下柳剛(しもやなぎ つよし、1968年5月16日-)とは、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)である。現在は浮浪者野球解説者を務める。
OB | |
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下柳剛 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県長崎市 |
生年月日 | 1968年5月16日 |
身長 体重 |
184cm 96kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1990年ドラフト4位 |
引退 | 2012年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
瓊浦高等学校では甲子園大会出場はならなかったが、下柳マウンドと呼ばれる特殊なマウンドを作っていた。
八幡大学に進学したが、いじめを受けて中退。恩師の紹介を経て新日本製鐵に就職し、公式戦でタフに登板を積み重ねた。
1990年、福岡ダイエーホークスにドラフト4位で入団。
プロ入り当時は典型的なノーコン速球派投手だったが、当時の根本陸夫監督と権藤博投手コーチが「あいつだけはいくら投げさせても壊れん」と連日の投げ込みをさせて制球力を改善させた。
1993年から中継ぎとして連日のように登板し、そのタフネスぶりから「アイアン・ホーク」の愛称で親しまれる。
1995年に自損事故を起こして故障し、それが原因で日本ハムファイターズにトレードされた。
鉄腕ぶりを発揮し、1997年には65試合登板で147イニングを投げ、先発登板1試合のみで規定投球回数に達した。またこの年、イチローの連続打席無三振を216で止めイチローキラーとも呼ばれた。1999年まで3年連続60試合登板を達成。
2000年から先発に転向し2年で17勝を挙げるが、2002年には勤続疲労もあってか成績が低迷。同年オフに阪神タイガースにトレードで移籍する。
長年の経験で培った制球力で、のらりくらりとした投球で勝負する技巧派左腕に転身。
2005年には37歳にして15勝を挙げ最多勝利のタイトルを獲得。セ・リーグ最年長記録であると同時に、規定投球回数に達せずに最多勝という史上2人目の珍記録でもあった(最初の達成者の伊東昭光はリリーフでの達成のため、主に先発で投げての達成としては史上初だったりする)。
以降も先発としてコンスタントに10勝前後を挙げ続け、阪神在籍の9年間で80勝を挙げた。
2009年には矢野輝弘と史上初の40代バッテリーを組むなど、阪神移籍後は狩野恵輔の台頭後も矢野とバッテリーを組んでいた。
2010年は城島健司とバッテリーを組んだが、登録抹消を繰り返し7勝8敗に終わった。
2011年は開幕ローテーション入りしたが、6試合で0勝2敗の成績で6月以降は二軍生活となり、戦力外通告を受ける。
2012年、東北楽天ゴールデンイーグルスのテストに合格し入団。オープン戦での好投から開幕一軍を勝ち取ったものの4試合に登板して0勝2敗、防御率5.29と結果を残せず、4月26日に二軍落ち。その間に若手が次々と台頭していったため一軍再昇格を果たせず、10月2日に戦力外通告を受けた。
現役続行を目指しドジャースのトライアウトも受けたが、身体的な限界を感じ、「もう潮時だな、と」現役引退を表明した。
主にABCラジオで阪神戦の解説を担当している。2017年にはドラマ『孤独のグルメ Season6』の第1話に出演して俳優デビュー、野球ファンのドラマ視聴者を驚かせた。
愛称は「シモやん」「シモさん」。
濃いヒゲがトレードマークだが、その割にシャイな性格でお立ち台には滅多に上がらなかった。引退して解説者になると発表された時は、「下柳しゃべれるんか」と阪神ファンらに危惧されたものの、ふたを開けてみれば軽妙なトーク術を発揮して視聴者を楽しませている。
阪神では6回前後で降板することが多かったため、1年間ローテを守っても規定投球回数に達しないことが多かった(在籍した9年間で2桁勝利を5回記録したが、規定投球回数到達は2回だけ)。藤川球児からは「社長」と呼ばれていた(リリーフに仕事をくれるので)。
愛犬家で、2003年に阪神からFA宣言した際に横浜との争奪戦になったが、本人曰く交渉内容はもっぱら飼い犬の待遇についてだったらしい。
また40歳を超えても独身を続けていたが、2010年6月に入籍したことを公式サイトで発表、ファンに色んな意味で衝撃を与えた。余談だが発表翌日のスポーツ新聞紙面では、各紙がW杯南アフリカ大会での日本代表の勝利を一面にする中、デイリースポーツだけは「下柳結婚」が一面だったという。
星野仙一は下柳を高く評価しており、阪神戦力外が発表されるやいなや獲得を決意。その場に居合わせた記者に「入団テスト受けさせる。『楽天、下柳獲得へ』と堂々と書け」と明言したため、翌日のスポーツ紙で大きく報じられた。その結果NPBの担当者の耳にも入り、「トライアウトの前に入団テストをしちゃダメ」と球団がお咎めを受けたという(選手会との申し合わせだが明文規定ではないらしく、星野はそのルールを知らなかった)。
『ドカベン プロ野球編』で山田太郎にプロ入り初本塁打を打たれた投手(当時はダイエー所属)。ヒゲのおかげで描きやすいのか、その後もちょくちょく出演している。
通算:21年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 627 | 258 | 15 | 4 | 129 | 106 | 22 | 0 | .549 | 1970.2 | 744 | 1418 | 934 | 859 | 3.92 |
タイトル | ||
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最多勝利 | 1回 | 2005年 |
表彰 | ||
月間MVP | 2回 | 2000年8月、2005年9月 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 5回 | 1994年、1997年、2001年、2005年、2008年 |
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最終更新:2024/11/25(月) 04:00
最終更新:2024/11/25(月) 03:00
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