ホークス4本柱とは、2000年代に福岡ダイエーホークス及び福岡ソフトバンクホークスを支えた先発投手4人のことを指す。
2003年の日本一、2004年・2005年のシーズン成績1位などホークス黄金期に大いに活躍した。
2000年代に活躍と書いたが実はこの4人が揃って柱となって活躍していたのは4年間しかない(さらに正確にいうと3年)。というのは柱の1人でエースの斉藤和巳の実働期間が5,6年のみであり、かつ他の3人が在籍した期間を重ねると2003年から2006年(2007年)の間となるからである。
この時期のホークスは松中信彦,井口資仁,城島健司などスター選手揃いでありこの4人も非常に人気があった。
松中、井口、城島、そしてペドロ・バルデスによる「100打点カルテット」が打の四強ならば、「ホークス4本柱」は投の四強であり、2003年にはこれらが中心となってリーグ優勝および日本一に大いに貢献した。
また、斉藤以外の3人は1980年度生まれの同年代で、いわゆる松坂世代である。
そして、2004年から始まったプレーオフ制度(現・クライマックスシリーズ)の影響をモロに喰らった投手たちでもある。
厳密に言えばチーム全体に言えることなのだが、この辺については「秋の風物詩(野球)」の項目を参照。
勝利数 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|
斉藤和巳 | 20 | 10 | 16 | 18 | 6 | 70 |
和田毅 | 14 | 10 | 12 | 14 | 12 | 62 |
杉内俊哉 | 10 | 2 | 18 | 10 | 15 | 55 |
新垣渚 | 8 | 11 | 10 | 13 | 7 | 49 |
合計 | 52 | 33 | 56 | 55 | 40 | 236 |
1995年度新人選手選択会議で南京都高校から斉藤和巳がドラフト1位でホークスに入団。しかし1998年に斉藤は肩の手術をするなど入団から4年間はほとんど1軍出場は無かった。2000年に16試合に先発し5勝を挙げる。2001年は再び右肩痛になり勝ち星なし。
2001年度新人選手選択会議で三菱重工長崎硬式野球部からドラフト3位で杉内俊哉が入団。
2002年、斉藤は10試合に先発し4勝するなど開花の兆しを見せる。杉内は9試合先発し2勝2敗。この年の2002年度新人選手選択会議で自由獲得枠で早稲田大学から和田毅・九州共立大学から新垣渚が入団する。これで4本柱全員がホークスに入団。
入団から8年目、ついに斉藤和巳が覚醒。初の開幕投手を務め、勝利投手となると、その後はいずれも当時のプロ野球新記録となる先発登板16連勝および登板試合15連勝を記録(しかも勝敗のつかない試合を挟まずに記録)。この年パ・リーグでは8年ぶりとなる20勝を挙げ最多勝・最優秀防御率・最高勝率・ベストナイン・沢村賞などのタイトルを総なめした。
和田が新人ながら14勝挙げ新人王を満票で獲得。
新垣も新人ながらローテに定着し4試合連続で2桁奪三振を記録するなど7月末までに8勝を挙げるが、8月にくるぶしを痛めて離脱。
この4人の活躍もあり(セ・リーグの阪神ほどではないが)リーグを独走で制覇。
日本シリーズでは第1戦で斉藤が先発。6回4失点し勝利投手にはならなかったもののチームはサヨナラ勝利。第2戦では杉内が先発し8回を無失点に抑える。9回には新垣が登板しこちらも無失点。チームの勝利に貢献する。第3戦は和田が投げ6回1失点と好投するもチームは敗北。第4戦では新垣が8回から投げるが2失点しサヨナラ負けしてしまう。第5戦で再び斉藤が先発。しかし6回3失点で敗戦投手となる。第6戦は杉内が2度目の登板。7回を1失点に抑え勝利投手となる。最終第7戦では和田が9回を完投し2失点に抑えチームは勝利。和田は新人としては12年ぶりの日本シリーズ胴上げ投手となり、ダイエーホークス4年ぶり2度目の日本一に輝いた。また日本シリーズMVPには杉内が選ばれた。
登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 打者 | 投球 回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴 投 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
斉藤 | 26 | 5 | 1 | 1 | 20 | 3 | 0.870 | 801 | 194 | 174 | 19 | 66 | 3 | 8 | 160 | 4 | 62 | 61 | 2.83 | 1.24 |
杉内 | 27 | 3 | 2 | 0 | 10 | 8 | 0.556 | 675 | 162.2 | 148 | 13 | 55 | 1 | 3 | 169 | 4 | 64 | 61 | 3.38 | 1.25 |
和田 | 26 | 8 | 2 | 0 | 14 | 5 | 0.737 | 781 | 189 | 165 | 26 | 61 | 1 | 1 | 195 | 1 | 77 | 71 | 3.38 | 1.20 |
新垣 | 18 | 8 | 1 | 1 | 8 | 7 | 0.533 | 505 | 121.1 | 110 | 10 | 30 | 0 | 6 | 132 | 5 | 52 | 45 | 3.34 | 1.15 |
この年は先発陣が全体的に低調。斉藤・和田は10勝と前年より成績をさげてしまう。特に杉内はブルガリア事件(詳細は本人の頁で)により長期離脱。2勝しか挙げられずに終わる。新垣は初の規定投球回に達し177奪三振で初タイトルの最多奪三振を獲得した。
この年、チームはリーグ成績1位を残すもののこの年から新たに導入されたプレーオフの第2ステージで西武に2勝3敗で敗れ、リーグ優勝を逃した。このプレーオフでは第1戦で新垣が先発し勝利投手となっている。
登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴 投 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
斉藤 | 22 | 3 | 1 | 0 | 10 | 7 | 0.588 | 612 | 138 | 139 | 22 | 59 | 3 | 6 | 120 | 6 | 100 | 96 | 6.26 | 1.43 |
杉内 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0.400 | 216 | 45.2 | 56 | 8 | 27 | 1 | 2 | 51 | 2 | 36 | 35 | 6.9 | 1.82 |
和田 | 19 | 7 | 0 | 0 | 10 | 6 | 0.625 | 534 | 128.1 | 110 | 23 | 38 | 0 | 3 | 115 | 2 | 67 | 62 | 4.35 | 1.15 |
新垣 | 25 | 9 | 2 | 1 | 11 | 8 | 0.579 | 807 | 192.1 | 173 | 14 | 73 | 0 | 11 | 177 | 8 | 75 | 70 | 3.28 | 1.28 |
この年より球団名が「福岡ソフトバンクホークス」となる。
斎藤は自身2度目の14連勝を達成、14連勝以上を複数回達成した投手はプロ野球史上初となる。さらにプロ野球タイ記録となる開幕15連勝を記録。キャリアで15連勝以上を二度記録したのは史上初。最高勝率のタイトルを獲得した。
杉内は4月、5月と2ヶ月連続で月間MVPを獲得。球団史上4人目となるシーズン200奪三振(218)を達成。初の最多勝・最優秀防御率・沢村賞(パ・リーグの左腕投手の受賞は史上初)のタイトルを獲得。MVPにも選出された。また、与死球・暴投・ボーク・失策がいずれも0であった。
和田は開幕投手に選ばれ勝利。球団史上55年ぶりとなる新人から3年連続の2桁勝利を達成。新垣は9月には月間MVPを受賞する活躍を見せた。
チームもシーズンを1位の成績で終える。が、しかしまたもやプレーオフで敗退。このプレーオフ5戦とも4本柱が先発を務める(杉内が2試合)も4人共勝利投手にはなっていない。
登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴 投 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
斉藤 | 22 | 4 | 1 | 1 | 16 | 1 | 0.941 | 636 | 157 | 135 | 14 | 41 | 0 | 10 | 129 | 5 | 54 | 51 | 2.92 | 1.12 |
杉内 | 26 | 8 | 2 | 2 | 18 | 4 | 0.818 | 765 | 196.2 | 150 | 14 | 43 | 1 | 0 | 218 | 0 | 51 | 46 | 2.11 | 0.98 |
和田 | 25 | 4 | 0 | 1 | 12 | 8 | 0.600 | 741 | 181.2 | 154 | 17 | 57 | 8 | 2 | 167 | 4 | 69 | 66 | 3.27 | 1.16 |
新垣 | 22 | 3 | 2 | 0 | 10 | 6 | 0.625 | 600 | 136.2 | 146 | 13 | 54 | 1 | 9 | 130 | 7 | 73 | 70 | 4.61 | 1.46 |
斉藤が選手会長に就任。開幕投手を務め勝利投手となる。6月8日には自身初となる無四球1安打完封勝利を挙げた(脇谷亮太に1安打)。またこの脇谷も牽制でアウトにしたため打者27人で終了させる準完全試合を達成。さらに8月には球団史上初の2試合連続2桁奪三振での完封勝利を達成。最終成績は勝利数・防御率・奪三振・勝率・完封でリーグトップになり1981年の江川卓以来、2リーグ分立後4人目となる投手五冠を達成しパ・リーグ史上初となる2度目の沢村賞を受賞。
杉内、和田はWBC代表に選出。和田はルーキーイヤー以来の14勝を挙げ防御率ではプロ入り初の2点台をマークした。新垣は4月の月間MVPを獲得。自己最多の13勝を挙げて3年連続の2桁勝利を達成。
この年は王貞治監督が胃の手術のため休養。監督代行は森脇浩司チーフコーチが務めた。シーズン成績は3位に終わる。プレーオフでは第1戦対西武で斉藤が8回を1失点に抑えるも完封した松坂大輔に敗北。第2戦では和田が登板しチームは勝利。第3戦も勝利し第2ステージ進出。第2ステージ対北海道日本ハム戦では第1戦で杉内が登板するもダルビッシュ有の前に敗北。第2戦は中4日で斉藤が登板したが、八木智哉が完封し、「シンジラレナ~イ」サヨナラ負けを喫してチームは敗戦。3年連続のプレーオフ敗退となった。
登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴 投 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
斉藤 | 26 | 8 | 5 | 3 | 18 | 5 | 0.783 | 790 | 201 | 147 | 10 | 46 | 3 | 8 | 205 | 2 | 50 | 39 | 1.75 | 0.96 |
杉内 | 22 | 0 | 0 | 0 | 7 | 5 | 0.583 | 558 | 132.2 | 130 | 15 | 44 | 2 | 5 | 114 | 2 | 57 | 52 | 3.53 | 1.31 |
和田 | 24 | 6 | 3 | 3 | 14 | 6 | 0.700 | 657 | 163.1 | 137 | 18 | 42 | 1 | 1 | 136 | 2 | 57 | 54 | 2.98 | 1.1 |
新垣 | 23 | 5 | 2 | 1 | 13 | 5 | 0.722 | 641 | 155.1 | 132 | 10 | 46 | 0 | 7 | 151 | 10 | 60 | 52 | 3.01 | 1.15 |
斉藤が2年連続4度目の開幕投手を務める。しかしこの年は右肩の筋疲労に4月に二軍落ち。7月に復帰するも中10以上空けながら登板した。
杉内は2年ぶりの2桁勝利となる15勝を挙げる。和田は12勝を挙げ、球団としては45年ぶりの入団から5年連続の二桁勝利を達成。新垣はこの年から暴投王とよばれるほど暴投が激増し25暴投という日本記録を達成してしまった。最終的に7勝を挙げる。
シーズン成績は2年連続の3位に終わる。クライマックスシリーズでは杉内が勝利投手となるもののチームは2敗し敗退する。この第1戦で斉藤が先発するも4回5失点で敗戦投手に。結果的にこの試合が斉藤の現役最後の登板となる。
斉藤はこの後何度も手術を受けるも結局登板することができず2013年を以て引退。
杉内はこの後4年連続で2桁勝利(うち3年が15勝以上)を挙げ2011年オフにFAで巨人に移籍。巨人のリーグ3連覇に貢献するも、2015年に股関節を故障してからは一軍のマウンドに戻れぬまま2018年に引退。巨人で投手コーチを務めることになった。
和田は2009年に肘の炎症を起こすものの2010から復帰し17勝、翌年16勝を挙げメジャーリーグに移籍する。2016年はホークスに復帰し15勝を挙げるも、翌年以降故障に悩まされる。しかし、故障の癒えた2019年以降は再び先発左腕として、チーム投手陣のベテランとしてホークスを支えている。
新垣はこの後なかなか成績を残せず。さらに2度の暴投王になってしまい、ネットでは「暴投の代名詞」とまで呼ばれるようになってしまう。2014年途中にヤクルトにトレード移籍。しかしヤクルトでは2015年、先発が足りない中15先発しチームを支えヤクルトの14年ぶりのリーグ優勝に貢献する。翌2016年に引退。引退後はホークスに戻り球団職員となる。
4本柱はそれぞれの道を歩みだした。
寺原隼人(1983年10月9日生まれ、2002年-2006年,2013年-在籍中)は入団前から大きな期待をかけられていた。当時の甲子園最速の158km/h(メジャースカウトのスピードガンが157.68km/hを記録。球場表示の最速は154km/h。こちらでも当時甲子園最速)を記録。あの松坂大輔の記録(151km/h)を抜いてしまったことで寺原フィーバーが巻き起こった。2001年ドラフトでは4球団が競合し王監督がクジを当て入団。王監督が初めてクジを当てた選手でもある。春季キャンプでは10万9850人と当時の球団史上過去最高を更新。非常に注目度も高かった。
入団1年目は6勝2敗と新人としてそこそこの成績を残すものの、あの松坂大輔の成績(16勝5敗)と比較されてしまいガッカリされる。2年目2003年は王監督にエースは斉藤か寺原とまで言われ7勝5敗とわりかしの成績を残すがこの年は上記のように4本柱が揃った年でありかつ斉藤がとんでもない成績を残したためまたイマイチ扱いされてしまう。この後2年間勝利を挙げられず計8試合の登板に留まった。しかし、斉藤(Saitoh)、和田(Wada)、新垣(Arakaki)、寺原(Terahara)の「SWAT」グッズが作られたように、ホークスファンからの期待には高いものがあった。
コーチからは心・技・体のうち技と体は満点だが心が赤点とよく言われていたという。
2006年には4月13日に965日ぶりの勝利を挙げるなどするがこの年は援護がないこともあり15先発で3勝に留まってしまう。しかしプレーオフでは虫垂炎で離脱した新垣渚に代わって、第1ステージ第3戦で急遽先発。5回イニングを投げ3安打1失点の好投でステージ突破に貢献した。
この年のオフなんとトレード。しかし相手はすでに40本塁打の実績もある多村仁であり評価は高かった。横浜ではいきなり開幕投手を任せられこの年初の二桁勝利(12勝)。翌年は抑えに周り22セーブを挙げるなどようやく活躍。その後再びトレードでオリックスに移籍。再び12勝を挙げるなど活躍する。
そして2012年オフ、FA権を得た寺原は古巣ホークスへの復帰を表明。2013年にはNPB史上3人目の13球団からの勝利を達成。先発にリリーフにと出場し続けている。2017年時点で彼もまだ33歳。まだまだホークスの柱となれる可能性は残っていた…
しかし、復帰後は大きく調子を落としてしまい、2018年オフに戦力外通告を受け、ヤクルトへ移籍するも、翌年限りで引退している。
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最終更新:2024/05/10(金) 20:00
最終更新:2024/05/10(金) 20:00
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