矢野燿大(やの あきひろ)とは、中日ドラゴンズ、阪神タイガースに所属した元プロ野球選手である。
本名「矢野輝弘」。ポジションは捕手。中日時代は外野を守ることもあった。
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中学時代は野球部がなかったため、バスケットボール部に所属していた。
桜宮高等学校、東北福祉大学を経て1990年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。
1997年交換トレードで阪神タイガースに入団。吉田義男、野村克也に評価され、すぐに正捕手の座を獲得。
2002年は阪神の快進撃に貢献していたが、自身の故障と共にチームも失速した。
2003年藤本敦士と共に恐怖の下位打線を形成し、阪神の18年振りの優勝に貢献した。その年ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。ゴールデングラブ賞は捕手として史上最年長での初受賞であった。
2005年はバッティングフォームを変え、自己最多の19本塁打を記録。阪神に移籍して2度目の優勝に貢献し、日本シリーズの敢闘選手賞も受賞した。その年のオフFA権を取得し、FA宣言して残留した。
2007年、2008年は故障や年齢の影響もあり全試合先発出場することはなく、野口寿浩と併用されるような形の出場となった。また、2008年は星野監督に誘われ北京五輪に選出された。
2009年は手術した右肘の回復が遅れ2軍スタート、30試合に留まったものの勝負強さは健在であった。オフに登録名を「矢野燿大」に変更した。しかし2009年に狩野恵輔が台頭し、FAで城島健司が移籍してきたため、2010年は厳しい戦いを強いられることが予想された。
2010年は城島の控え捕手としてチームを支えていたが右肘の状態が悪く6月に2軍落ち、復活の目処が立たず20年間にわたる現役生活に別れを告げ引退。なお同年9月30日甲子園でのシーズンラストゲーム後引退セレモニーが行われた。
2011年からは野球評論家、野球解説者、スポーツキャスターとして活動している。
| 通算:20年 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1669 | 5517 | 4921 | 1347 | 112 | 570 | 16 | 103 | 29 | 406 | 58 | 1089 | .274 | .335 |
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最終更新:2025/12/13(土) 00:00
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