X7の2編成はJR西日本が承継する案もあったが、先頭車両が付随車であり将来の短編成化に不向きであるため、JR東海が承継した。
リニア・鉄道館に展示されているのは1986年製造の先頭車123-1と1985年製造の食堂車168-9001の2両。食堂車内部を見学することが可能である。
1号車 | 2号車 | 3号車 | 4号車 | 5号車 | 6号車 | 7号車 | 8号車 | 9号車 | 10号車 | 11号車 | 12号車 | 13号車 | 14号車 | 15号車 | 16号車 |
123 | 126 | 125 | 126 | 125 | 126 | 125-5 | 168 | 149 | 116 | 125-7 | 126 | 125 | 126 | 125 | 124 |
4次車以降。1987年よりJR東海が投入した編成で、東海道新幹線での100系ラストランを担当したのもこの編成。食堂車をカフェテリア付きグリーン車に変更し、普通車にフットレストを採用した。このためX編成と区別する必要が生じ、X編成が12両時に暫定的に使用されたG編成が付番された。
※G編成で食堂車をカフェテリア付きに変更したのは食堂車の利用が頭打ちになっていたことと、当時東海道新幹線区間で食堂車を担当していた業者の1社が総合企画本部長の葛西敬之に「準備や撤収作業を考慮すると新横浜駅から京都駅の手前までしか稼働できず、回転率も低く赤字。別の形式にしてくれ」と申し入れたため。発注済みの車両の仕様変更が可能であるか車両メーカーに確認したうえでカフェテリア付きに変更した。なお、営業側から「旅情が失われる」と反対意見があったが、葛西は「東海道新幹線の利用者は旅情を求めていない」とこれを一蹴した。
当初は東海道新幹線内のみの運行であったが、段階的に山陽新幹線に入り1993年3月より博多駅までの運行を開始。最終的に50編成が投入されたが、これは「新幹線は1系列あたり50編成程度持たないと部品等のコストが嵩む」(須田寛)ため。最終落成はG46編成だが、先に落成していた300系J2編成よりも先に廃車となった。
なお、JR西日本にG1~G7の7編成112両が1996年度に譲渡されているが、これはJR西日本受け持ち分の東京直通0系をJR東海が出来るだけ早く置き換えたかったからである。
2001年10月のダイヤ改正で「こだま」運用中心となり「ひかり」運用は名古屋~博多1往復のみに減少。2003年8月に「ひかり」運用とカフェテリア営業を終了し、2003年9月16日にラストランを行った。
ただし、翌2004年1月22日に岡山~博多「こだま」にピンチランナーとして運用された。
1号車 | 2号車 | 3号車 | 4号車 | 5号車 | 6号車 | 7号車 | 8号車 | 9号車 | 10号車 | 11号車 | 12号車 | 13号車 | 14号車 | 15号車 | 16号車 |
123 | 126 | 125 | 126 | 125 | 126 | 125-5 | 148 | 149-1 | 116 | 125-7 | 126 | 125 | 126 | 125 | 124 |
JR西日本が1989年より製造・投入した編成で、2階建て車両を4両繋げている事から愛称は「グランドひかり」。食堂車を連結し、グリーン車は3両だが個室はない。
食堂車については東京~岡山・広島間の所要時間の関係から井手正敬により必要と判断され、かつ多様なニーズと山陽新幹線の特性にあわせた車両とするため先頭車両を電動車とし、2階建てを4両化した。
最高速度230km/hで運転されており、さらに将来の高速化に対応する為にV1編成に関しては試験的に270km/h運転が可能なようにされていたのだが、騒音等の諸事情により営業運転で270km/hを出す事は叶わず、JR西日本は「500系900番台(WIN350)での高速試験と500系0番台(W編成)の営業列車への投入」へと舵を切る事となった。
ちなみに230km/h運転はトランスポンダを使用し220k/h信号を読み替えていたが、現在はトランスポンダの地上子・車上子ともに撤去されているため230km/hでの運転は行えない。
また、従来の100系は界磁制御は行わなかったがこの編成は弱め界磁制御ができるようになっている。
2002年5月に定期運用が終了し、11月23日のラストラン(V2編成)をもって引退。
なお、V9編成の7号車と8号車は原色のまま博多総合車両所に保管されていた。2010年10月1日の時点では車籍抹消のうえ保管される予定であったが、2024年4月にグリーン車・179-3009が解体された。残る食堂車(168-3009)も7月に解体された。
1号車 | 2号車 | 3号車 | 4号車 | 5号車 | 6号車 | 7号車 | 8号車 | 9号車 | 10号車 | 11号車 | 12号車 | 13号車 | 14号車 | 15号車 | 16号車 |
121 | 126 | 125 | 126 | 125-8 | 126 | 179 | 168 | 179 | 178 | 125-7 | 126 | 125 | 126 | 125 | 122 |
山陽「こだま」に投入されている0系を置き換える為にV編成を短編成化した編成で、K編成が6両10編成、P編成が4両12編成である。車内も「ウエストひかり」のシートやG・V編成のグリーン席を用いた2列+2列シートになった。この際、電動車比率がおかしくなったためV編成の中間車に廃車になったG編成の先頭車をくっつけたりする改造も行われた。ただし、G編成にはATC読み替えのトランスポンダがないため、最高速度は220km/hに統一された。塗装は500系やレールスターに準じたものに変更され、フレッシュグリーンの帯が使用された。
P編成はJR東海が管轄する新大阪駅の信号システムの都合から西への折り返しが可能な姫路までの乗り入れで、末期には岡山以西運用となっていた。が、なぜか停目は残されていた。
が、100系だけで0系すべてを置き換える事は出来ず、500系7000番台(V編成)で0系置き換えは完了した。
なお、100系は2012年3月16日に引退となるがこれを受ける形でK編成の中から3編成が従来の塗装に戻される事となり、7月14日に最初の編成(K53)が営業運転を開始したのに続き、K54・K55編成も原色に戻されている。
また、4両編成(P編成)は2011年3月12日のダイヤ改正を以て運用を終了し、K編成も博多~岡山間の運用へ変更。新大阪~岡山間から100系は姿を消す事となった。
2011年12月の時点では原色に戻されたK53~55編成が残るのみとなっていた。2012年10月1日時点では全て廃車され車籍は残っていなかったが、K54編成の1両(100-5003)のみ廃車が削除され2013年4月1日時点では車籍が復活している(後に除籍)。
定期列車最終便は3月14日の「こだま766号」(K54編成)と「こだま827号」(K55編成)、ラストランは3月16日の「ひかり445号」(K55編成。岡山→博多、全車指定)。車内チャイムを「ひかりチャイム」に変更して岡山から博多まで運行された。
2014年12月に500系W1編成の先頭車と共に元V3編成(→K54編成)の100系グランドひかり先頭車(16号車)も博多総合車両所から京都へ博物館展示の為に搬送された。
1号車 | 2号車 | 3号車 | 4号車 | 5号車 | 6号車 |
121 | 126 | 125-7 | 126 | 125 | 122 |
1号車 | 2号車 | 3号車 | 4号車 |
121 | 126 | 125-7 | 122 |
掲示板
21 ななしのよっしん
2017/10/07(土) 17:30:37 ID: bnp03k4Csf
速さや運用効率を考えると100系はお荷物の車両としか思えないが、100系を超える豪華な新幹線は最早東海道では期待できないだろう。
22 ななしのよっしん
2017/10/13(金) 04:23:32 ID: NZuT+EdE9B
>>21
東海道新幹線はリニアが完成したらローカル線に転落するわけで、そうなったらテコ入れのために色々やってみたいしやらねばならなくなるだろうって東海自身が言ってたぞ?
種車の関係で短命に終わったけど在来でトレイン117なんてものも作ってた事だし、「火災帝国」なんて揶揄された時期に比べるとかなり柔軟になってきてるよこの会社。
むしろ西のがヤバい。どんどん保守化して「無難にいい車両」しか作れなくなってる。TYPEEVAだって所詮ラッピングトレインに毛が生えたようなもので東のとれいゆ現美に完敗だしな。
23 ななしのよっしん
2017/12/11(月) 14:42:42 ID: LezYpvRYq0
>>22
毎日走る定期列車と休日中心のジョイフルトレインをサービスで比較するのはどうかと思うのだけど。
「本格的なジョイフルトレインを造る気概がないから定期運行で済ませてるに違いない」
と言いたいのかな
提供: KBS
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最終更新:2025/04/25(金) 01:00
最終更新:2025/04/25(金) 00:00
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