福岡ソフトバンクホークス 単語


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フクオカソフトバンクホークス

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パシフィックリーグ
福岡ソフトバンクホークス
基本情報
創設 1938年
本拠地 福岡PayPayドーム
一般略称 ソフトバンク
アルファベット H
優勝回数
リーグ優勝 21回
(1リーグ制2回、パ・リーグ19回)
日本一 11回
セ・パ交流戦 8回
アジアチャンピオン 0回
経歴
  • 南海軍(1938年-1944年途中)
  • 近畿日本軍(1944年途中-1945年)
  • グレートリング(1946年-1947年途中)
  • 南海ホークス(1947年途中-1988年)
  • 福岡ダイエーホークス(1989年-2004年)
  • 福岡ソフトバンクホークス(2005年-)
球団組織
運営母体 ソフトバンク
オーナー 孫正義
プロ野球球団テンプレート

いざゆーけー 無敵ーのー 若鷹軍団ー♪

福岡ソフトバンクホークスとは、日本のプロ野球パシフィック・リーグに属する球団である。本拠地は福岡ドーム(福岡PayPayドーム)、二軍・三軍は筑後市にあるタマホームスタジアム筑後(2016年から)。

略称は「ソフトバンク」「ソフバン」「SB」「鷹」「ソ」など。スポーツ新聞などでは「ソフトB」「ソフト」と書かれることもある。帽子のロゴは「Sh」。
南海時代から二度の身売りを経ながら70年以上も同じチーム名を使い続けていることもあって、ファンの間では「ホークス」と呼ばれることの方が多い。

概要

親会社はソフトバンク株式会社。現在の監督は藤本博史(2022年~)。

プロ野球黎明期からの長い歴史を持つ球団。強豪球団として毎年上位争いをする黄金時代(1946年~1970年代後半・1998年~)と、弱小球団として万年下位に沈む暗黒時代(戦前および1970年代末~1990年代後半)がはっきりと分かれているのが特徴。他の球団と比べても優勝監督は長期政権を取る傾向にあり、南海時代の鶴岡一人は23年、ダイエー~ソフトバンク時代の王貞治は14年に渡って監督を務めた。

地元九州での人気は非常に高く、ダイエー時代からパ・リーグでは随一の観客動員数を誇る。所属選手にも九州出身者や九州の高校・大学・社会人チームを出た選手が多く、九州ブランドを重視している。近年は内川聖一(大分)、帆足和幸(福岡)、鶴岡慎也(鹿児島)、中田賢一(福岡)、又吉克樹(沖縄)など他球団の九州・沖縄出身選手がFAで移籍してくることも多い。逆に言うと九州出身選手以外はなかなか来てくれない。
また、かつて南海ホークスが本拠地としていた関西にも根強いファンが多いほか、TOKYO MXの放送枠を球団が買い取って主催試合の地上波中継を行っているため、関東圏にもファンは多い。主力にイケメン選手が多いため、若い女性ファンの多い球団でもある。

南海からダイエーへの身売りによる大阪から九州への本拠地移転に際し、地域密着を掲げて九州での不動の人気を獲得した経営戦略は、後の日本ハムファイターズの北海道移転を初めとしたパ・リーグの地域密着方針の先駆けである。

かつては日本一ホームランが出にくいと言われる福岡ドームを本拠地としながらも、王監督時代は「ダイハード打線」に代表されるような強力打線を売りとしていた。秋山・工藤政権以降はどちらかといえば投手力を含めた守備のチームで、リリーフ陣の充実度と内野の守備力は球界屈指。基本的に選手の能力任せのチームなので、打線や投手陣の歯車が噛み合えば手が付けられないほどの強さを誇るが、戦力が整わない状態になると意外な脆さをみせるシーズンもある。特に00年代後半あたりは、毎年開幕前の予想では優勝候補の筆頭に挙げられ、シーズンでは評判倒れの戦力詐欺になりがちだった。故障者の続出も毎年の恒例行事で、ヤ戦病院並の惨状になることも珍しくない。

2011年からは、若手選手の実戦経験の場を増やすため、育成選手を大幅に増やして本格的な三軍制を導入。2016年には新球場を建設して二軍・三軍の本拠地を移転し育成環境を整え、潤沢な資金力をバックに補強と育成を両立した充実の戦力で、2011年以降で7度の日本一2017年から2020年まで日本シリーズ4連覇と球界を牽引している。

セ・パ交流戦を大の得意としており、2022年までの18年間で優勝(最高勝率)8回、通算で228勝144敗18分の勝率.613という圧倒的な強さを誇る。2011年には最高勝率記録となる勝率.818(18勝4敗2分)をマークするなど、セ・リーグの各球団から怖れられている(ただし阪神タイガースだけはほぼ互角の戦績を残している。鷹虎決戦の項を参照)。毎年交流戦の時期は戦力が揃っており、交流戦が終わってから失速し始めるのがお約束。

ダイエー時代から使われている球団歌の「いざゆけ若鷹軍団」は福岡ではもはや県民歌のような扱いである。ダイエーからソフトバンクに球団が売却された際、福岡の商工会議所の会頭が孫正義オーナーとの宴席で「いざゆけ若鷹軍団」を歌い上げ、「この曲を変えたら福岡市民全員を敵に回すと思って下さい」脅した曲を変えないよう要望したという噂もある。福岡県民ならずとも、ダイエー時代にダイエー及び関連企業の店舗で飽きるほど聞いて覚えてしまった人も多いだろう。

ホークス主催オープン戦はほとんど福岡ドームで行われる。たまに宮崎などでオープン戦をする場合があるが、2010年は主催試合全てが福岡ドームと、福岡ドーム偏重な日程を組んでいる。九州で人気が高いだけに、もう少し九州でオープン戦を開いてほしいところ。公式戦は主に北九州、熊本(藤崎台)、鹿児島(鴨池)などで地方主催試合を組む。北九州の試合は色んな意味で荒れた展開になるため、ファンは戦々恐々。

南海時代後期は超ド貧乏球団だったが、ダイエー以降は基本的にパ・リーグの中でも随一の金持ち球団で、ダイエー時代やソフトバンク身売り直後には年俸数億円の大物外国人を連れてくることが多かった。その一方、ソフトバンク初期は大型の複数年契約が重なったこともあって現有戦力の高年俸だけでいっぱいいっぱいになり、補強には非常に消極的な球団になっていた。そのため、2010年オフからはベースを抑え出来高を重視した複数年制を導入。相次いで大型補強を敢行するなど、フロントの方針に変化が見られはじめた。秋の風物詩に業を煮やしたのが理由だけど。なお金持ち球団のわりに戦力流出が多いのはダイエー時代からの伝統である。そんなこんなでソフトバンク身売り直後は赤字だったが、現在は年俸総額がぶっちぎりの12球団トップでありながら球団単体で年間数十億円の黒字を出すまでに至っている。

2004年からは毎年7月に「鷹の祭典」というイベントを行っており、福岡ドームの来場者全員にレプリカユニフォームを配布するという太っ腹なことをやっている。2006年からは選手がこの期間のみ特別ユニフォームを着用するようになり、福岡ドームはその年限定の特別ユニフォームを着たファンで埋め尽くされる。2012年からは東京ドームでも鷹の祭典が開催されており、関東圏のファンを喜ばせている。2014年からは大阪ドームでも鷹の祭典を開催している。ホークスの応援席がカラフルなのは毎年ここで配られるレプリカユニフォームの色が違うせい。

「世界一の球団を目指す」と豪語する孫正義オーナーは、球団にとっては"金は出すが口は出さない"という理想のオーナーを地でいく存在であり、また大事な試合には頻繁に観戦に訪れ、勝利するとベンチに現れ大喜びしている姿がしょっちゅう見られる。優勝や日本一時には監督に続いて胴上げされるなど、選手からも愛されている様子。

かつて福岡は西鉄ライオンズ(太平洋クラブ・クラウンライター)が本拠地としており、当時の福岡には西武ファンが多かった。福岡ダイエーホークス初代監督の杉浦忠(南海ホークス監督から留任)が1年で勇退すると、フロントは西武ライオンズのスター選手であった田淵幸一を監督に就任させた。1992年のオフに西武ライオンズから管理部長の根本陸夫を引き抜く。根本は1993年シーズンから2年間監督も兼任してチームを分析し、ホークスを「西武式」に作り変えるためのチーム改造を断行した。手始めに1993年オフに秋山幸二らを獲得する超大型トレードを西武ライオンズとの間で断行し(秋山幸二・渡辺智男・内山智之←→佐々木誠・村田勝喜・橋本武広)、翌1994年オフには引退・監督就任を拒否した石毛宏典と、エースの工藤公康を同じく西武からフリーエージェントで獲得した。

このように、埼玉西武ライオンズとは縁が深く、ホークスにとってはなかなかシーズンで勝ち越せなかった宿敵でもある。また南海時代に同じ関西を本拠地としていたオリックス・バファローズは、阪急ブレーブス時代から不思議といろいろな因縁がついて回っている(オリックス・バファローズの記事参照)。

2012年から2014年にはニコニコ生放送にてホームゲーム全72試合を無料配信。映像・音声はCS放送(2012年は日テレ+、2013年~2014年はFOX SPORTS)のものをそのまま使用した。2015年は楽天を除くパ・リーグ他球団ともどもディレイ放送のみ。2016年は二軍戦の中継のみとなり、2017年の宮崎キャンプ中継を最後にニコ生からは撤退した。

マスコット

ハリーホーク
(※ダイエー時代)

ハリーホークを筆頭に、「ホークファミリー」と呼ばれる12球団最多の総勢8体のマスコットがいる。
前身は平和台球場時代に存在したホーマーホークら4体。ハリーはホーマーの弟という設定である。

1992年に福岡ダイエーホークスが本拠地を福岡ドームに移した際に誕生。福岡ソフトバンクホークスとなった現在もカラーリングをオレンジから黄色に変更して健在である。ただ人数が多すぎるせいか、メインを張るハリーホークとハニーホーク以外のホークファミリーに関しては、他球団ファンからは無論、ホークスファンからも認知度は高くない。

デザイナーはイラストレーターの坂井永年。本人もその縁でかホークスファン。ハリーホークの誕生秘話は本人のブログ記事にまとめられている。

一時期はソフトバンクのお父さん犬がマスコット的な扱いを受けることが多く、ハリーホーク自体の影もちょっと薄くなっていた。

詳しくは「ホークファミリー」「ハリーホーク」の記事もそれぞれ参照。

他に2012年からは内川聖一をモデルにした「ウッチーくん」、松田宣浩がモデルの「マッチくん」、森福允彦がモデルの「チョメちゃん」、本多雄一がモデルの「ポンちゃん」という4体の着ぐるみが新たに登場。2013年には5体目として攝津正がモデルの「セッツくん」が登場した。ちょっとキモい。

さらに2015年からは謎のキャラクター「ふうさん」も登場。選手着ぐるみもさらに増えているのだが、公式サイトに詳細がないため全部で何人いるのかファンもよくわかっていない。

開幕戦の呪い

2000年から2012年まで、ホークスと開幕戦を戦ったチームはその年Bクラスになるというジンクスが存在した。2010年の日本ハムは前年優勝からのBクラス、2011年のオリックスは前年の日本ハムともども最終戦で3位から4位に転落となかなか強固なジンクスだったが、2013年に東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一になったことでこのジンクスは13年で途切れた。

2000年代 2010年代 2020年代
2000年 ロッテ 5位 2010年 日本ハム 4位[※1] 2020年 ロッテ 2位[※3]
2001年 オリックス 4位 2011年 オリックス 4位[※2] 2021年 ロッテ 2位
2002年 日本ハム 5位 2012年 オリックス 6位 2022年 日本ハム 6位
2003年 ロッテ 4位 2013年 楽天 1位・日本一 2023年
2004年 オリックス 6位 2014年 ロッテ 4位
2005年 日本ハム 5位 2015年 ロッテ 3位
2006年 ロッテ 4位 2016年 楽天 5位
2007年 オリックス 6位 2017年 ロッテ 6位
2008年 楽天 5位 2018年 オリックス 4位
2009年 オリックス 6位 2019年 西武 1位

※1…3位から最終戦でロッテに逆転された。
※2…3位から最終戦で西武に逆転された。
※3…開幕延期前の日程でも開幕戦はロッテ。

2008年9月24日ニコニコ生放送

2008年9月24日、ニコニコ生放送において、Yahoo!動画との提携により初の野球中継が実現。対戦カードは福岡ソフトバンクホークスvsオリックス・バファローズだった。

奇しくも前日、ソフトバンクの王貞治監督が今期限りでの退任を表明。当該試合はソフトバンクの今季本拠地最終戦であるとともに、王監督政権下での本拠地最終戦ともなった。また、前日の段階で埼玉西武ライオンズがリーグ優勝マジックを1としており、同日のロッテ戦に西武が勝つか、2位のオリックスがこの試合に敗れるかで西武のリーグ優勝が決まるという試合でもあった。こんな試合を引き当てたのは偶然か、はたまた運営の強運か?

先着1万名限定との告知だったが、実際には延べ4万人が視聴、総コメント数は35万を突破する盛況ぶりを見せ、荒らしなどの問題はあったものの中継自体は概ね好評を得た模様である。

なお、試合は4-1でオリックス・バファローズが勝利。西武がロッテに敗れたため、西武の優勝決定は26日の日本ハム戦に持ち越されることになった。ソフトバンクは王監督の本拠地最終戦を白星で飾れず6連敗。この敗戦で11年ぶりのBクラスが確定することとなった。また、試合後の王監督の退任セレモニーも合わせて中継された。

余談であるが、動画上部にときおり現れる運営のコメントはややホークス寄りであった(ホークスの攻撃時、フェンス際への大飛球に「惜しい」とのコメントのあと、「そして、セーフ」と後付けのフォローが入っていた)。

この中継の成功が、その後の東北楽天ゴールデンイーグルスとの提携、そしてソフトバンクやDeNA、オリックスのニコ生配信に繋がっていった…のかもしれない。

所属選手・首脳陣

  • 太字は記事がある者
  • 更新:2023年5月5日

首脳陣

※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。

一軍 二軍
  • (81)藤本博史(監督)
  • (86)森浩之(ヘッド)
  • (73)斉藤学(投手)
  • (71)斉藤和巳(投手)
  • (77)吉本亮(打撃)
  • (83)長谷川勇也(打撃)
  • (74)松山秀明(内野守備走塁)
  • (93)村松有人(外野守備走塁)
  • (85)的山哲也(バッテリー)
  • (71)金星根(監督付特別アドバイザー)
  • (90)小久保裕紀(監督)
  • (98)高村祐(投手)
  • (82)田之上慶三郎(投手)
  • (78)村上隆行(打撃)
  • (88)明石健志(打撃)
  • (80)本多雄一(内野守備走塁)
  • (87)井出竜也(外野守備走塁)
  • (84)高谷裕亮(バッテリー)
三軍 四軍
  • (92)森山良二(監督)
  • (72)若田部健一(投手)
  • (76)寺原隼人(投手)
  • (75)大道典良(打撃)
  • (91)金子圭輔(内野守備走塁)
  • (96)城所龍磨(打撃兼外野守備走塁)
  • (95)吉鶴憲治(バッテリー)
  • (011)小川史(監督)
  • (012)中田賢一(投手)
  • (014)笹川隆(内野守備走塁)
  • (015)高波文一(外野守備走塁)
  • (016)清水将海(バッテリー)
  • (017)佐久本昌広(リハビリ担当投手)
  • (018)高田知季(リハビリ担当野手)
  • (019)関川浩一(野手コーディネーター)

所属選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示 があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。

支配下選手
投手 捕手 内野手 外野手
  • (1)風間球打
  • (2)カーター・スチュワート・ジュニア
  • (10)大竹耕太郎
  • (11)津森宥紀
  • (14)又吉克樹
  • (16)東浜巨
  • (17)有原航平
  • (18)武田翔太
  • (20)甲斐野央
  • (21)和田毅
  • (25)田中正義
  • (26)大津亮介
  • (27)ジョー・ガンケル
  • (28)高橋礼
  • (29)石川柊太
  • (34)椎野新
  • (35)リバン・モイネロ
  • (38)森唯斗
  • (39)尾形崇斗
  • (40)杉山一樹
  • (41)千賀滉大
  • (42)大関友久
  • (47)高橋純平
  • (48)藤井皓哉
  • (49)松本晴
  • (50)板東湧梧
  • (53)泉圭輔
  • (56)田浦文丸
  • (57)嘉弥真新也
  • (58)木村大成
  • (60)大野稼頭央
  • (63)古川侑利
  • (66)松本裕樹
  • (67)笠谷俊介
  • (70)田上奏大
  • (12)嶺井博希
  • (19)甲斐拓也
  • (22)牧原巧汰
  • (45)谷川原健太
  • (62)海野隆司
  • (64)吉田賢吾
  • (65)九鬼隆平
  • (79)渡邉陸
  • (00)川瀬晃
  • (0)フレディ・ガルビス
  • (4)ウィリアンズ・アストゥディーヨ
  • (6)今宮健太
    (選手会長)
  • (8)牧原大成
  • (13)三森大貴
  • (23)周東佑京
  • (33)増田珠
  • (36)イヒネ・イツア
  • (43)井上朋也
  • (46)川原田純平
  • (52)リチャード
  • (55)野村大樹
  • (99)野村勇
  • (3)近藤健介
  • (7)中村晃
  • (9)柳田悠岐
    (キャプテン)
  • (10)コートニー・ホーキンス
  • (24)栗原陵矢
  • (30)佐藤直樹
  • (31)正木智也
  • (32)柳町達
  • (37)生海(甲斐生海)
  • (44)笹川吉康
  • (51)上林誠知
  • (59)水谷瞬
育成選手
投手 捕手 内野手 外野手
  • (120)佐藤宏樹
  • (123)中道佑哉
  • (124)桑原秀侍
  • (126)奥村政稔
  • (133)岡本直也
  • (134)大城真乃
  • (135)アレクサンダー・アルメンタ
  • (136)大竹風雅
  • (137)中村亮太
  • (138)重田倫明
  • (139)井﨑燦志郎
  • (140)三浦瑞樹
  • (141)マイロン・フェリックス
  • (143)村上舜
  • (145)田中怜利ハモンド
  • (147)加藤洸稀
  • (148)山崎琢磨
  • (152)瀧本将生
  • (154)佐藤琢磨
  • (156)ルイス・ロドリゲス
  • (158)赤羽蓮
  • (160)木村光
  • (161)内野海斗
  • (162)岡植純平
  • (163)佐々木明都
  • (164)水口創太
  • (165)宮﨑颯
  • (167)前田純
  • (172)渡邊佑樹
  • (121)石塚綜一郎
  • (129)居谷匠真
  • (151)加藤晴空
  • (171)盛島稜大
  • (122)藤野恵音
  • (127)緒方理貢
  • (128)伊藤大将
  • (130)勝連大稀
  • (136)荒木翔太
  • (146)フランケリー・ヘラルディーノ
  • (149)佐久間拓斗
  • (153)三代祥貴
  • (157)小林珠維
  • (159)山下恭吾
  • (168)佐藤航太
  • (169)飛田悠成
  • (170)西尾歩真
  • (125)早真之介
  • (131)舟越秀虎
  • (132)川村友斗
  • (142)中村宜聖
  • (144)マルコ・シモン
  • (150)山本恵大
  • (155)仲田慶介
  • (166)重松凱人

オーナー・会長

  • 孫正義(球団オーナー)
  • 王貞治(元監督、球団取締役会長)
  • 城島健司(球団会長付特別アドバイザー)

球団スタッフ

  • 荒金久雄(編成育成本部育成部)
  • 金澤健人(R&D担当)
  • 川原弘之(先乗りスコアラー)
  • 西田哲朗(チーム広報)
  • 福元淳史(関東北信越地区担当スカウト)
  • 水田章雄(球団職員)
  • 柳瀬明宏(一軍打撃投手兼チーム広報)
  • 山本省吾(東海北陸地区担当スカウト)

ジュニアコーチ

  • 新垣渚
  • 石本貴昭
  • 池田親興
  • 川口憲史
  • 柴原洋
  • 西村龍次
  • 帆足和幸(ジュニアチーム監督)
  • 山本和範

記事のあるOB・移籍選手・関係者(南海・ダイエー時代を含む)

  • 太字はNPB・MLB・国内独立リーグ・その他海外プロリーグに現役で所属する選手。
  • 年度がない者は選手としての所属がない者。
あ行 か行
  • 秋山幸二(1994年-2002年)
  • 秋吉亮(2022年)
  • 新井宏昌(1975年-1985年)
  • 李大浩(2014年-2015年)
  • 李杋浩(2010年)
  • 飯田哲也
  • 飯田優也(2013年-2018年)
  • 五十嵐章人
  • 五十嵐亮太(2013年-2018年)
  • 井口資仁(1997年-2004年)
  • 石毛宏典(1995年-1996年)
  • 市川友也(2018年-2019年)
  • 井手正太郎(2002年-2015年)
  • 今井雄太郎(1991年)
  • 入来祐作
  • 岩嵜翔(2008年-2021年)
  • 内川聖一(2011年-2020年)
  • ブライアン・ウルフ(2014年-2015年)
  • 江川智晃(2005年-2019年)
  • 江尻慎太郎(2013年-2014年)
  • 江夏豊(1976年-1977年)
  • 大石大二郎
  • 大沢啓二(故人)
  • 大田卓司
  • ホセ・オーティズ(2009年-2011年)
  • 大隣憲司(2007年-2017年)
  • 大西宏明(2011年)
  • 大場翔太(2008年-2015年)
  • 大村直之(2005年-2008年)
  • 岡島秀樹(2012年、2014年)
  • 小椋真介(1999年-2012年)
  • 尾花髙夫
  • 香川伸行(故人、1980年-1989年)
  • 郭泰源
  • 加治屋蓮(2014年-2020年)
  • 甲藤啓介(2006年-2013年)
  • 門田博光(故人、1970年-1988年、1991年-1992年)
  • 金森栄治
  • アレックス・カブレラ(2011年-2012年)
  • ホルベルト・カブレラ(2005年-2006年)
  • 釜元豪(2012年-2021年)
  • 神内靖(2002年-2012年)
  • 亀澤恭平(2012年-2014年)
  • 川崎宗則(2000年-2011年、2017年-2018年)
  • 川島慶三(2014年-2021年)
  • 北方悠誠(2015年)
  • 金無英(2009年-2015年)
  • 工藤公康(1995年-1999年)
  • 久保康生
  • ジュリスベル・グラシアル(2018年-2022年)
  • 倉野信次(1997年-2007年)
  • 小斉祐輔(2006年-2011年)
  • 古葉竹識(故人、1970年-1971年)
  • 小山正明
  • オスカー・コラス(2017年-2020年)
  • 権藤博
さ行 た行
  • 佐々木誠(1984年-1993年)
  • 佐藤義則
  • デニス・サファテ(2014年-2021年)
  • 篠原貴行(1998年-2009年)
  • 下柳剛(1991年-1995年)
  • ロベルト・スアレス(2016年-2019年)
  • 杉内俊哉(2002年-2011年)
  • 杉浦忠(故人、1958年-1970年)
  • 杉山光平(1955年-1961年、1964年-1966年)
  • 杉本正
  • ジェイソン・スタンリッジ(2007年-2008年、2014年-2015年)
  • フリオ・ズレータ(2003年-2006年)
  • 攝津正(2009年-2018年)
  • 曽根海成(2014年-2018年)
  • 高木晃次(1994年-1997年)
  • 高橋秀聡(2005年-2011年)
  • 高山郁夫(1995年-1996年)
  • 武田一浩(1996年-1998年)
  • 竹之内雅史
  • 達川光男
  • 立岡宗一郎(2009年-2012年)
  • 田上秀則(2006年-2013年)
  • 田淵幸一
  • 多村仁志(2007年-2012年)
  • 田村藤夫(1997年-1998年)
  • 茶谷健太(2016年-2018年)
  • 塚田正義(2012年-2019年)
  • 鶴岡一人(故人、1939年-1940年、1946年-1952年)
  • 鶴岡慎也(2014年-2017年)
  • アルフレド・デスパイネ(2017年-2022年)
  • ファン・デレオン(2011年)
  • 鳥越裕介(1999年-2006年)
な行 は行
  • ブランドン・ナイト(2003年-2004年)
  • 長池徳士
  • 中谷将大(2021年-2022年)
  • 永射保(故人、1989年-1990年)
  • 新浦壽夫(1992年)
  • 西清孝(1985年-1990年)
  • 二保旭(2009年-2021年)
  • 根本陸夫(故人)
  • 野村克也(故人、1954年-1977年)
  • 長谷川宙輝(2017年-2019年)
  • 畠山準(1983年-1990年)
  • ビセンテ・パディーヤ(2013年)
  • トニー・バティスタ(2005年)
  • 浜名千広(1992年-2001年)
  • エディソン・バリオス(2011年-2016年)
  • ペドロ・バルデス(2001年-2004年)
  • ウラディミール・バレンティン(2020年-2021年)
  • リック・バンデンハーク(2015年-2020年)
  • 日高亮(2014年-2015年)
  • 平石洋介
  • 広瀬叔功(1955年-1977年)
  • ブライアン・ファルケンボーグ(2009年-2013年)
  • ブーマー・ウェルズ(1992年)
  • 福田秀平(2007年-2019年)
  • 藤井将雄(故人、1995年-2000年)
  • 藤井康雄
  • 藤岡好明(2006年-2013年)
  • 藤田宗一(2011年)
  • 藤本修二(1983年-1990年)
  • 藤原満(1969年-1982年)
  • ウィリー・モー・ペーニャ(2012年-2013年)
  • ロベルト・ペタジーニ(2010年)
  • ロドニー・ペドラザ(1999年-2002年)
  • ブラッド・ペニー(2012年)
  • 坊西浩嗣(1991年-2003年)
  • D.J.ホールトン(2008年-2011年)
  • 細川亨(2011年-2016年)
  • 細山田武史(2014年-2015年)
  • 本間満(1995年-2009年)
ま行 や行
  • 真砂勇介(2013年-2022年)
  • 間柴茂有(1989年-1990年)
  • 松坂大輔(2015年-2017年)
  • 松田宣浩(2006年-2022年)
  • 松田遼馬(2018年-2020年)
  • 松中信彦(1997年-2015年)
  • 松永浩美(1994年-1997年)
  • 的場直樹(2000年-2009年)
  • 馬原孝浩(2004年-2012年)
  • ニック・マルティネス(2021年)
  • 水谷実雄(1980年-1984年)
  • 三瀬幸司(2004年-2010年)
  • 溝口大樹(2003年-2005年)
  • 皆川睦雄(故人、1954年-1971年)
  • 美間優槻(2018年-2019年)
  • 宮地克彦(2004年-2006年)
  • アリエル・ミランダ(2018年-2019年)
  • 村上雅則(1963年-1964年、1966年-1974年)
  • 村田兆治(故人)
  • 森福允彦(2007年-2016年)
  • 森本学(2003年-2011年)
  • 森脇浩司(1987年-1996年)
  • 柳川洋平(2009年-2012年)
  • 山内和宏(1981年-1990年)
  • 山内新一(1973年-1983年)
  • 山内孝徳(1981年-1982年)
  • 山倉和博
  • 山崎勝己(2001年-2013年)
  • 山下斐紹(2011年-2017年)
  • 山田秋親(2001年-2008年)
  • 山田大樹(2007年-2017年)
  • 山中浩史(2013年-2014年)
  • 柚木進(故人、1948年-1956年)
  • 陽耀勲(2006年-2013年)
  • 湯上谷竑志(1985年-2000年)
  • 吉井理人
  • 吉川輝昭(2010年-2012年)
  • 吉田修司(1994年-2006年)
  • 吉田豊彦(1988年-1998年)
  • 吉永幸一郎(1988年-2000年)
  • 吉野誠(2013年)
  • 吉村裕基(2013年-2018年)
ら行 わ行
  • ブレイディー・ラジオ(2000年-2002年)
  • ブライアン・ラヘア(2013年)
  • 李杜軒(2007年-2016年)
  • レビ・ロメロ(2012年)
  • 若菜嘉晴
  • 渡辺智男(1993年-1997年)
  • 渡辺正和(1993年-2003年)

歴史

南海軍~南海ホークス時代

1938年に南海軍として創設されたのが始まり。戦時中に親会社の南海鉄道が吸収合併で近畿日本鉄道になったため、球団名もそれに伴って近畿日本軍近畿グレートリングと改称された。戦前は4位が最高と下位に沈んでいたが、終戦後のプロ野球再開初年度である1946年に初優勝を果たす。

1947年シーズン中に南海が南海電気鉄道として再分離したため、再び親会社が南海に戻り南海ホークスと改称された。この当時は大阪府を本拠としており、1950年には大阪球場が完成。テレビでのプロ野球中継が本格化するまでは大阪(阪神)タイガースを凌ぐ人気を誇り、名将・鶴岡一人監督、次いで選手兼任の野村克也監督のもと、パ・リーグ初年の1950年から野村監督解任の1977年までの28年間で優勝10回、日本一2回、Aクラス24回 という抜群の成績を残した。

しかし、1977年シーズン終盤に野村克也プレイングマネージャーが「公私混同」問題で解任されると、ワンマンオーナーの川勝傅は球団経営への意欲を失い、南海ホークスは超ド貧乏球団に転落する。1978年以降はBクラスが定位置となり、在阪テレビの阪神タイガースへの偏向もあって球団の人気も低下。川勝以外の経営陣は球団を手放したいとずっと考えていたため(関西国際空港開業に伴う難波駅の拡張工事で、大阪球場が邪魔になったという事情もある)、川勝が逝去した1988年にダイエーへの球団譲渡を成立させた。球団名も福岡ダイエーホークスとなった。

福岡ダイエーホークス時代

福岡ではかつて西鉄ライオンズが確固たる地位を築いていたが、「黒い霧事件」で人気、実力ともに急激に低下し、紆余曲折あって西武ライオンズとして埼玉に移転(1979年~)した経緯があったため、福岡の者にとっては約10年ぶりの地元球団となった事もあって歓迎ムードで迎えられた。初年度(1989年)から4年間は平和台球場を使用していたが、1993年には日本一の面積を誇る福岡ドームも完成し、評判の悪かった「ガッチャマンヘルメット」も廃止して白と黒を基調とした新ユニフォームになった。

同時に、チームの基盤づくりのために西武ライオンズから根本陸夫を引き抜いた。根本はそのまま監督に就任し、一年目は戦力を見極めるためにあえて大きな補強をしなかったが、その年のオフにフリーエージェントで松永浩美を獲得し、チームの顔であった佐々木誠とエースの村田勝喜を放出して古巣西武ライオンズから秋山幸二らを獲得した(世紀のトレード)。翌1994年は4位ながら同率2位の2球団とはゲーム差なしという好成績を収め、オフには元巨人軍の王貞治の招聘に成功し、根本はユニフォームを脱いでフロント入りした。

根本は西武時代から大トレードやドラフトの囲い込み戦略などで「球界の寝業師」として辣腕をふるっているが、ダイエーでも強行指名や太いパイプを駆使し、時には親会社まで動かし、上述の秋山や石毛宏典、工藤公康を獲得して強豪西武の血を入れることでチームに蔓延していた負け犬根性を払拭するとともに、ドラフトでは小久保裕紀、城島健司、藤井将雄、井口資仁、松中信彦、柴原洋、斉藤和巳といった後の主力選手を多数獲得、強豪ホークスの礎を作り上げた。その功績は「根本マジック」として伝説となり、今でも昔からのホークスファンの間では語り草となっている(根本氏はホークスの優勝を見届けることなく1999年4月末に死去)。

1998年

2年目の柴原洋と井口忠仁がレギュラーに定着。柴原は1番・センターに定着して規定打席に到達し打率.314をマーク、井口は低打率ながら21本塁打を放って「恐怖の9番打者」と呼ばれた。

混戦模様のリーグの中、シーズンを通して大きく貯金を稼ぐこともなかったが大きく借金を重ねることもない戦いを続け、9月半ばには日本ハムファイターズの大失速で一瞬だけ首位にも立った。しかしクローザーの岡本克道の離脱などで終盤の戦いに勝ちきれず優勝争いから脱落。それでもオリックス・ブルーウェーブと同率3位となり、南海ホークス時代から続いていた20年連続Bクラスからようやく抜け出した。

1999年

チーム防御率4位・同得点4位と抜けた戦力ではなかったが、工藤公康、若田部健一、永井智浩、星野順治の先発二桁勝利カルテットに加え、中継ぎで最高勝率を獲得した「死神」篠原貴行、抑えにはまったロドニー・ペドラザ、藤井将雄、吉田修司ら磐石の中継ぎリレーを形成。ダイエーホークスとして初のリーグ優勝を果たすと、日本シリーズでは中日ドラゴンズも破り実に35年ぶりの日本一に輝く。

2000年

小久保裕紀が復調、松中信彦が覚醒して30本100打点コンビを形成するも、城島健司が故障離脱、投手陣は二桁勝利投手が0人という前年同様微妙な戦力ではあったが、投壊の日ハム・貧打の西武を退けてリーグ2連覇を達成。

この年、前年に中継ぎエースとして活躍した藤井将雄が病に倒れる。リーグ制覇の胴上げの中、若田部健一の持った背番号15のハリー人形の姿は感動を呼んだ。チームのV2を見届けた藤井は現役選手のまま肺癌で逝去。日本シリーズでは球団が日程確保を怠る大チョンボをやらかして変則日程による開催となり、FA移籍した工藤の所属する巨人に2勝4敗で敗れる。

2003年

主砲・小久保が開幕前に怪我で離脱するが、井口資仁・村松有人の覚醒と川崎宗則の台頭もあり、"ダイハード打線"と名付けられたチーム打率.297(日本記録)という圧倒的破壊力の打線と、斉藤和巳・杉内俊哉・和田毅・新垣渚の充実の先発陣でリーグを独走で制覇。日本シリーズでは阪神タイガースにお互いの本拠地のみで勝利するという対戦結果(いわゆる「内弁慶シリーズ」)となり、4勝3敗で日本一となっている(余談であるが、日本シリーズの対戦相手だった1999年の中日、2003年の阪神の監督は同じ星野仙一である)。

しかしこの年のオフ、小久保が不可解な無償トレードで巨人に移籍。さらに村松有人がFAでオリックスに移籍(「天然芝の球場でプレーしたい」という名目だったが、実際はフロントへの不信感からの移籍だったと言われている)と、フロントと選手間の溝が浮き彫りになる。

2004年

近鉄とオリックスの合併に伴う球界再編の動きの中、親会社のダイエーの経営悪化により、一時はロッテとの合併の噂まで持ち上がる。結局ダイエーは球団経営から撤退、ソフトバンクが球団経営権を引き継ぎ、福岡ソフトバンクホークスが誕生した。

福岡ソフトバンクホークス時代

2005年(89勝45敗2分、1位2位) 監督:王貞治

球団売却と前後して主力の流出が相次ぎながらも厚い選手層で優勝争いを続けていたが、2004年から始まったプレーオフの悲劇がホークスを襲う。2004年はレギュラーシーズンを1位通過するも、プレーオフ2勝3敗で西武ライオンズに敗退。これが全ての始まりだった。

ソフトバンク1年目となる2005年は、FAで大村直之、新外国人としてトニー・バティスタとホルベルト・カブレラを獲得。退団した井口資仁の穴を埋めて余りある大型補強をもって迎えた。

その分厚い戦力通り、シーズンはほぼ順風満帆だった。投手タイトルをほぼ総なめにする大活躍を見せた杉内俊哉を筆頭に、斉藤和巳、和田毅、新垣渚の四本柱が揃った先発陣に加え、シーズン中に馬原孝浩が守護神に定着。打線も二冠王の松中信彦、打撃3部門全て2位の活躍を見せたフリオ・ズレータら中軸に加え前年テスト入団の宮地克彦らが脇を締め、圧倒的な強さで勝ち続けた。最終的に89勝45敗の勝率.664、積み上げた貯金は実に44。最強打線を誇った2003年に勝るとも劣らない最強チームだった。

ところが、1勝のアドバンテージを得られる2位との5ゲーム差に僅かに届かず(4.5ゲーム差)、終盤に自打球で戦線離脱した城島を欠いたプレーオフでは、またしても2勝3敗で今度はコバマサナイト千葉ロッテマリーンズの前に敗れた。

2006年(75勝56敗5分、3位) 監督:王貞治→森脇浩司(代行)

城島健司がFAでメジャー移籍し退団。加えて前年3番打者を務めたトニー・バティスタを解雇したため、1点を確実に取りに行くスモール・ベースボールへの転換を掲げて迎えたシーズン。しかし、開幕前に第1回WBC監督を務めた王貞治監督がシーズン中に倒れ、森脇浩司監督代行の下での戦いとなる。

斉藤和巳を筆頭とした投手陣の奮闘で、西武・日本ハムと三つ巴の熾烈な優勝争いを繰り広げるが、バティスタに代わる3番打者を結局シーズン通して固定できず、加えて城島の抜けた打線は破壊力を欠き、スモール・ベースボールは単なる貧打に終わった。結局終盤に息切れして最後の最後に6連敗、3位でシーズンを終える。

プレーオフでは2位西武に勝利する(ちなみにこれが2011年にCSを突破するまで唯一のプレーオフ・CSでの勝ち上がりであった)ものの、日本ハムの勢いの前に屈し敗退。第2戦、0-1のサヨナラ負けで敗退が決まった瞬間、マウンドに崩れ落ちて立ち上がれなくなった斉藤和巳の姿は彼がすっかり見えなくなってしまった今もホークスファンの瞼に焼き付いている。

2007年(73勝66敗5分、3位) 監督:王貞治

4年前、不可解な無償トレードで巨人に放出された小久保裕紀がFAでチームに復帰。トレードで多村仁、ヤクルトを退団したリック・ガトームソンを獲得。大物ルーキー大隣憲司も加わり、圧倒的優勝候補と目された。

ところが、シーズンが始まってみれば多村・小久保とも期待されたほどの打棒は見せられず、松中に至ってはレギュラー定着後最低の数字となる大不振に陥り、球界最強クリーンナップのはずだった「TMK砲」は見事に空回った。川崎宗則が故障で長期離脱、さらにエース斉藤和巳が肩を痛めて本来の投球ができず、新垣渚は暴投王ARAKAKIと化す。ガトームソンはドーピング違反騒動を起こし、大隣は黄金ルーキーとしての期待に応えられず、前年リリーフで奮闘した藤岡好明と柳瀬明宏は不調で結果を残せずに終わる。

杉内俊哉が復活、馬原孝浩がセーブ王に輝き、水田章雄がリリーフとしてフル回転するなどしたが、結局チームは波に乗れないままレギュラーシーズン3位に終わり、クライマックスシリーズでは2位のロッテに敗北。4年連続プレーオフ敗退となった。

2008年(64勝77敗3分、6位) 監督:王貞治

王貞治監督がラストシーズンとの覚悟を持って臨んだ2008年。しかし斉藤和巳が開幕前の手術で結局シーズンを棒に振り、和田、馬原、大村、小久保を故障で欠いて開幕を迎える。

開幕戦は楽天に柴原洋の逆転サヨナラ3ランで勝利するという劇的な形でスタート。小久保の復帰や、松田宣浩、久米勇紀ら若手の台頭もあり、セ・パ交流戦では熾烈なデッドヒートを制し、ソフトバンクとなってから初の「優勝」を手にする。

しかしセ・パ交流戦後は、前年から続く故障禍、リリーフ陣の夏バテ、北京五輪への主力派遣などで戦力が低下。西武にじわじわと引き離されながらもなんとかCS圏内は確保し続けていたが、9月に入ると糸が切れたように記録的な大失速。瞬く間に順位を転がり落ち、9月24日の本拠地最終戦に敗れ11年ぶりのBクラスが確定。その後は楽天と一進一退の最下位争いを続けたが、最終戦の直接対決に延長12回サヨナラで敗れ、1996年以来12年ぶりの最下位に沈んだ。

野球板的には「ドミンゴwwwwwwwww」で始まり、プロブロガーが誕生し、ストレート 140km/h 真中中央 ゴロ(二併打)で終わるという色んな意味で濃い年であった。

この年、1995年から14年間監督を務めた王貞治監督が、体調不良と成績不振を理由に退任を表明。後任には総合コーチの秋山幸二が昇格し、2009年からは秋山新監督のもとチーム再建に挑む事になった。

2009年(74勝65敗5分、3位) 監督:秋山幸二

秋山政権1年目。リリーフ陣の立て直し、城島健司の移籍以来固まらない正捕手の固定、3番打者不在の解消など課題を多く抱えて開幕を迎える。多村が開幕前に当然のように離脱、開幕戦では新3番打者のはずだった松田が骨折と不穏なスタートを切り、開幕からしばらくは勝率5割前後をうろうろし続けた。

しかし、松田の離脱によって急遽獲得したホセ・オーティズが抜群の勝負強さで長年の懸案だった3番打者に定着。さらに3年目の長谷川勇也が一時期首位打者争いをするなど覚醒。田上秀則が攻守両面で大きな成長を見せ城島移籍以来最大のウィークポイントだった正捕手問題に決着をつけるなど、打のニューヒーローが続々と登場。投手陣も前年の弱点だった救援陣にルーキーの攝津正と新外国人のブライアン・ファルケンボーグが加わり、守護神・馬原孝浩へ繋ぐ勝利の方程式「SBM」が確立した。

多村・松田が復帰した交流戦では不動のオーダーと盤石の投手陣で快進撃を続け連覇を達成。一気に日本ハムとの首位争いに参戦したが、交流戦の終わり頃から夏場にかけて、和田、松田、オーティズらが立て続けに故障離脱。先発の駒不足も露呈し、終盤には投げすぎの影響かファルケンボーグの離脱と馬原の大炎上でSBMも空中分解。9月に入ってハムが失速した際もお付き合いしてしまい、結局猛烈な追い上げを見せた楽天に抜かれ3位に終わった。

CS?なかったよ

2010年(76勝63敗5分、優勝したけどCS敗退) 監督:秋山幸二

シーズン開幕前にシアトル・マリナーズに移籍していた城島健司が日本球界に復帰すると発表。古巣であるホークスが獲得に名乗り出るかと思われたが、何故か見送った。田上ェ・・・
ちなみに城島本人はソフトバンクからオファーがあれば、最優先で受けるつもりだったとのこと。

シーズン開幕後には松中、田上、長谷川、ホールトンらが不振に陥ったものの、前年4勝の和田が復活し杉内とともに勝ち星のデッドヒートを繰り広げ、SBMを擁するリリーフ陣には甲藤啓介が加わりSBM48としてさらに盤石となる。打線も川崎や小久保が開幕から好調でチームを牽引し、松田や小久保が離脱してからも多村仁志がスペらず打線の核として奮闘。途中加入のロベルト・ペタジーニも打線の穴を埋め、西武・ロッテと熾烈な優勝争いを繰り広げる。西武ドームでの西武戦が大の苦手だったために、一時期西武に突き放されるが、途中入団の金澤健人、4年目の森福允彦らが台頭して12球団最強のリリーフ陣を形勢し西武に追いすがった。

9月に入ると例年通り失速。西武にマジックも点灯し、今年もここまでかと誰もが思った、残り6試合から奇跡が起こる。福岡ドームでの西武との最終3連戦を、全て逆転で3連勝。3.5ゲーム差を一気にひっくり返し、残り2試合でマジック2を点灯させる。9月25日、日本ハム戦で杉内がダルビッシュに完封で投げ勝ちマジック1。そして翌日、デーゲームで西武が敗れたため楽天との最終戦の試合中に7年ぶりのリーグ優勝が決まった。最終的に西武とのゲーム差は0、勝率2厘差(ソフトバンク.547、西武.545)という大接戦のシーズンを制し、チームは歓喜の美酒に酔った。

ところが、1勝のアドバンテージを得て迎えたクライマックスシリーズでは、驚異的な勝負強さで勝ち上がってきた3位ロッテを迎え撃ち、3勝1敗で王手をかける。しかし打線の不振は明らかであり、チームを優勝に導いた原動力であった杉内や攝津、ファルケンボーグが打たれ、大手をかけた状態からまさかの3連敗。6度目の挑戦にして、またしても日本シリーズの夢はホークスの手からするりと逃げていった。

2011年(88勝46敗10分、完全優勝・CS制覇・日本一アジアシリーズ制覇ならず・・・) 監督:秋山幸二

ついにフロントが秋の風物詩に業を煮やし、数年ぶりの大型補強に打って出た。内川聖一と細川亨がFAで入団。さらにオリックスを退団したアレックス・カブレラを獲得。FA宣言した多村仁志が残留したため戦力の流出もなく、小久保・松中・内川・オーティズ・カブレラのうち最低でもひとりは必ずベンチになるという豪勢な野手陣が揃うことになった。一方、投手陣は「右の先発不足」という明確な弱点に対して補強はせず、不振だったホールトンの残留と攝津正の先発転向でまかなう方針をとった。

甲藤啓介がキャンプで離脱した以外はほぼベストメンバーを揃えて開幕を迎えると、統一球の導入を味方につけて投手陣が無双状態に突入。2010年、駒不足に苦しんだ先発陣は、ホールトンの完全復活、攝津正の転向の成功、山田大樹と岩嵜翔の台頭で12球団最強と化した。4月19日から5月15日まで22試合連続QS達成、5月までチームQS率9割という驚異の先発無双で、前年まで酷使無双だった中継ぎ陣の負担が減るどころか敗戦処理組が失業状態となる。

甲藤と攝津の抜けたリリーフは、開幕から馬原が絶不調で二軍落ち、同時期にファルケンボーグも一時離脱するなど普通ならガタガタになりそうな状況だったが、前述の先発無双に加え森福允彦と金澤健人がしっかりと穴を埋め、SBM48の解体を感じさせない安定感を誇った。打線は4番に座るカブレラが不振に陥ったが、3番に入った内川聖一が打ちまくり、本多雄一とともに打線を牽引。また松田宣浩が統一球をものともせず本塁打を量産し覚醒の気配を見せる。

日本ハムと同率首位で得意のセ・パ交流戦に突入すると、交流戦史上最高勝率となる18勝4敗2分の勝率.818をマークするなど圧倒的な強さで勝ちまくり、3度目の交流戦優勝を果たした。しかし日本ハムが追いすがり、3ゲーム差の一騎打ち状態でリーグ戦へ戻った。

交流戦の終盤から故障者が続出。交流戦MVPの内川に加え、多村とオーティズが離脱、カブレラも故障を抱えた状態での出場になる。7月に入ると多村とオーティズが復帰したが、福田秀平、カブレラ、細川、田上秀則、馬原が立て続けに故障で二軍落ち。スクランブル状態に陥るが、5月までは代打に甘んじていた松中信彦が内川の代役の3番打者として奮闘しチームを牽引するなど、大型補強による層の厚さがそれを補った。一度は日本ハムに首位を明け渡したが、セ・パ交流戦後も勝ち越し、貯金24を積み上げて日本ハムと同率首位で前半戦を終えた。

後半戦が始まっても交流戦の勢いそのままに、対オリックス戦で3タテを2回されつつも順調に勝ち星を積み重ねていった。ローテーションを回すかのように故障者が復帰しては新たな故障者が生じていたが、補強に加え福田秀平や明石健志ら若手も台頭する選手層の厚さでそれを乗り切り、投手陣も崩れることなく、常に隙の無い戦いで首位を守った。

ぴたりと2位で追いすがっていた日本ハムが、8月下旬、梨田昌孝監督の退任報道をきっかけに大失速。ゲーム差が一気に広がり始め、9月17日についに優勝マジック17を点灯させる。その後はそのまま連敗することなく着々とマジックを減らし、10月1日、マジック1で迎えた西武戦に勝利し、見事リーグ2連覇を達成する。西武ドームでの試合だったが、秋山監督、孫正義オーナー、川崎、小久保、内川の胴上げが行われ、ライトスタンドからはいざゆけ若鷹軍団の大合唱。球場内は歓喜の輪に包まれた。

また、リーグ制覇の10月1日以後、雨天中止の1試合を除き連勝を続けたホークスは、10月10日のオリックス戦に勝利し、ペナントレースを通して他の全ての11球団(交流戦も含む)に勝ち越す、史上初の完全優勝を達成した。最終的に88勝46敗10分、積み上げた貯金は42、勝率.657という、2005年に匹敵する勝ちっぷりで、2位の日本ハムに17.5ゲーム差をつける圧勝であった。

クライマックスシリーズ

1stステージで日本ハムを撃破した西武を迎え撃つ。シーズンでは15勝5敗4分と圧勝した相手だが、昨年と同じギリギリで3位に滑り込み勢いに乗るチームということで秋の風物詩の不安が高まる。
しかし第1戦を、内川聖一の先制打などで4-2で勝利すると、第2戦では秋の風物詩の象徴であった松中信彦が代打満塁ホームランを放ち風物詩の不安を完全に粉砕。第3戦では杉内俊哉と涌井秀章の熾烈な投げ合いの末、延長10回に一度はリードされるも長谷川勇也のタイムリーで追いつき、延長12回表を抑え引き分け以上が確定してついに悲願の日本シリーズ進出が決定。最後は長谷川がサヨナラ打を放って無敗の3連勝で花を添え、長年苦しめられた短期決戦の呪縛をついに解き放った。

日本シリーズ

対戦相手は中日ドラゴンズ。下馬評では圧倒的優勢と目されたが、本拠地での第1戦、第2戦とも1-1の延長10回に馬原が打たれて連敗、いきなり苦境に立たされる。しかしナゴヤドームに移った第3戦を攝津の好投や第2戦まで絶不調だった多村の本塁打、抑えをファルケンボーグへスイッチするなどで勝利すると、第4戦では森福允彦が無死満塁のピンチを切り抜ける「森福の11球」、そしてとどめのファルケンボーグ8・9回連投で、勢いに乗って敵地で3連勝、王手をかける。ところが、福岡に戻っての第6戦を落とし3勝3敗、誰も予想だにしなかった外弁慶シリーズとなる。そして運命の第7戦、杉内俊哉の好投、打線も川崎が小林の球を見切り満塁押し出しで先制したのを皮切りに、山崎の適時打と松中の激走ホームインなどで3点を獲得、最後は9回ファルケンボーグのピッチャー強襲退場と言うアクシデントが発生するも、森福→攝津のリレーで零封。3-0で勝利し、4勝3敗で8年ぶりの日本一を達成した。

アジアシリーズでは主力やベテランが欠場し若手主体で挑んだが、決勝で韓国の三星ライオンズに敗れた。

2012年(67勝65敗12分、3位) 監督:秋山幸二

1999年オフには工藤公康がFAで巨人に移籍、2003年オフには小久保裕紀の無償トレード事件に加え村松有人がFAでオリックスへ移籍と、日本一のオフには予想だにしない主力の流出があるという嫌なジンクスは健在であった。既定路線であった和田毅と川崎宗則のメジャー挑戦に加え、杉内俊哉とD.J.ホールトンが巨人に移籍。3人で43勝を挙げた先発投手3人と不動の正遊撃手が一気に抜けるという異常事態レベルの戦力流出に見舞われる。

移籍した先発投手の穴を埋めるために、西武から帆足和幸をFA、また前年MLBで11勝を挙げたブラッド・ペニーを総額750万ドルという超大型契約で獲得。野手ではメジャー通算84発の実績を持つウィリー・モー・ペーニャを獲得した。また開幕前に馬原孝浩が右肩の手術で姿を消したため、リリーフの穴埋めとして岡島秀樹を獲得。

去年の圧勝もあり、戦力流出を含めても優勝候補という前評判で開幕し、オリックスとの開幕3連戦を3連勝と幸先の良いスタートを切ったが、その後は波に乗りきれない戦いが続く。原因は特に投手補強の大失敗で、ペニーは開幕直後の1試合投げただけでいなくなり、同じく開幕ローテーション入りしたレニエル・ピントも使い物にならず、帆足に至っては開幕ローテーション入りどころか二軍ですら大炎上して行方不明。結局先発ローテーションは攝津を軸に、山田、岩嵜、大隣、そして復活(?)した新垣渚の生え抜きローテーションに落ち着いた。

リリーフもファルケンボーグと森福、岡島は安定していたが、金澤の出遅れと不調、吉川の不調でやりくりに苦しむ。野手では明石が開幕からレギュラーに定着し、ペーニャが本塁打を量産してファンを喜ばせたが、本多が首痛に起因する不調に悩み、内川や松中、細川も打撃不振に陥る。ローテーションの関係で毎回成瀬善久・唐川侑己・藤岡貴裕の表ローテとぶつかることになったロッテ戦でボコボコにされ、貯金を伸ばせずにセ・パ交流戦へ。巻き返しを図った交流戦では、ファルケンボーグが戦線離脱した上、内川とペーニャが大スランプに陥って打線が機能不全を起こし、引き分けを挟んで8連敗するなどチームも大失速。大得意のはずの交流戦で11位という惨敗を喫しBクラスに転落した。

交流戦後は小久保裕紀の2000本安打達成という一大イベントもあったが、チームは不振の内川を5番に下げて好調の松田を3番に回し、ペーニャを外したり打順を下げたり、捕手を打撃でアピールした高谷裕亮にしてみたり、柳田悠岐をスタメンで起用、李杜軒や中村晃などを抜擢してみたりと、試行錯誤の戦いが続いた。投手陣は高卒ルーキー武田翔太が華麗に台頭。ファルケン不在のリリーフ陣は神内靖・藤岡好明に、故障で育成落ちしていた柳瀬明宏という懐かしの3人が復活するなど、後半戦の巻き返しへの土台を作ったが、前半戦は借金1の4位で終了。1996年以来16年ぶりの借金ターンとなった。

後半戦開始早々、低調な打線の中で孤軍奮闘していた松田が死球で骨折し戦線離脱したが、それと入れ替わるように内川が復調。そして8月14日、小久保裕紀が現役引退を表明すると、そこからチームは7連勝の快進撃で、一気に上位を伺えるところまで来た。しかし8月23日、堂上隼人が婦女暴行で逮捕されるという不祥事でチームの勢いは水をぶっかけられる形になる。

その後は日本ハムと西武の背中を追いかけながら、僅かな希望が遠ざかったり近付いたりの一進一退の展開が続いた。内川は結局後半戦打ちまくって3割に間に合わせ、武田翔太がローテーション入りして勝ちまくりファンに大きな希望を与えたが、本多のシーズン通しての不調、終盤は明石も失速して1番・2番を固定しきれないことに起因する打線の得点力不足は結局最後までどうにもならなかった。なんとかAクラスは確保したが、打線の弱さを象徴するように小久保のバースデー引退試合となった最終戦で西勇輝にノーヒットノーランを食らうというオチがついて、貯金2の3位でシーズンを終えた。チーム防御率は2年連続でダントツのリーグ1位となる2.56をマークしたが、総得点が最下位のオリックスと僅か9点差のリーグ5位、チーム得点圏打率はリーグ最下位の.238という打線の弱さに泣いたシーズンだった。

クライマックスシリーズ

1stステージを西武との死闘の末2勝1敗で突破。勢いに乗ってファイナルステージの札幌に乗り込んだが、第1戦で糸井嘉男の同点2ランから森福が打たれて逆転負けを喫すると、第2戦でも内川のエラーでの失点とまた糸井に森福が2ランを浴び敗戦。第3戦はエース攝津を立てたが、その攝津が初回のベースカバーで右足を捻って1回途中で降板、4回には本多が守備でフェンスに激突して負傷退場と呪われているかのような展開で、最後は負ければここで引退となる小久保がショートフライに倒れ、3連敗で敗れ去った。試合後、稲葉篤紀から小久保に花束が手渡され、両チームの選手が集まり小久保を胴上げし、小久保の現役生活は終わった。

2013年(73勝69敗2分、4位) 監督:秋山幸二

打線強化のため小久保の抜けた一塁に前年MLBでオールスター出場も果たしたブライアン・ラヘア、投手ではペニーで懲りずにMLB通算108勝のビセンテ・パディーヤと大物外国人2人を獲得。さらにメジャーから戻って来た五十嵐亮太と、FAでオリックスから寺原隼人を獲得するが、寺原の人的補償で故障からの復帰を目指していた馬原孝浩が人的保障でオリックスに移籍。他、トレードで多村仁志・吉川輝昭・神内靖をDeNAに放出して吉村裕基・江尻慎太郎・山本省吾を獲得。

相変わらず開幕前の前評判は高く、優勝候補筆頭という扱いで幕を開けたシーズンだったが、前評判通りにいかないのがホークスの常。この年はシーズンを通して、先発陣の崩壊にホークスは悩まされることになる。

オープン戦で結果を残し、ルーキーで開幕ローテーション入りを果たした東浜巨と山中浩史はシーズンに入ると全く通用せず速攻で二軍落ち。パディーヤはペニー同様1試合投げただけで姿を消し(ペニーと違いその後戻ってきたがピリッとせず)、前年8勝1敗1.09という神成績を残した2年目の武田翔太は制球難に苦しみ、山田大樹は秋山監督からアホンダラと呼ばれるほどの不甲斐ない投球が続く。大隣憲司に至っては6月に黄色靭帯骨化症という難病が発覚しシーズン絶望。前年全く戦力になれなかった帆足和幸が復活したが安定感はもうひとつで、攝津正ひとりが孤軍奮闘するという状況が開幕直後から延々と続くという状況。打線も本多雄一の不振で1・2番が固定できず、序盤はタイムリー欠乏症に苦しむ。リリーフ陣は岩嵜翔・千賀滉大の若手セットアッパーコンビが大活躍して森福允彦の不振の穴を埋めたが、全体的には試行錯誤状態で5割の壁がなかなか破れないままセ・パ交流戦へ。

得意としているセ・パ交流戦で、チームは息を吹き返す。怪我から復帰した中村晃の1番抜擢が成功、内川聖一・松田宣浩・長谷川勇也のクリーンナップが打ちまくり、長谷川は交流戦史上最高打率を記録。15勝8敗1分で4度目の交流戦優勝を果たし、貯金も8まで増やしてレギュラーシーズンに弾みがつくはずだった。ところがセ・パ交流戦優勝セレモニーを松中信彦が無断で欠席、秋山監督が激怒して二軍に落とすという松中造反事件が結果としてチームの勢いに水を差すことになってしまった。

レギュラーシーズンに戻ると、最大の問題である先発不足は解決の目処すら立たず、リリーフもファルケンボーグが姿を消し、岩嵜・千賀のセットアッパーコンビも調子を崩し始め、せっかく作った貯金をあっという間にすり減らしてまた5割前後をうろうろする。打線は中村・今宮の1・2番コンビの固定、長谷川の絶好調もあって打つときは打ちまくり、リリーフ陣も五十嵐亮太の抑え固定や森福の復調、柳瀬明宏・江尻慎太郎・嘉弥真新也らの奮闘でどうにか回っていたが、肝心の先発のチームQS率が4割を切るという惨状ではいかんともしがたかった。

それでも例年苦手の9月には新外国人のポール・オセゲラが先発陣に加わり、貯金を再び最多の8まで戻す。なんとかCS圏内は確保できるかと思われたが、壊滅状態の先発陣の中で孤軍奮闘していた攝津正がついに力尽き、猛烈な勢いで追い上げてきた西武を振り切れず、最後の最後で4位に転落。前年を上回る貯金4ながら、2008年以来のBクラスでシーズンを終えることになった。打線の弱さに泣いた前年とは打って変わって、チーム打率.274、総得点660はいずれもリーグ1位、救援防御率2.68もリーグ1位だったが、先発防御率4.14はリーグ5位、チームQS率最下位、1点差の試合は17勝26敗の借金9と、先発の崩壊と接戦の弱さが足を引っ張った。

長谷川勇也が首位打者・最多安打のタイトルを獲得。200安打も期待されたが198安打と惜しくも届かなかった。

オフにブライアン・ウルフ、ジェイソン・スタンリッジ、中田賢一、デニス・サファテ、鶴岡慎也、李大浩など大補強を敢行した。

2014年(78勝60敗6分、優勝・CS制覇・日本一) 監督:秋山幸二

オリックスと最後まで優勝争いを繰り広げ、10月2日の最終戦での直接対決(10.2決戦)に勝利したことで3年ぶりの優勝。秋山幸二監督の花道を3年ぶりの日本一で飾った。

詳細はプロ野球2014を参照

2015年(90勝49敗4分、優勝・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康

工藤公康政権1年目。柳田悠岐が3番に入り、トリプルスリーを達成。横綱相撲と言うべき強さで他球団を寄せ付けず、90勝を挙げ圧勝した。

詳細はプロ野球2015を参照

2016年(83勝54敗6分、2位) 監督:工藤公康

前半戦で貯金30を積み上げ首位を独走していたが、後半戦で日本ハムの猛追を振り切れず、最大11.5ゲーム差を逆転される歴史的V逸。

詳細はプロ野球2016を参照

2017年(94勝49敗0分、優勝・CS制覇・日本一 ) 監督:工藤公康

前半は楽天と競り合い、夏場に突き放すと、最終的には九州移転以降で最多となる94勝を挙げて圧勝。デニス・サファテがセーブのプロ野球記録を更新。

詳細はプロ野球2017を参照

2018年(82勝60敗1分、2位・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康

故障者の続出と主力の不調で、8月上旬で借金持ちという大苦戦。8月半ばから新戦力の台頭で西武を猛追するが、逃げ切られ2位に終わった。しかしCSでその西武を撃破して、球団史上初の下克上を達成。日本シリーズでも広島を破り、終わってみれば2年連続日本一に輝いた。

詳細はプロ野球2018を参照

2019年(76勝62敗5分、2位・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康

前年以上の故障者続出に苦しみながらも8月まで首位を走ったが、9月に西武の勢いをかわしきれず最大8.5ゲーム差を逆転され2年連続のV逸。しかしCSで西武を圧倒して4タテし2年連続の下剋上を決めると、2000年のON対決以来となった巨人との日本シリーズも4タテで圧勝。球団史上初の3年連続日本一を達成した。

詳細はプロ野球2019を参照

2020年(73勝42敗5分、優勝・CS制覇・日本一 ) 監督:工藤公康

9月まではロッテと競り合い、10月にプロ野球新記録の月間22勝・貯金18を叩き出して一気に突き放し、最終的には2位に14ゲーム差をつけて圧勝し3年ぶりのV。CS・日本シリーズも全勝でロッテ・巨人を圧倒し、パ・リーグ初の日本シリーズ4連覇。前年からポストシーズン16連勝、2018年から日本シリーズ12連勝を達成した。

詳細はプロ野球2020を参照

2021年(60勝62敗21分、4位) 監督:工藤公康

投打とも主力の不調と長期離脱とでシーズンを通して全く歯車が噛み合わず、13年ぶりの借金で終了、8年ぶりのBクラスに終わった。この年限りで工藤公康監督が退任。

詳細はプロ野球2021を参照

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