ファストフレンド 単語

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ファストフレンド

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ファストフレンドFast Friend)とは、1994年生まれの日本の元競走馬繁殖牝馬栗毛

相手に地方交流GⅠを2勝したダートの女傑。……なのだが、迷実況ばっかり有名なちょっと不憫な子。そもそもだということを知らなかったという人もちらほら見かけるが、女の子やぞ

な勝ち
1999年マリーンC(GⅢ)、スパーキングレディーC(GⅢ)、エンプレス杯(GⅡ)、クイーン賞(GⅢ)
2000年帝王賞(GⅠ)、東京大賞典(GⅠ)、東海S(GⅡ)、エンプレス杯(GⅡ)、東海菊花賞(GⅡ)

概要

アイネスフウジンザラストワード*ノーザンテーストという血統。
1990年日本ダービーで20万人の「ナカノコールを巻き起こし「競馬ギャンブルからスポーツに変えた」名逃げ種牡馬としてはファストフレンドが代表産駒になる。
アイネスフウジンと同世代で、ダートを走り20戦4勝の条件で終えた。
日本の血統図を塗り替え、社台グループの礎となった日本競馬史に然とく大種牡馬

1994年5月12日、門別町の中前牧場で誕生。オーナー崎大。美の高二厩舎に所属し、騎手蛯名正義だった。

名の由来は「友」を意味する英語Fast friend(s)」から。

※この記事では2000年までの齢表記は当時のもの(数え年、現在の表記に+1歳)で記述します。

友よ疾きこと風神のごとく

旧4歳~旧6歳・平凡な条件馬、地方で運命の出会いを果たす

デビューは遅く、翌週に日本ダービーを控えた1997年5月24日の4歳未勝利戦府中の芝1600m戦を9着に敗れ、2戦函館ダート1700m未勝利戦で2着となり、以降はダートに専念する。

3戦未勝利戦を突破すると、10月500万下11月900万下と順調に勝ち上がるが、そこから先はOP特別や1600万下掲示板に載ったり載り損ねたりで足踏みが続く。5歳までは13戦4勝。6歳になって初戦の1600万下を勝っても、当時は降級制度があったのでまだ条件のままであった。

さて、どうも中央では頭打ちということで、6歳になって4戦4月マリーンカップGⅢ船橋)に向かったファストフレンド。これが重賞初挑戦だったが、ここで彼女は1人の騎手運命の出会いを果たす。蛯名正義である。ここを鮮やかに差し切り勝ちして重賞初制覇。

中央に戻って岡部幸雄上に迎え、府中オアシスS(OP)、武蔵野SGⅢ)と挑んだが連続して3着。うーんやっぱり地方相手に戦うか、というわけで上を蛯名騎手に戻して地方限定ダートグレード競走路線に向かうと、6月スパーキングレディーカップGⅢ川崎)、7月エンプレス杯GⅡ川崎)、10月クイーン賞GⅢ船橋)とく間に3連勝。
当時はまだJBCレディスクラシックなんてものはなく、当時の古限定ダートグレード競走は上記4レースTCK女王盃GⅢ大井)だけなので、ほぼ総なめ。蛯名正義との出会いで、ファストフレンドはあっという間にダート女王の座に駆け上がった。

続いて府中霜月S(OP)でもを蹴散らして4連勝、年末の東京大賞典GⅠ)に乗りこんだ。1番人気はこの年地方として初めて中央GⅠを制した(現在一)岩手の雄メイセイオペラ。2番人気はこの年地方重賞を3勝していた大井逃げゴールドヘッド。ファストフレンドはその地方2頭に次ぐ3番人気だった。上は横山典弘
中は中団に構えたファストフレンドは。3コーナー手前から押し上げていく。同様にめに押し上げたメイセイオペラが4コーナー群に沈むのをに、直線で逃げゴールドヘッドを捕らえて抜け出す。外から追い込んできた4番人気ワールドクリークスマートファルコンの半)との一騎打ちとなり、最後は差し切られて半身差の2着。
敗れはしたものの相手にGⅠで、3着以下を4身突き放しての2着。文句なくダートの一流仲間入りを果たしたのであった。

旧7歳・女傑は君臨すれど賞はなし

7歳となった2000年川崎記念GⅠ)から始動。引き続き横山典弘上に、1番人気に支持されたが3着。
続いてその11日後フェブラリーステークスGⅠ)に参戦、上は蛯名正義に戻る。さすがに間が詰まりすぎとか中央GⅠは初とかで7番人気だったが、ハイペースの展開の中、ウイングアローとともに最後方から猛然と追い込み、最後はウイングアローと同じゴールドティアラに僅かに競り負けたもののメイセイオペラは差し切って3着。

5月東海ステークスGⅡ)では1番人気に推され、3番手の先行策から逃げるスマートボーイゴール板前でクビ差差し切ってレコード勝ち、中央重賞初制覇。結局アイネスフウジン産駒としてはこれが一の中央重賞制覇になった。

そして6月帝王賞GⅠ)。ファストフレンドは出走紅一点ながら、連覇を狙うメイセイオペラに次ぐ2番人気中は中団に構えると3コーナーから押し上げていき、めに抜け出そうとしたメイセイオペラを直線入口で捕まえると並ぶ間もなく一気に抜け出し突き放す。外からは人気薄の地方2頭が猛然と追い込んできたが、最後はハナぎきって押し切り勝ち。交流GⅠ勝利を挙げた。
なお、2着ドラルアラビアンは13番人気、3着ザフォリアは15番人気。当時3連単があればいったいどんな配当がついたのであろうか。
続いて中1週でエンプレス杯GⅡ)に向かい、相手になら中1週だって負ける理由がないとばかりに3身差で楽勝する。

休養を挟んで10月マイルチャンピオンシップ南部杯GⅠ)から始動したが、フェブラリーSでも先着されたゴールドティアラに1差をつけられる敗で4着。
気を取り直して11月東海菊花賞GⅡ名古屋)に向かい、初の名古屋、初の2500mという距離もなんのその、1身半差で勝。
続いて中2週で第1回ジャパンカップダートGⅠ)に1番人気で参戦したが、ウイングアロー中央ダートGⅠ制覇のだいぶ後ろで5着に敗れた。

そして年末の東京大賞典GⅠ)。ウイングアローゴールドティアラもいないとなれば彼女に敵はかった。中は中団につけて3コーナー手前から徐々に押し上げていく勝ちパターンレース運びで、残り200mで抜け出して先頭に立つと、そのまま然と押し切り1身半差という着差以上の圧勝。単勝2.2倍の1番人気に応え、交流GⅠ2勝を挙げたのであった。

この年ファストフレンドは9戦5勝、交流GⅠ2勝JRA賞最優秀ダートホースウイングアローに持って行かれたのはフェブラリーSJCダート両方負けてるのでまあ仕方ないとしても、最優秀5歳以上は獲れてもおかしくなかった。ところがこの年の最優秀5歳以上は、マイラーズカップ10着、札幌記念7着、エリザベス女王杯1着で3戦1勝のファレノプシスだったのである。

これ、どうも投票者の大半が有馬記念の時点で投票を済ませ、その後に行われる東京大賞典を見ていなかったらしいのだが……。この結果にはファストフレンドのファン地方競馬ファンから抗議があがったのは言うまでもない。ファレノプシスには苦戦が続いた牝馬二冠馬引退レース復活GⅠ勝利というドラマ性があったので、東京大賞典の後に投票が行われていても同じ結果だったかもしれないが……芝とダートの扱いの差とか、JRA賞における地方での戦績の扱いとか、いろいろ考えさせられる結果であった。

なお、ファストフレンドはこの年、NARグランプリ特別表に選出された。

新7歳・「ファストフレンドはとどかにゃい!」

2001年齢表記が満年齢に変更されたのでこの年もファストフレンドは7歳表記。初戦の川崎記念逃げレギュラーメンバーを1周ゴールからもう2番手に押し上げて捕まえに行ったが、最後まで捕まえきれないままに逃げ切りを許し2着。
続いてのフェブラリーステークスは特に見せ場なく6着に敗れ、重賞初挑戦以降で初めて掲示板を外してしまう。

そして4月オグリキャップ記念GⅡ)。1番人気に支持されたファストフレンドだったが……。

レコードタイム逃げ切った6番人気ハカビッグワンに届かず3着。ゴール前、奮した実況アナが盛大に裏返ってしまった「ファストフレンドはとどかにゃい!」彼女の代名詞となってしまった。この迷実況のおかげで今でも彼女名前が残っていると言えるかもしれないが、1番人気で負けたとはいえレコードタイム逃げ切ったハカビッグワンを褒めるべきレースだし、このレースの前に勝った帝王賞東京大賞典に対して「届いた方」とか言われるのはちょっとあんまりだと思う。

せめてこの後「とどかにゃい!」を払拭する活躍を見せられれば良かったのだが、さすがにで7歳ともなれば衰えを隠せず、このあとは東海Sを5着、そして帝王賞を11着に敗れて現役引退となった。

通算38戦15勝、重賞9勝。

引退後

引退後は故郷の中前牧場で繁殖入りし、その後一時期はノーザンファームで繋養された。9頭のを産み、2005年生まれの第3フォーティファイド(フォーティナイナー)が地方重賞を2勝している。

2017年出産した第9を最後に繁殖牝馬引退2022年現在も存命で、中前牧場で当歳リードホースをつとめている。

ダートGⅠを牝馬が勝つっていうこと

以上、彼女競走馬としての経歴をってきたわけだが、ここまで敢えて詳しく触れずにいた事実がある。

それは、ダートは芝以上にの実差が大きいということだ。

芝ではと対等に戦うことももはやしくないが、の上を走る日本ダートパワーが要るため、現在の間には明確な実差が厳然と存在する。ぶっちゃけダートの一線級相手にダートが勝つのは現在でもかなりの無理ゲーである。2022年フェブラリーSではソダシが3着に入ったが、フェブラリーS馬券に絡むこと自体が2001年トゥザヴィクトリー以来21年ぶりだったぐらいである。

では、1996年に中央・地方交流競走が始まって以降の古ダート混合GⅠ/JpnⅠにおける、の勝ちを見ていこう。

おわかりいただけただろうか
1996年以降、2022年現在まで、日本の古ダートGⅠ/JpnⅠでに勝った6頭しかいない。
そしてその中で複数回勝ったのは、ホクトベガとファストフレンドの2頭だけである。

そう、ファストフレンドは決して「とどかにゃい!」だけのではない。紛れもなく数十年に1頭出るかどうかという日本ダート史に残る名なのだ。ひょっとしてGⅠ勝ったせいでだと気付かれてない?

彼女不幸は少し前にホクトベガという100年に1頭クラスダートが居たために「ダートGⅠ相手に2勝した」というレジェンド級の功績が当時はそんなにレジェンド感がかっただろうこと(しかも同時期に同じくを倒したゴールドティアラもいたわけで……)。そして地方の雄アブクマポーロメイセイオペラの時代が終わり、超ド級変態アグネスデジタルダート2戦で伝説になったクロフネが出てくる前という、ちょうどダート戦線の影が薄い世代だったことだろう。
中団から徐々に押し上げて直線抜け出し押し切り、という堅実な勝ちパターンレースぶりに手さがなかったのも痛かったかもしれない。

1歳下のウイングアローや2歳下のゴールドティアラあたりともっとライバル関係として盛り上げられていれば良かったのだろうが……。めてもうちょっと再評価されていいだと思う。

血統表

アイネスフウジン
1987 黒鹿毛
シーホーク
1963 芦毛
Herbager Vandale
Flagette
Sea Nymph Free Man
Sea Spray
テスコパール
1976 栗毛
*テスコボーイ Princely Gift
Suncourt
ムツパール *モンタヴァル
マサユウ
ザラストワード
1987 鹿毛
FNo.2-b
*ノーザンテースト
1971 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
グロリアウエーブ
1978 黒鹿毛
*シルバーシャーク Buisson Ardent
Palsaka
*ブルーウェーブ Neanderthal
Capriann

クロスLady Angela 5×4(9.38%)、Norseman 5×5(6.25%)、Hyperion 5×5(6.25%)

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