オリックス・バファローズとは、日本プロ野球のパシフィック・リーグに所属する球団である。
パシフィック・リーグ | |
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オリックス・バファローズ | |
基本情報 | |
創設 | 1936年 |
本拠地 | 京セラドーム大阪 (ほっともっとフィールド神戸) |
一般略称 | オリックス |
アルファベット | B |
優勝回数 | |
リーグ優勝 | 14回 |
日本一 | 5回 |
セ・パ交流戦 | 2回 |
経歴 | |
球団組織 | |
運営母体 | オリックス |
オーナー | 湊通夫 |
球団社長 | 湊通夫 |
GM | 福良淳一 |
プロ野球球団テンプレート |
親会社はオリックス。現在の監督は中嶋聡(2020年途中~)。本拠地は大阪市の京セラドーム大阪。神戸市のほっともっとフィールド神戸は準本拠地。
略称は「オリックス」「オリ」。アルファベット表示は「B」。合併した2005年から2018年までは「Bs」で、現在でも一部でBs表記がみられる。ネット上では「檻」と略されることも多い。パ・リーグでは唯一、球団名に地域名が入っていない。二軍の球団名は2008年まで「サーパス」だったが、ネーミングライツの契約終了により2009年からはオリックスに戻っている。
2004年にオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズが合併することで誕生したチームであるが、ブルーウェーブの存続チームとして認識されている。だがその一方、「バファローズ」の名前を用い、神戸での主催試合を年々減らし大阪の球団としてアピールしていることは、旧オリックスファンからも近鉄ファンからもわりと複雑な感情をもって受け止められている。
なお、ブルーウェーブ時代についてはオリックス・ブルーウェーブ、さらにそれ以前の阪急時代については阪急ブレーブスの項目を参照。また近鉄に関しては大阪近鉄バファローズの項を参照。
非常に伝統ある球団で勝ち数は5000勝を越え歴代4位(2018年終了時点)を誇るが、昔から人気は微妙。本拠地の近い阪神タイガースの煽りを受けてのことだと思われる。また近年は毎年のように監督交代が繰り返されているのが長期的なチーム作りを阻害し、低迷の遠因になっている節もあった。
2008年以降は、金子千尋、T-岡田、坂口智隆などの若手が台頭し、積極的な戦力補強もあり、2007年以前とはほぼ別のチームと言っていいほどに戦力が入れ替わったが、それでも2010年代は低迷していた。2021年に25年ぶりの優勝を達成すると、2022年には連覇と26年ぶりの日本一を達成した。
2011年からはチームカラー、球団旗、ユニフォームデザイン、ロゴ、マスコットなどを一新し、「新・黄金時代へ」を掲げ、チーム全体の大幅なリニューアルを敢行した。
2014年からは楽天、ソフトバンクに続きパ・リーグ3球団目となるニコニコ生放送でのホームゲーム無料配信を行う。映像・音声は楽天・ソフトバンクと同様、CS放送のものがそのまま使われた。2015年からは楽天以外の他球団と足並みを揃え、ディレイ放送を行っている。
ネッピーは海神ネプチューンの息子として1991年、「ブルーウェーブ」へのチーム名変更に伴い誕生。背番号111。阪急ブレーブスのマスコット「ブレービー」の中の人であった島野修が引き続きスーツアクターを務め人気を博した。
リプシーは1998年に、ネッピーに助けられた海賊の娘として登場。背番号222。
キャラクターデザインは「ファミ通」の表紙でおなじみのイラストレーター・松下進。
近鉄と合併し「バファローズ」となってからも引き続きマスコットを努めていたが、チームカラーの刷新に伴い、2010年をもって2人とも引退、故郷の海へ帰っていった。
なお同年、ネッピーのスーツアクターであった島野修が死去している。
ネッピー&リプシーに代わって登場した新マスコット。チーム名の「バファローズ」に合わせて牛キャラとなった。
キャラクターデザインの公開時から「かわいい」と評判だったが、実際にマスコットの人形が登場すると、「二次元より三次元の方がかわいい」とバファローベルの虜になる人が続出、野球ファン以外の層まで取り込む人気に。そのかわいさからか、他球団マスコット(主に某鬼畜ペンギン)からセクハラされる始末。
公式で写真集まで発売されたり、薄い本が出たり、バファローベル人気は留まるところを知らない。でもたまにはお兄さんのことも思い出してあげてください。
詳細はそれぞれ「バファローブル」「バファローベル」記事を参照。
前述の通り人気の高い球団とは言い難い面がある。年々観客動員数自体は増えており、2013年はホームゲームの平均観客動員数が19,979人と2万人に若干届かず、いまだパ・リーグ4位、12球団中8位に甘んじている(ちなみに下は東京ヤクルトスワローズ、横浜DeNAベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、千葉ロッテマリーンズ)。ホームゲームでは京セラドーム大阪の観客席にまだまだ空席が目立つことが多い。そのためファンサービスに非常に力を入れている、のだが……。
ウグイス嬢、場内アナウンスに声優を起用したり、レディースデーと銘打って美化200%の乙女ゲーのようなポスターを製作したりと、何か間違った独特な方向に突っ走ってしまうことが多い。
余談だが、京セラドーム大阪のオーロラビジョンに流れるスタメン発表の映像は毎年非常に凝った作りになっている。
前述したように、オリックス・バファローズとは兵庫県西宮市を拠点とした阪急ブレーブス、神戸市を拠点としたオリックス・ブルーウェーブ、そして大阪藤井寺市と大阪ドーム(現京セラドーム大阪)を拠点とした近鉄バファローズという、いわば三つの球団が絡んだ持つチームであるため、それを支えてきたファンも複雑な関係を持っている。
西宮市は旧摂津国にあたる。この一帯は、近代から阪神間モダニズムの拠点として、眺望の良い六甲山麓に別荘や超一等住宅が建ち並ぶなど、上流階級が居を構える山の手であり、ファンもそれに因み、高校野球のようにブラスバンドを使った品のある応援が特徴であった。また、それとは対照的に尼崎や西宮の沿岸部など、野次混じりの応援をする名物おっちゃんなどもいたことはいた。しかし、人気はというと、同じく西宮市に拠点を持ち、関西一円にファンを持つ阪神タイガースの陰に隠れていた。そのため、新たなファンを開拓するために、かねてより球団誘致を行っていた神戸移転を決行する。
神戸市に移転した後も、お洒落な港町のブランドイメージを崩さないよう、比較的上品な応援は引き継がれていた。一方、神戸市に移転したはいいが、球場はそれこそ六甲山地北麓のニュータウンにあり、アクセスが絶望的に悪いため山手や下町に住む人は、「神戸に移転してきたけど別に興味ない」と感じていた人が多く、一部の熱心な旧阪急ファンが足繁く通っていたことが多かった(それでもオリックスのオーナーが阪急色を徹底的に払底させたことで、多くの阪急ファンも去って行ったという)。
そんな状況の中、彗星の如く現れたイチローの登場で、彼見たさに閑古鳥が鳴いていた球場は次第に客が増加。スタジアムが満員となる日もあった。
そして1995年の阪神・淡路大震災から「がんばろうKOBE」のスローガンを掲げ、シーズン優勝を果たす。日本一こそ逃したものの、そのナインの頑張りは、すっかり憔悴していた市民の心の拠り所として、またバラバラだった神戸市民の心はオリックスによって一体化し、復興のシンボルともなった。その翌年には悲願の初日本一となり、オリックスこそ神戸市民の球団という意識が最高潮に達した。このような経歴があるため、現在も熱心なオリックスファンが神戸市に多いのはそのためである。だが、その神戸市民の心を逆撫でするような事態が後に発生することになるのだが、それは後述。その後は暫くAクラスを続けるものの、星野のFA、ニールの退団、長谷川、イチロー、田口のメジャー挑戦などで戦力が減衰していき、また新垣渚入団拒否に端を発する井箟オーナーの舌禍発言、ドラフト指名選手の低迷などもあってファンの熱も冷め、元の閑古鳥が鳴く寂しい球団に戻っていく。
一方の藤井寺市を拠点に持っていた近鉄バファローズは、旧河内国に位置する。このあたりは、東大阪、八尾などに代表されるように、職人の街であり、典型的な下町である。そのため、ハイソな阪急とは対極的に、非常に粗野で、豪快、豪放な応援が主流であった。
(参考までに旧南海ホークスは旧和泉国に位置しており、三球団の棲み分けができていたわけである。そのため、ホークスが福岡に移転しても他球団に浮気せず、この一帯はホークスファンを続けている人が多い。1999年にホークスが日本一になった時は、実は大阪、とくにミナミを初めとする南海沿線ではかなり盛り上がっていた)
時は流れ、2004年、かねてより資金難に喘いでいた大阪近鉄バファローズと客減少に喘いで弱体化していたオリックスブルーウェーブの合併話が出る。そして、これに加え、宮内オーナーによって全10球団にして1リーグ制にする話が浮上した。これに対し、選手会は猛反発し、NPB史上初のストライキが敢行されるまでに。結局、福岡ソフトバンクホークスの誕生によるホークス合併話の立ち消えと、新球団東北楽天イーグルスの誕生によって、事態は収拾するのだが、その話は置いといて…
これによって、新生オリックスバファローズが誕生し、ファンも相乗効果で倍に…という目論見があったようだが、現実は甘くなくファン低迷の元となる禍根を生んでしまう。まず、近鉄ファン側にとっては宮内の1リーグ発言は致命的であり、「近鉄球団を潰した元凶」と捉えられてしまい、そんなチームを応援する気力など起こるはずもなかった。むしろ、新たに誕生した楽天イーグルスの選手の多くが、旧近鉄戦士であったこともあるためか、楽天ファンに鞍替えする人も少なくなかった。また、古くから近鉄ファンはアンチ阪神も多く、阪神を応援する気になれないから近鉄を応援する人や、巨人と近鉄が蜜月の関係にあったことから、巨人&近鉄のファンも少なくなく、そのまま巨人ファンだけが残ったという人も少なからずいる。
一方のオリックス側にとっては、応援スタイルの全く違う旧近鉄ファンを積極的に採り入れる空気ではなく、旧近鉄派とオリックス派の軋轢を生んだりしていた。だが、そこはまだ許容範囲で、神戸のオリックスファンにとって一番面白くない出来事は、2007年から本拠地を旧近鉄の「大阪ドーム」に移行したことであった。主催試合が年20試合程度に急減し、剰え2009年にオフには神戸からの完全撤退を発言したことで、完全に神戸のファンの怒りが絶頂に達した。そして神戸市民からも「神戸を離れるならもう応援してやんねーよ、ウワァン!(AA略)」…という事態を生み出したのである。結局、猛反発に遭い撤退発言は撤回されたものの、主催は20試合を切ってしまう。そのたび、神戸市民から「もっとスタジアムへのアクセスが良ければ…」という溜息が絶えない。それでも、大阪での主催試合より神戸の主催試合の方が客が多く入っていたりすることもある。
これによって、旧近鉄ファンからの恨みを買い、また旧オリックスファンからの恨みも買っているため、1+1=2どころかマイナスに至っているのが現状である(しかし、擁護するとすると、旧三球団の血が混ざっているため、どこかを引っ張ればどこかが引っ込むために、関係者からもファン戦略にずっと頭を悩ませていたと語られている)。そのため、観客伸び悩みは深刻であり、ちぐはぐな合併球団というイメージを払拭するため、球団旗やマスコットなどを一新したのもそれが一つの理由となっている。また、エイベックスの協力でBs-spiritsというダンスユニットのパフォーマンスショーを開催したり、色々と営業努力が行われている。2014年からはニコニコ生放送におる主催試合放送も開始した(IT系企業以外では初)。在阪メディアは圧倒的に阪神タイガース贔屓であり、唯一オリックス贔屓だった神戸新聞も大阪に拠点を移してからは記事の対象外としているため、いい意味ではメディアミックスへの障壁が少ないこともメディア戦略に積極的な理由といえるだろう。
そのメディアミックスによる成果も徐々に出ており、2013年は前年比9%増、そして優勝争いを演じる2014年度は前年比17%増、合併後初の平均観客数2万人代突破を実現している。同じくAクラス入りした2008年にも観客は増えているので、結局当面は強くなって優勝を争い、ファンの心を一致団結させることが最大の薬なのかも知れない。
さらに一つになろー、という合い言葉はまさしく今こそ求められる言葉である。
応援団は旧近鉄系と旧青波系の応援団が共に活動している。流用応援歌やチャンステーマは旧チームからの流用もあるが、新規の応援歌を両系統の応援団が集まり共に製作している。
特徴的な応援歌前の選手コールは近鉄流であり、応援歌後の「○○、○○、かっとばせ~○○」は青波流である。
特徴的な3・3・7拍子はJITTERIN'JINNの「黄金の夜明け」をアレンジしたもの。
トレードによる補強に積極的な球団で、オリックス・バファローズとなった2004年オフ以降、トレードで放出・獲得した選手の延べ人数は12球団でも1・2を争う。
ところが、実際のところトレードでの選手獲得が補強になっているかどうかは甚だ疑わしい。というかむしろ出された選手の方が移籍先で活躍するというパターンが特に合併からしばらくは非常に多かった。
しかし、中村勝広球団本部長が解任され岡田彰布体制となった2009年オフからは一転して、木佐貫洋や荒金久雄らトレードで獲得した選手が活躍し、放出した選手(高木康成や金澤健人)も移籍先に貢献するトレード巧者に変貌した。
オリックス・ブルーウェーブ時代を含め2002年からほとんどBクラスのバファローズ。TBS時代の横浜ベイスターズに匹敵する程、暗黒ネタが尽きない。
同じ関西に本拠地を構えていた阪急・南海時代から、ホークスとの間には不思議と因縁がついて回っている。
1988年10月1日、南海ホークスはダイエーへの球団譲渡を発表。福岡ダイエーホークスが誕生。
同年10月19日、阪急ブレーブスはオリエント・リースへの身売りを発表。オリックス・ブレーブスが誕生。球団に何の愛情も持ってないオーナーの小林公平が「南海の身売りのどさくさに紛れて」強行したものであった。
2004年6月、オリックスと近鉄の合併計画が報道される。紆余曲折を経て9月8日のオーナー会議で球団合併が承認される。しかし、巨人の渡辺恒雄と西武の堤義明が「もう1球団合併させて10球団1リーグ制」とぶち上げたことに選手会が反発。ストライキや分配ドラフトを経て12月1日、オリックス・バファローズが誕生。
同年10月18日、「もう1つの合併球団(消滅する方)」として名前の上がっていたダイエーの存続問題でソフトバンクが球団買収に乗り出すことを表明し、11月30日に買収が正式発表。12月24日のオーナー会議で承認され、福岡ソフトバンクホークスが誕生。
二度に渡って球団の身売りや合併が同年に重なったのは、無論のことバファローズとホークスのみである。
パ・リーグ元年の1950年から60年代半ばまで、鶴岡一人監督のもと南海ホークスが黄金時代を誇ったが、1967年、南海が初のBクラスに転落するとともに、西本幸雄監督に率いられた阪急ブレーブスは悲願の初優勝を果たす。ここから1978年までの12年間で阪急は実に優勝9回という圧倒的な強さで黄金時代を築いた。しかし、1980年代は西武ライオンズの誕生もあり、1984年に優勝こそしたものの、この年以外は優勝争いに絡むことが一度もなかった。
1989年にオリックスとなり、初年度は近鉄、西武と熾烈な首位争いを演じた。翌年以降もAクラスを堅持し、(西武が主力の高齢化で低迷したことで)1995年にオリックスとして初優勝。1996年には日本一に輝き、以降1999年までAクラスを維持し続けた。一方この間、福岡ダイエーはお荷物球団として常にBクラスにあったが、ブルーウェーブ最後のAクラスとなった1999年に福岡ダイエーが初優勝。以降ダイエー→ソフトバンクは毎年優勝争いを繰り広げ、一方オリックスは戦力がガタ落ちしブルーウェーブ末期には3年連続最下位になるなど暗黒時代に突入していた。
2008年、バファローズが2位へ躍進するとホークスはその年最下位。2009年はホークスが3位、バファローズは最下位。1989年以降、両チームがAクラスかBクラスのどちらかに揃って入ったのは1998年・1999年と2013年・2014年のみである。2014年は熾烈な優勝争いを繰り広げたが、この2チームによる優勝争いは前後期制だった1977年前期以来37年ぶりのことだった。
戦前の1940年4月6日、阪急軍対南海軍の試合は32-2というプロ野球記録の32得点・30点差で阪急が勝利した。
それから63年後の2003年、ダイハード打線を擁し圧倒的な強さを誇ったホークスの前に、投壊状態のオリックスは為す術もなく蹂躙され、8月1日には1-29という2リーグ制以降の最多記録となる29得点・28点差で福岡ダイエーが勝利。ちなみにこの4日前のホークス戦では7-26で敗れており、2試合で55失点というプロ野球記録も作っている。この年オリックスはホークス戦で20失点以上を4回記録するなど見るも無惨なほどにフルボッコにされた。
2008年の戦績にも記したが、2008年1月、バファローズが一度は獲得を表明したジェレミー・パウエルがその後ホークスと契約を結び、二重契約として問題に発展した。結局パウエルはホークスに入団することになる。(これに関してはオリックス側のスタッフが色々手を抜いてた可能性が高いと思われる)
しかしこの年、王監督最終年のホークスは故障者の続出とリリーフの崩壊で最下位に転落。一方バファローズは新戦力が次々と台頭し9年ぶりのAクラスとなる2位に躍進。パウエル騒動が誰も予想だにしないフラグになる格好になった。
なお、ホークスに入団したパウエルはこの年、1勝4敗に終わり1年で退団。唯一の白星を挙げたのは京セラドーム大阪でのバファローズ戦だった。
監督 | コーチ |
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※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。
支配下選手 | |||
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投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
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育成選手 | |||
投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
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合併初年度は監督にブルーウェーブ黄金期の名将・仰木彬を迎える。分配ドラフトによって(岩隈久志などが入団拒否したが)2球団の戦力をいいとこ取りしたため、ブルーウェーブ末期の絶望的な戦力から大幅に層が厚くなった。
西武と終盤までプレーオフ争いを演じ、最終的には4位に終わったが、前年までの底の見えない暗黒っぷりからは比べものにならないほどの戦いぶりを見せた。とはいえ合併してもAクラスに入れなかったあたり、いかに前年までのオリックスの戦力が貧弱そのものだったかが伺える。広島東洋カープからトレードで獲得した菊地原毅が最優秀中継ぎ投手に輝き、怪我から復帰した加藤大輔、同じく怪我から復帰の守護神大久保勝信とともに阪神の「JFK」に倣って「KKO」と一瞬だけ呼ばれた。他にも2年目の歌藤達夫や、香月良太、萩原淳などリリーフ陣の健闘が光った。
しかし、ガンに冒されながら指揮を執り続けた仰木の体力は既に限界を迎えており、シーズン終了後に仰木は退任。そのまま12月に帰らぬ人となった。代わって中村勝広が監督に就任する。
前年、仰木監督の置きみやげとして巨人から清原和博を獲得。さらにメジャーで挫折した中村紀洋を獲得し大きな話題を呼ぶ。しかしシーズンに入るとどちらも故障が原因で大きく期待を裏切る結果に。
ルーキーの平野佳寿は前半戦こそ新人王を争う活躍を見せるが、疲れで後半戦に失速。清原と中村の不振でチームは絶対的な柱を欠き、リリーフ陣も前年ほどの働きは出来ず、終盤はあわや東北楽天に追い抜かれるかというところまで落ちぶれ、勝率.391の5位に終わる。
オフに中村監督は低迷の責任をとって辞任。代わってテリー・コリンズが監督に就任。また中村紀洋が故障の扱いを巡ってフロントと大揉めして自由契約となり、ブルーウェーブ時代からの主力であった谷佳知をトレードで巨人に放出した。
前川勝彦の無免許ひき逃げ逮捕という不祥事で幕を開けた2007年。
開幕直前、既に一度引退して1年のブランクがあったタフィ・ローズを獲得。実績は歴代最強クラスだが既に高齢でありブランクがあったこともあって、誰もが「働けるのか?」と首を傾げた。しかし蓋を開けてみればローズは年齢もブランクも感じさせない、往年と変わらぬ打棒を発揮し不動の4番に。終盤の離脱でタイトルは山崎武司に譲ったが、42本塁打、96打点と文句なしの成績を残した。
しかし、シーズンを通しての明るい話題といえばそのぐらいで、チームは川越英隆、吉井理人、ダン・セラフィニなどの先発陣が不振にあえぎ、打線も1、2番が固定できず序盤から苦戦。GWに記録的な大失速をするとその後はAクラス争いもできず、東北楽天の躍進もあって合併3年にして最下位まで転がり落ちた。二軍との選手の入れ替えが少なく、二軍で活躍していた選手から不満の声があがることもあった。
その一方、シーズン後半戦では金子千尋、岸田護などが台頭して希望の星となる。また坂口智隆やルーキーの大引啓次などが積極的に起用され、低迷の中にも翌年への種はしっかりと撒かれていた。
オフ、西武ライオンズを退団したアレックス・カブレラを獲得したほか、濱中治、古木克明と長打力のある選手を次々とトレードで獲得し、「いったいオリックスはどんな打線を組む気なんだ?」と誰もが首を傾げた。
1月11日、ジェレミー・パウエルを獲得との報道が出るが、月末に福岡ソフトバンクホークスがパウエルの獲得を発表。二重契約が発覚し大揉めとなり、結局パウエルは福岡ソフトバンクに入団することに。色々と物議を醸したが、よもやこれがフラグになろうとは、この時は誰も予想していなかった。
前年の最下位もあって前評判は低く、平野佳やデイビーらローテ候補が次々と戦線離脱し開幕から先発ローテーションが組めないという暗黒展開で開幕を迎える。急遽リリーフ陣から小松聖や山本省吾がローテーションに入ることになり、開幕直後はカブレラの不振もあって苦戦が続いた。カブレラの復調とともにチームは多少上向きになるが、5月21日にはコリンズが「野球に対する全ての情熱を失った」と突然辞任。急遽ヘッドコーチの大石大二郎が代行として指揮をとることになる。
ところが、この監督交代が契機となり、カブレラとローズの大暴れに引っぱられてチームはぐんぐんと上昇気流に乗る。先発陣は小松聖を筆頭に、夏場から金子千尋、山本省吾、近藤一樹の4本柱が確立。坂口智隆、後藤光尊らが覚醒してレギュラーを掴み、加藤大輔は劇場しつつ守護神として奮闘する。
北京五輪代表に誰も選ばれず戦力ダウンが一切無かった恩恵もあってか、みるみる順位を上げAクラス争いに参戦し、9月に大失速した福岡ソフトバンクを蹴落として最終的に9年ぶりのAクラスとなる2位へ駆け上がった。小松聖が15勝を挙げ新人王、ローズが打点王、加藤大輔がセーブ王、坂口智隆がゴールデングラブに輝いた。
だがクライマックスシリーズでは北海道日本ハムに経験の差を見せつけられ、1stステージで敗退。
オフにはホセ・フェルナンデスを獲得しさらに重量打線化を目論む。またトレードで大村直之を獲得した。
ローズ、カブレラ、ラロッカ、フェルナンデスと並ぶ超重量打線「ビッグボーイズ」を売りに、開幕前は優勝候補にも挙げられた。キャンプでは野茂英雄を臨時コーチに招聘。
しかしカブレラ、ローズが相次いで故障で離脱、ラロッカ、フェルナンデスも故障して、ビッグボーイズ全員が揃うことは結局無かった。さらに後藤、日高、大引といったレギュラー陣までもが次々と離脱する極端な故障禍に泣かされる。
投手陣も小松がズタボロに打ちこまれたのを筆頭に、正捕手日高の不在もあってか、守護神・加藤大輔以下それまで比較的安定していたリリーフ陣が崩壊。シーズン終盤には11勝していたエースの金子が抑えに回る事態になった。
結局、開幕前には充実と評されていたはずの戦力が全く整わず、歯車が狂ったまま千葉ロッテとともに低空飛行が続き、最終的には最下位に転落。オフには責任を取って大石監督が辞任。後任に前阪神監督で球団OBの岡田彰布の就任が決定した。また球団本部長の中村勝広がシーズン中に解任された。
なおフェルナンデスは解雇され、ローズも契約が難航し結局退団。ビッグボーイズは解体となった。一方、トレードで巨人から木佐貫洋、阪神を戦力外になったアーロム・バルディリス、そしてメジャーから日本に復帰した田口壮を獲得。
宮古島キャンプ中、小瀬浩之がホテルで転落死するという悲報に見舞われる。再出発を目指す矢先の、若手野手のホープだった小瀬の突然の死に、チームとファンは深い悲しみに包まれた。なお、小瀬の死を受けて開幕前に埼玉西武からトレードで赤田将吾を獲得。
東北楽天との開幕3連戦を3連勝と幸先のいいスタートを切る。しかし大暴れしていたカブレラがまたも戦線離脱、投手陣も安定感を欠いて次第に連敗が目立つようになり、4月の終わりには4位に転落。そのまま交流戦を迎える。が、交流戦に入ってから岸田護がリリーフに回ったことで平野佳寿と必勝リレーが形勢されリリーフ陣が安定。打線はT-岡田やバルディリスの覚醒、カブレラの復帰に北川博敏の好調、シーズン中にトレードで獲得した荒金久雄も活躍し、勢いに乗って16勝8敗で交流戦初優勝、6あった借金を完済する。しかしこの年の交流戦はパが上位を独占したため、ほとんど差を詰められず順位は4位のままだった。
そのまま波に乗れるかとおもいきや、レギュラーシーズン再開直後の北海道日本ハム3連戦で3連敗すると、再び勝ったり負けたりを繰り返して5割前後をうろうろし、調子を上げてきた北海道日本ハムと4位争いをしながら上位3球団に追いすがる展開になる。金子千尋が3試合連続完封を皮切りに13連勝を果たし、途中加入のフランシスコ・カラバイヨや外野にコンバートされた森山周の台頭、ルーキー比嘉幹貴が故障から復活、鴨志田貴司やバーニング中山慎也についに覚醒の兆しなど明るい材料も多かったが、山本省吾や近藤一樹らの先発陣が相変わらずピリッとせず、比較的安定感のあった木佐貫洋は援護に恵まれなかった。
それでも終盤戦まで千葉ロッテ・北海道日本ハムと三つ巴のCS争いを繰り広げ、残り10試合の時点ではまだ優勝の可能性さえ残っていたが、最後に堪えきれず脱落。2試合を残してBクラスが確定、最後は消化試合モードで千葉ロッテのCS進出を華麗にアシストし、岡田政権1年目は69勝71敗4分、借金2の5位で幕を閉じた。
金子千尋が最多勝、T-岡田がベストナインと本塁打王、カブレラがベストナイン、坂口智隆がゴールデングラブを獲得。しかしオフにはカブレラの残留交渉が決裂、退団となる。代わりに巨人から李承燁を獲得。またMLB通算124勝の韓国の英雄・朴賛浩を獲得し、投打に韓国のスター選手を揃えた。トレードでは山本省吾、一輝らを放出して、横浜から寺原隼人・高宮和也などを獲得。ドラフト会議では岡田監督がくじを3回連続で外す史上初の珍記録を作ってしまった(外れ外れ外れ1位指名は駿太)。なおドラフトでくじ運が悪いのは昔からである。
「新・黄金時代へ」のキャッチコピーを掲げ、チームカラーやロゴ、マスコットの変更など大幅なリニューアルを敢行した岡田政権2年目。だが、春季キャンプで金子千尋がと近藤一樹が戦線離脱という、いきなり暗雲ただようスタートとなる。
キャンプ、オープン戦で活躍した高卒ルーキーの駿太を開幕スタメンに抜擢して話題を呼ぶ。しかし開幕直後は統一球の影響もあってか後藤光尊やT-岡田、李承燁ら中心打者の不振で打線が機能せず、西勇輝の台頭だけが明るいニュースという状態で苦戦が続いた。
それでも前年優勝した交流戦に入ると徐々にチームは上向きはじめる。坂口智隆と田口壮の1・2番コンビが打ちまくり、6月には金子と近藤が復帰し7連勝。交流戦を15勝7敗2分の2位という好成績で終えて最下位から一気に3位へ駆け上がった。が、7月は3試合連続サヨナラ勝ちのあと7連敗、8月には6連勝のあと7連敗。勝ちだしても負けだしても止まらなくなる波の大きさで、3位から5位の間を上下し続ける展開が続く。
8月の終わりから9月にかけて9連勝すると、3連敗のあと5連勝、1敗を挟んでまた5連勝と快進撃。10ゲーム以上離されていた2位日本ハムに一気に肉薄し、あわや逆転2位かというところまで迫ったが、10月に入ると再び連敗モードに入ってしまう。同く9月以降猛烈に追い上げてきていた西武にぴたりと背後に張り付かれ、引き分け以上でCS進出だったソフトバンクとの最終戦にエース金子千尋で敗戦。同日に日本ハムに勝った西武に僅か勝率1毛差(西武:勝率.5037、オリックス:勝率.5036)でかわされ、最後の最後で4位に転落、掴みかけていたCS進出を逃した。
寺原隼人が12勝を挙げ復活、西勇輝は先発と中継ぎを往復しながらも10勝を挙げ、中山慎也がついに先発ローテに定着。リリーフでも吉野誠の復活など、投手陣は新戦力の台頭や今までくすぶっていた選手の復活が見られた。一方打線はアーロム・バルディリスがシーズン通して勝負強い打撃で牽引、坂口や後藤もしっかり巻き返したが、T-岡田の不振や北川博敏の離脱などで安定した破壊力は発揮できず、層の薄さを選手のやりくりで乗り切っていたが、最後に地力の差で力尽きる格好になったシーズンだった。
オフ、李承燁が退団。代わりに韓国の三冠王・李大浩を獲得。また西武からFA宣言したミンチェと、巨人を退団した高橋信二を獲得。金子圭輔とのトレードで高橋秀聡を、戦力外から中村一生などを獲得し、田口壮や加藤大輔が戦力外となった。
ソフトバンクが表ローテ3枚と川崎、西武が帆足とミンチェとフェルナンデス、日本ハムがダルビッシュと、Aクラス3球団がそれぞれ主力の流出によって戦力ダウンは免れないという状況の中、オリックスはCSまであと一歩のところまで迫った前年から大きな戦力流出はなく、李大浩やミンチェらの補強によって明確な戦力アップに成功したと、開幕前は優勝候補にも挙げる者も多かった。
しかし訓練されたオリックスファンたちが、優勝候補と言われながら最下位に沈んだ2009年を想起して抱えた不安は早い時期から的中する。開幕前に、またしてもエース金子千尋が戦線離脱。急遽アメリカから帰ってきた井川慶を獲得し、開幕投手をアルフレッド・フィガロが務めることになったが、ソフトバンクとの開幕3連戦を3連敗、寺原隼人が戦線離脱と幸先の悪いスタートを切る。4番として李大浩はなかなか長打が出ず、例年通り春先不調の坂口や後藤ら中心打者の不振に加え、中山や西といった昨年台頭した先発陣がピリッとせず、フィガロや木佐貫は援護に恵まれない。さらに平野-岸田へ繋ぐセットアッパーとして期待したミンチェも全く頼りにならず、5月半ばに坂口が戦線離脱すると、そのまま西武との最下位争いに突入した。
李大浩は5月後半から調子を上げて三冠王争いを始めるほどの成績を残し始め、ドラフト8位ルーキーの川端崇義が外野のレギュラーに定着するなどしたが、大引や後藤らの主力の調子は一向に上がらず、坂口不在の打線は得点力を欠き、投手陣も前倒し復帰した金子が再び離脱した他、前年の主力のほぼ全員が前年以下の成績ではどうにもならず、6月に西武が復調してからは、混戦パ・リーグから取り残され、最下位街道をひた走ることになった。シーズン中にボビー・スケールズやアレッサンドロ・マエストリを獲得したが、チームの起爆剤になるまでには至らず。
元々名指しでの選手批判や捕手のリード批判が多かった岡田監督への不満の声などが次第にスポーツ新聞などにも書かれるようになり、シーズン後半には岡田監督との軋轢から投手コーチの両方がベンチから追い出されブルペン詰めになり、投手のピンチには山田バッテリーコーチがマウンドに行くという異常事態に。終盤にはとうとう、岡田監督が過去2年間批判し続け捕手失格の烙印を押した日高剛がスタメンマスクを被るようになるやチームの調子が上向くという皮肉な事態にもなり、3年間で築き上げられた岡田政権は完全に崩壊状態に。CS進出の芽がほぼ潰えるとチームのモチベーションも完全に失われ、9月半ばからひっそりと阪急時代を含めても球団史上ワーストとなる12連敗。セ・リーグの横浜DeNAベイスターズより早く最下位が決まり、退任の決まった岡田監督は高代ヘッドコーチとともに休養という形で事実上解任。森脇浩司チーフコーチが監督代行を務めることになった。
森脇監督代行就任後は最終戦で西勇輝が福岡ソフトバンクホークス相手にノーヒットノーランを達成するなど、5連勝を含む7勝2敗の好成績を残し、最終戦後に森脇代行がそのまま次期監督に就任することが決定した。
オフ、寺原隼人と日高剛がFA宣言し、寺原は古巣ソフトバンクへ、日高は阪神へ移籍。北川博敏と鈴木郁洋が引退して二軍コーチに。FAで平野恵一を獲得し、寺原の人的補償で馬原孝浩を獲得。巨人へ香月良太・阿南徹を放出して東野峻・山本和作を、西武へ山崎浩司を放出して原拓也を獲得。高宮和也が平野の人的補償で放出され、戦力外から平井正史などを獲得した。
年明け後、無援護に苦しみながら先発ローテーションを支えた木佐貫洋、2013年から選手会長を務めるはずだった大引啓次、外野手の赤田将吾らを放出し、日本ハムから糸井嘉男・八木智哉を獲得する3対2の大型トレードを行った。中でも糸井は日本ハムの中心選手であり、日本ハムファンのみならず、野球ファンに衝撃を与えた。
優勝候補として名が挙げられたが糸井と八木の獲得の為に木佐貫と大引と赤田を出した代償は大きく、さらに坂口智隆や後藤光尊などレギュラー組の不振や故障もあり気が付けば層が薄くなってしまい経験の少ない若手を使わざるをえない状態となった。おまけに長年染みついた負け犬体質が拭えず初めこそは庇っていた森脇監督も後半になると苦言を呈するようになった。
シーズン途中でホセ・フェルナンデスを獲得するも浮上の兆しがないまま日本ハムと共に最下位争いを繰り広げてしまい、最下位は免れたが結局5年連続のBクラスとなった。
オフにミンチェとフェルナンデスを自由契約、李大浩やアーロム・バルディリスも契約が難航し結局退団(後に李大浩はソフトバンク、アーロム・バルディリスはDeNAに入団)。自由契約から谷佳知、エステバン・ヘルマン、ウィリー・モー・ペーニャを、後藤光尊とのトレードで鉄平を獲得した。
快進撃を繰り広げ、ソフトバンクと優勝を争ったが、最後は10月2日の延長戦で力尽きて優勝を逃した。
詳細はプロ野球2014を参照
中島裕之、小谷野栄一、トニ・ブランコと野手を補強したが、この3人は不振と怪我に苦しみ、期待された成績を残せず、上位どころか下位に低迷した。
詳細はプロ野球2015を参照
終始下位に低迷。オープン戦、ウェスタン、交流戦、レギュラーシーズン全て最下位と屈辱の1年となった。糸井嘉男が最年長で盗塁王を獲得し、オフに阪神にFA移籍。
詳細はプロ野球2016を参照
4月までは15勝8敗と好スタートも、5月に6勝19敗と大失速。以降はほぼ5割進行で4位独走に終わる。オフに平野佳寿がMLBへ移籍。
詳細はプロ野球2017を参照
7月半ばまでロッテ・ソフトバンクと熾烈な3位争いを繰り広げたが、7月下旬から失速し8月頭にはほぼAクラス争いから脱落。そこからはほぼ5割進行で前年同様3位とも5位とも離れた4位で終了。オフに福良監督が退任、西勇輝が阪神にFA移籍、金子千尋が退団。
詳細はプロ野球2018を参照
山本由伸が最優秀防御率、山岡泰輔が最高勝率など若手先発の活躍が目立ったものの、打線の弱さと救援陣の不調に苦しみ、3年ぶりの最下位。
詳細はプロ野球2019を参照
開幕前はアダム・ジョーンズを獲得して話題を呼んだが、開幕から深刻な貧打で低迷が続き、シーズン途中の8月20日に西村徳文監督が辞任。中嶋聡が監督代行となってからは多少持ち直したが、最下位独走からは抜け出せずに終わった。
詳細はプロ野球2020を参照
オリックス・ブルーウェーブ時代の1996年以来25年ぶり、大阪近鉄バファローズとの合併後としては初のリーグ優勝を果たした。
詳細はプロ野球2021を参照
1996年以来のリーグ連覇、近鉄との合併後としては初の日本一を達成。
詳細はプロ野球2022を参照
令和初の3連覇。日本シリーズでは阪神タイガースとの関西ダービーとなったが、3勝4敗で敗退。
詳細はプロ野球2023を参照
掲示板
786 ななしのよっしん
2024/08/30(金) 23:26:23 ID: etgN+OA8d+
ポストを引用。金曜ロードショーで天空の城ラピュタが放映される日のオリックス。
89年7月21日 オリ 6対4 ダイエー
91年5月 3日 オリ 9対8 日本ハム
13年8月 2日 オリ 5対3 ロッテ
17年9月29日 オリ 4対0 ロッテ
19年8月30日 オリ 10対4 ロッテ
22年8月12日 オリ 6対3 ソフトバンク
24年8月30日 オリ 2対0 楽天
マジですか。全部勝ってる。
787 ななしのよっしん
2024/09/21(土) 07:56:10 ID: 4iDfhYiCKF
今年はマジで怪我人が多すぎたな…三連覇の代償?
投手陣そこまで酷使した記憶は無いけどやっぱ緊張感ある場面も多く直面したしポストシーズンも結構戦ったし、知らず知らずに蓄積疲労がたまってたりしたんかね…?
788 ななしのよっしん
2024/09/22(日) 22:19:47 ID: pR/iDiwGiF
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最終更新:2024/10/12(土) 21:00
最終更新:2024/10/12(土) 21:00
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