オリックス・バファローズ 単語

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オリックスバファローズ

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オリックス・バファローズとは、日本プロ野球パシフィック・リーグに所属する球団である。

概要

会社はオリックス現在監督中嶋聡2020年途中)。本拠地は大阪市京セラドーム大阪神戸市ほっともっとフィールド神戸は準本拠地。

略称は「オリックス」「オリ」。アルファベット表示は「B」。合併した2005年から2018年までは「Bs」で、現在でも一部でBs表記がみられる。ネット上では「檻」と略されることも多い。パ・リーグでは一、球団名に地域名が入っていない。二軍の球団名は2008年まで「サーパス」だったが、ネーミングライツ契約終了により2009年からはオリックスに戻っている。

2004年オリックス・ブルーウェーブ大阪近鉄バファローズが合併することで誕生したチームであるが、ブルーウェーブの存続チームとして認識されている。だがその一方、「バファローズ」の名前を用い、神戸での催試合を年々減らし大阪の球団としてアピールしていることは、旧オリックスファンからも近鉄ファンからもわりと複雑な感情をもって受け止められている。

なお、ブルーウェーブ時代についてはオリックス・ブルーウェーブ、さらにそれ以前の阪急時代については阪急ブレーブスの項を参照。また近鉄に関しては大阪近鉄バファローズの項を参照。

非常に伝統ある球団で勝ち数は5000勝を越え歴代4位(2018年終了時点)を誇るが、昔から人気微妙。本拠地の近い阪神タイガース煽りを受けてのことだと思われる。また近年は毎年のように監督交代が繰り返されているのが長期的なチーム作りを阻し、低迷の遠因になっている節もあった。

2008年以降は、金子千尋T-岡田坂口智隆などの若手が台頭し、積極的な戦補強もあり、2007年以前とはほぼ別のチームと言っていいほどに戦が入れ替わったが、それでも2010年代は低迷していた。2021年に25年ぶりの優勝を達成すると、2022年には連覇と26年ぶりの日本一を達成した。

2011年からはチームカラー、球団旗、ユニフォームデザインロゴマスコットなどを一新し、「新・黄金時代へ」を掲げ、チーム全体の大幅なリニューアルを敢行した。

2014年からは楽天ソフトバンクに続きパ・リーグ3球団となるニコニコ生放送でのホームゲーム無料配信を行う。映像・音楽天ソフトバンクと同様、CS放送のものがそのまま使われた。2015年からは楽天以外の他球団と足並みをえ、ディレイ放送を行っている。

応援歌

MEGA STOPPER「SKY」。

マスコット

ネッピー&リプシー(2005年~2010年)

ネッピーは海神ネプチューン息子として1991年、「ブルーウェーブ」へのチーム名変更に伴い誕生。背番号111。阪急ブレーブスマスコット「ブレービー」の中の人であった野修が引き続きスーツアクターを務め人気を博した。

リプシー1998年に、ネッピーに助けられた海賊として登場。背番号222。

キャラクターデザインは「ファミ通」の表でおなじみのイラストレーター松下進

近鉄と合併し「バファローズ」となってからも引き続きマスコットを努めていたが、チームカラーの刷新に伴い、2010年をもって2人とも引退、故郷のへ帰っていった。

なお同年、ネッピーのスーツアクターであった野修が死去している。

バファローブル&バファローベル(2011年~)

ネッピー&リプシーに代わって登場した新マスコットチーム名の「バファローズ」に合わせてキャラとなった。

キャラクターデザイン開時から「かわいい」と評判だったが、実際にマスコット人形が登場すると、二次元より三次元の方がかわいいバファローベルの虜になる人が続出、野球ファン以外の層まで取り込む人気に。そのかわいさからか、他球団マスコットに某鬼畜ペンギン)からセクハラされる始末。

公式写真集exit_nicoichibaまで発売されたり、薄い本が出たり、バファローベル人気は留まるところを知らない。でもたまにはお兄さんのことも思い出してあげてください。

詳細はそれぞれ「バファローブル」「バファローベル」記事を参照。

ファンサービス

前述の通り人気の高い球団とは言い難い面がある。年々観客動員数自体は増えており、2013年ホームゲーム均観客動員数が19,979人と2万人に若干届かず、いまだパ・リーグ4位、12球団中8位に甘んじている(ちなみに下は東京ヤクルトスワローズ横浜DeNAベイスターズ東北楽天ゴールデンイーグルス千葉ロッテマリーンズ)。ホームゲームでは京セラドーム大阪の観客席にまだまだ席が立つことが多い。そのためファンサービスに非常にを入れている、のだが……。

ウグイス嬢、場内アナウンス声優を起用したり、レディースデーと銘打って美化200%の乙女ゲーのようなポスターexit製作したりと、何か間違った独特な方向に突っ走ってしまうことが多い。

余談だが、京セラドーム大阪オーロラビジョンに流れるスタメン発表の映像は毎年非常に凝った作りになっている。

ファン層

前述したように、オリックス・バファローズとは兵庫県西宮市拠点とした阪急ブレーブス神戸市拠点としたオリックス・ブルーウェーブ、そして大阪藤井寺市大阪ドーム(現京セラドーム大阪)を拠点とした近鉄バファローズという、いわば三つの球団が絡んだ持つチームであるため、それを支えてきたファンも複雑な関係を持っている。

西宮市は旧摂津にあたる。この一帯は、近代から阪神間モダニズムの拠点として、眺望の良い六甲山麓に別荘や一等住宅が建ち並ぶなど、上流階級が居を構える山の手であり、ファンもそれに因み、高校野球のようにブラスバンドを使った品のある応援が特徴であった。また、それとは対照的に尼崎や西宮の沿部など、野次混じりの応援をする名物おっちゃんなどもいたことはいた。しかし、人気はというと、同じく西宮市拠点を持ち、関西一円ファンを持つ阪神タイガースの陰に隠れていた。そのため、新たなファンを開拓するために、かねてより球団誘致を行っていた神戸移転を決行する。

神戸市に移転した後も、お洒落な港町のブランドイメージを崩さないよう、較的上品な応援は引き継がれていた。一方、神戸市に移転したはいいが、球場はそれこそ六甲山地北麓のニュータウンにあり、アクセス絶望的に悪いため山手や下町に住む人は、「神戸に移転してきたけど別に興味ない」と感じていた人が多く、一部の熱心な旧阪急ファンが足繁く通っていたことが多かった(それでもオリックスオーナー阪急色を底的に払底させたことで、多くの阪急ファンも去って行ったという)。

そんな状況の中、彗星の如く現れたイチローの登場で、彼見たさに閑古が鳴いていた球場は次第に客が増加。スタジアムが満員となる日もあった。

そして1995年阪神・淡路大震災から「がんばろうKOBE」のスローガンを掲げ、シーズン優勝を果たす。日本一こそ逃したものの、そのナインの頑りは、すっかり憔悴していた市民の心の拠り所として、またバラバラだった神戸市民の心はオリックスによって一体化し、復シンボルともなった。その翌年には悲願の初日本一となり、オリックスこそ神戸市民の球団という意識が最高潮に達した。このような経歴があるため、現在も熱心なオリックスファン神戸市に多いのはそのためである。だが、その神戸市民の心を逆撫でするような事態が後に発生することになるのだが、それは後述。その後は暫くAクラスを続けるものの、星野FAニールの退団、長谷川イチロー田口メジャー挑戦などで戦が減衰していき、また新垣渚入団拒否に端を発する井箟オーナーの舌禍発言、ドラフト名選手の低迷などもあってファンの熱も冷め、元の閑古が鳴く寂しい球団に戻っていく。

一方の藤井寺市拠点に持っていた近鉄バファローズは、旧河内に位置する。このあたりは、東大阪、八尾などに代表されるように、職人であり、典的な下町である。そのため、ハイソ阪急とは対極的に、非常に粗野で、快、放な応援流であった。

(参考までに旧南海ホークスは旧和泉に位置しており、三球団の棲み分けができていたわけである。そのため、ホークス福岡に移転しても他球団に浮気せず、この一帯はホークスファンを続けている人が多い。1999年ホークス日本一になった時は、実は大阪、とくにミナミを初めとする南海沿線ではかなり盛り上がっていた)

 時は流れ、2004年、かねてより資金難に喘いでいた大阪近鉄バファローズと客減少に喘いで弱体化していたオリックスブルーウェーブの合併話が出る。そして、これに加え、宮内オーナーによって全10球団にして1リーグ制にする話が浮上した。これに対し、選手会は猛反発し、NPB史上初のストライキが敢行されるまでに。結局、福岡ソフトバンクホークスの誕生によるホークス合併話の立ち消えと、新球団東北楽天イーグルスの誕生によって、事態は収拾するのだが、その話は置いといて…

これによって、新生オリックスバファローズが誕生し、ファンも相乗効果で倍に…という論見があったようだが、現実は甘くなくファン低迷の元となる禍根を生んでしまう。まず、近鉄ファン側にとっては宮内の1リーグ発言は致命的であり、近鉄球団を潰した元と捉えられてしまい、そんなチーム応援する気力など起こるはずもなかった。むしろ、新たに誕生した楽天イーグルスの選手の多くが、旧近鉄戦士であったこともあるためか、楽天ファン替えする人も少なくなかった。また、古くから近鉄ファンアンチ阪神も多く、阪神応援する気になれないから近鉄応援する人や、巨人近鉄が蜜の関係にあったことから、巨人近鉄ファンも少なくなく、そのまま巨人ファンだけが残ったという人も少なからずいる。

一方のオリックス側にとっては、応援スタイルの全く違う旧近鉄ファンを積極的に採り入れる空気ではなく、旧近鉄オリックス轢を生んだりしていた。だが、そこはまだ許容範囲で、神戸オリックスファンにとって一番面くない出来事は、2007年から本拠地を旧近鉄の「大阪ドーム」に移行したことであった。催試合が年20試合程度に急減し、剰え2009年オフには神戸からの全撤退を発言したことで、全に神戸ファンの怒りが絶頂に達した。そして神戸市民からも「神戸を離れるならもう応援してやんねーよ、ウワァン!(AA略)」…という事態を生み出したのである。結局、猛反発に遭い撤退発言は撤回されたものの、催は20試合を切ってしまう。そのたび、神戸市民から「もっとスタジアムへのアクセスが良ければ…」という溜息が絶えない。それでも、大阪での催試合より神戸催試合の方が客が多く入っていたりすることもある。

これによって、旧近鉄ファンからの恨みを買い、また旧オリックスファンからの恨みも買っているため、1+1=2どころかマイナスに至っているのが現状である(しかし、擁護するとすると、旧三球団の血が混ざっているため、どこかを引っればどこかが引っ込むために、関係者からもファン戦略にずっと頭を悩ませていたと語られている)。そのため、観客伸び悩みは深刻であり、ちぐはぐな合併球団というイメージを払拭するため、球団旗やマスコットなどを一新したのもそれが一つの理由となっている。また、エイベックスの協Bs-spiritsというダンスユニットパフォーマンスショーを開催したり、色々と営業努が行われている。2014年からはニコニコ生放送におる催試合放送も開始した(IT企業以外では初)。在阪メディアは圧倒的に阪神タイガース贔屓であり、オリックス贔屓だった神戸新聞大阪拠点を移してからは記事の対外としているため、いい意味でメディアミックスへの障が少ないこともメディア戦略に積極的な理由といえるだろう。

そのメディアミックスによる成果も徐々に出ており、2013年は前年9%増、そして優勝争いを演じる2014年度は前年17%増、合併後初の均観客数2万人代突破を実現している。同じくAクラス入りした2008年にも観客は増えているので、結局当面は強くなって優勝を争い、ファンの心を一致団結させることが最大のなのかも知れない。

さらに一つになろー、という合い言葉はまさしく今こそめられる言葉である。

応援団

いてまえ 

応援団は旧近鉄系と旧波系の応援団が共に活動している。流用応援歌チャンステーマは旧チームからの流用もあるが、新規の応援歌を両系統の応援団が集まり共に製作している。
特徴的な応援歌前の選手コール近鉄流であり、応援歌後の「○○○○、かっとばせ○○」は波流である。
特徴的な3・3・7拍子はJITTERIN'JINNの「黄金の夜明け」をアレンジしたもの。

信頼と実績のトレード・放出履歴(2006年~現在)

トレードによる補強に積極的な球団で、オリックス・バファローズとなった2004年オフ以降、トレードで放出・獲得した選手の延べ人数は12球団でも1・2を争う。

ところが、実際のところトレードでの選手獲得が補強になっているかどうかは甚だ疑わしい。というかむしろ出された選手の方が移籍先で活躍するというパターンが特に合併からしばらくは非常に多かった。

しかし、中村勝広球団本部長が解任され岡田彰布体制となった2009年オフからは一転して、木佐貫洋荒金久雄らトレードで獲得した選手が活躍し、放出した選手(高木康成金澤健人)も移籍先に貢献するトレード巧者に変貌した。

2006年オフ放出

中村紀洋契約で揉めて戦外→中日育成枠
中村 2007年中日) 130試合 打率.293 20本塁打 79打点
谷佳知長田浩&鴨志田巨人
 2007年巨人) 141試合 打率.318 10本塁打 53打点
←長田:一軍出場5試合 鴨志田:一軍登板なし)
早川大輔 ⇔ 俊哉(ロッテ
早川 2007年ロッテ) 133試合 打率.283 5本塁打 44打点
辻:一軍出場12試合)

2007年オフ放出

平野恵一&阿部健太 ⇔ 濱中治&吉野誠阪神
平野 2008年阪神) 115試合 打率.263 1本塁打 21打点
阿部 2008年阪神) 32試合 0勝1敗1ホールド 防御率2.96
濱中 85試合 打.253 9本塁打 29打点
←吉野 43試合 1勝3敗5ホールド 防御率3.66)
大西宏明 ⇔ 古木克明横浜
大西 2008年横浜) 105試合 打率.270 4本塁打 21打点 
(←古木 21試合 打率.222 0本塁打 4打点

2008年オフ~2009年シーズン中(ここまで暗黒)

ユウキ(戦外、ヤクルトと育成契約
2009年ヤクルト) 19試合 5勝6敗 防御率3.40
加藤康介(戦外、横浜に移籍)
2009年横浜) 31試合 1勝0敗13ホールド 防御率3.68

2009年オフ~2010年シーズン中(ここから巧者)

高木康成 ⇔ 木佐貫洋巨人
←木佐貫 2010年オリックス) 28試合 10勝12敗 防御率3.98
→高 2010(巨人) 21試合 1勝1敗3ホールド 防御率1.09)
阿部真宏 ⇔ 赤田将吾西武
田 2010年オリックス) 79試合 打率.217 8本塁打 34打点
→阿 2010(西武) 64試合 打.256 1本塁打 10打点
金澤健人 ⇔ 荒金久雄&金子圭輔ソフトバンク
←荒金 2010年オリックス) 64試合 打率.269 3本塁打 16打点
金子 2010年オリックス) 31試合 打率.217 0本塁打 2打点
→金 2010(ソフトバンク) 38試合 1勝1敗1ホールド 防御率2.89)
迎祐一郎 ⇔ 長谷川昌幸&喜田剛広島
長谷川 2010年オリックス) 6試合 0勝3敗 防御率4.30
喜田剛 2010年オリックス) 10試合 打率.235 0本塁打 2打点
(→迎 2010(広島) 23試合 打.133 1本塁打 1打点

2010年オフ~2011年シーズン中

山本省吾&喜田剛 ⇔ 寺原隼人&高宮和也横浜
寺原 2011年オリックス) 25試合 12勝10敗 防御率3.06
高宮 2011年オリックス) 20試合 0勝0敗1ホールド 防御率3.97
→山 2011(横浜) 21試合 2勝11敗 防御率5.92)
(→喜田 2011(横浜) 一軍出無し)
原逸裕 ⇔ 斉藤俊雄ロッテ
斉藤 2011年オリックス) 35試合 打率.243 0本塁打 2打点
光原 2011(ロッテ) 3試合 0勝3敗 防御率7.82 オに戦力外通告)

2011年オフ~2012年シーズン中

金子圭輔 ⇔ 高橋秀聡(フトバンク)
高橋秀(オリックス) 5試合 0勝0敗 防御率7.36
→金 2012(ソフトバンク) 41試合 打.182 0本塁打 0打点)  

2012年オフ~2013年シーズン中

香月良太&阿南 ⇔ 東野峻&山本和作巨人
東野 2013年オリックス) 6試合 1勝3敗 防御率7.17
山本 2013年オリックス) 96試合 打率.226 4本塁打 15打点
→香 2013(巨人) 19試合 0勝0敗3ホールド 防御率6.16)
→阿 2013(巨人) 2試合 1勝0敗 防御率2.57)
山崎浩司 ⇔ 原拓也西武
←原 2013年オリックス) 67試合 打率.253 0本塁打 8打点
→山 2013(西武) 45試合 打.155 0本塁打 5打点) 
木佐貫洋大引啓次赤田将吾 ⇔ 八木智哉糸井嘉男日本ハム
八木 2013年オリックス) 3試合 0勝2敗 防御率8.18
←糸井 2013(オリックス) 141試合 打.300 17本塁打 61打点
(→木佐 2013(日本ハム) 24試合 9勝8敗 防御率3.66)
(→大引 2013(日本ハム) 120試合 打率.266 3本塁打 32打点
赤田 2013(日本ハム) 57試合 打.273 2本塁打 12打点
吉野誠 ⇔ 甲藤啓介ソフトバンク
←甲 2013年オリックス) 一軍登板なし
→吉 2013(ソフトバンク) 一軍登板なし)

2013年オフ~2014年シーズン中

後藤光尊 ⇔ 鉄平楽天
鉄平オリックス) 50試合 打率.227 1本塁打 6打点
→後 2014(楽天) 54試合 打.203 1本塁打 11打点)  
三ツ俣大樹 ⇔ 岩﨑中日
岩﨑オリックス) 15試合 打率.111 0本塁打 0打点
(→三ッ俣 2014(中日) 29試合 打.139 1本塁打 4打点)  

2014年オフ~2015年シーズン中

桑原謙太朗 ⇔ 白仁田寛和阪神
仁田(オリックス) 43試合 2勝2敗2ホールド 防御率3.29
→桑 2015(阪神) 6試合 0勝0敗 防御率8.53)

2015年オフ~2016年シーズン中

近藤一樹 ⇔ 八木亮祐ヤクルト
八木オリックス) 1試合 0勝0敗 防御率4.50
→近 2016(ヤクルト) 8試合 0勝0敗 防御率3.18)

2017年オフ~2018年シーズン中

伊藤光赤間謙 ⇔ 白崎浩之髙城俊人DeNA
崎(オリックス) 30試合 打率.239 1本塁打 9打点
オリックス) 出場なし
→伊 2018(DeNA) 47試合 打率.195 1本塁打 11打点
→赤 2018(DeNA) 登板なし)

2018年オフ~2019年シーズン中

松葉貴大武田健吾 ⇔ 松井雅人松井佑介中日
松井オリックス) 24試合 打率.194 2打点
松井オリックス) 7試合 打率.333 1本塁打 1打点
→松 2019(中日) 1試合 0勝0敗 防御率10.13)
→武 2019(中日) 29試合 打.143 1打点

2019年オフ~2020年シーズン中

小林 ⇔ 飯田優也阪神
飯田オリックス) 4試合 1勝0敗 防御率15.75
→小 2020(阪神) 2試合 0勝0敗 防御率0.00)

2021年オフ~2022年シーズン中

後藤駿太 ⇔ 石諒太(中日
←石オリックス) 17試合 打率.152
→後 2022(中日) 35試合 打.160 4打点

暗黒ぶり(オリックス・バファローズ誕生から2020年まで)

オリックス・ブルーウェーブ時代を含め2002年からほとんどBクラスバファローズTBS時代の横浜ベイスターズに匹敵する程、暗ネタが尽きない。

ホークスとの因縁

同じ関西に本拠地を構えていた阪急南海時代から、ホークスとの間には不思議と因縁がついて回っている。

2度の球団身売り・合併がともに同年(1988年、2004年)

1988年10月1日南海ホークスダイエーへの球団譲渡を発表。福岡ダイエーホークスが誕生。
同年10月19日阪急ブレーブスオリエントリースへの身売りを発表。オリックス・ブレーブスが誕生。球団に何の情も持ってないオーナー小林が「南海の身売りのどさくさに紛れて」強行したものであった。

2004年6月オリックス近鉄の合併計画が報道される。紆余曲折を経て9月8日オーナー会議で球団合併が承認される。しかし、巨人渡辺恒雄西武義明が「もう1球団合併させて10球団1リーグ制」とぶち上げたことに選手会が反発。ストライキや分配ドラフトを経て12月1日、オリックス・バファローズが誕生。
同年10月18日、「もう1つの合併球団(消滅する方)」として名前の上がっていたダイエーの存続問題でソフトバンクが球団買収に乗り出すことを表明し、11月30日に買収が正式発表。12月24日オーナー会議で承認され、福岡ソフトバンクホークスが誕生。

二度に渡って球団の身売りや合併が同年に重なったのは、論のことバファローズホークスのみである。

入れ替わる黄金時代

パ・リーグ元年の1950年から60年代半ばまで、鶴岡一人監督のもと南海ホークス黄金時代を誇ったが、1967年南海が初のBクラスに転落するとともに、西本幸雄監督に率いられた阪急ブレーブスは悲願の初優勝を果たす。ここから1978年までの12年間で阪急は実に優勝9回という圧倒的な強さで黄金時代を築いた。しかし、1980年代西武ライオンズの誕生もあり、1984年優勝こそしたものの、この年以外は優勝争いに絡むことが一度もなかった。

1989年オリックスとなり、初年度は近鉄西武と熾な首位争いを演じた。翌年以降もAクラスを堅持し、(西武高齢化で低迷したことで)1995年オリックスとして初優勝1996年には日本一き、以降1999年までAクラスを維持し続けた。一方この間、福岡ダイエーはお荷物球団として常にBクラスにあったが、ブルーウェーブ最後のAクラスとなった1999年福岡ダイエーが初優勝。以降ダイエーソフトバンクは毎年優勝争いを繰り広げ、一方オリックスは戦がガタ落ちしブルーウェーブ末期には3年連続最下位になるなど暗黒時代に突入していた。

2008年バファローズ2位へ躍進するとホークスはその年最下位。2009年ホークスが3位、バファローズは最下位。1989年以降、両チームがAクラスかBクラスのどちらかにって入ったのは1998年1999年2013年2014年のみである。2014年は熾優勝争いを繰り広げたが、この2チームによる優勝争いは前後期制だった1977年前期以来37年ぶりのことだった。

阪急のフルボッコとダイエーの逆襲

戦前1940年4月6日阪急軍南海軍の試合は32-2というプロ野球記録の32得点・30点差で阪急勝利した。

それから63年後の2003年ダイハード打線を擁し圧倒的な強さを誇ったホークスの前に、投壊状態のオリックスは為す術もなくされ、8月1日には1-29という2リーグ制以降の最多記録となる29得点・28点差で福岡ダイエー勝利。ちなみにこの4日前のホークス戦では7-26で敗れており、2試合で55失点というプロ野球記録も作っている。この年オリックスホークス戦で20失点以上を4回記録するなど見るも無惨なほどにフルボッコにされた。

パウエル二重契約事件と2008年の明暗

2008年の戦績にも記したが、2008年1月バファローズが一度は獲得を表明したジェレミー・パウエルがその後ホークス契約を結び、二重契約として問題に発展した。結局パウエルホークスに入団することになる。(これに関してはオリックス側のスタッフが色々手を抜いてた可性が高いと思われる)

かしこの年、王監督最終年のホークスは故障者の続出とリリーフの崩壊で最下位に転落。一方バファローズは新戦が次々と台頭し9年ぶりのAクラスとなる2位に躍進。パウエル騒動がも予想だにしないフラグになる格好になった。

なお、ホークスに入団したパウエルはこの年、1勝4敗に終わり1年で退団。一のを挙げたのは京セラドーム大阪でのバファローズだった。

関係者

首脳陣

監督 コーチ

所属選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示exitがあるまで編集しないでください。
ドラフト名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。

支配下選手
投手 捕手 内野手 外野手
育成選手
投手 捕手 内野手 外野手

球団マスコット

大百科に記事のある球団スタッフ

大百科に記事のあるOB・関係者

あ行 か行
さ行 た行
な行 は行
ま行 や行
ら行 わ行

戦跡

2005年~2009年

詳細

2005年(62勝70敗4分、4位) 監督:仰木彬

合併初年度は監督ブルーウェーブ黄金期の名将・仰木彬を迎える。分配ドラフトによって(岩隈久志などが入団拒否したが)2球団の戦をいいとこ取りしたため、ブルーウェーブ末期絶望的な戦から大幅に層が厚くなった。

西武と終盤までプレーオフ争いを演じ、最終的には4位に終わったが、前年までの底の見えない暗っぷりからはべものにならないほどの戦いぶりを見せた。とはいえ合併してもAクラスに入れなかったあたり、いかに前年までのオリックスの戦が貧弱そのものだったかが伺える。広島東洋カープからトレードで獲得した菊地原毅最優秀中継ぎ投手き、怪から復帰した加藤大輔、同じく怪から復帰の守護神大久保勝信とともに阪神の「JFK」に倣って「KKO」とだけ呼ばれた。他にも2年歌藤達夫や、香月良太萩原などリリーフの健闘がった。

しかし、ガンに冒されながら揮を執り続けた仰木の体力は既に限界を迎えており、シーズン終了後に仰木は退任。そのまま12月に帰らぬ人となった。代わって中村勝広監督に就任する。

2006年(52勝81敗3分、5位) 監督:中村勝広

前年、仰木監督の置きみやげとして巨人から清原和博を獲得。さらにメジャーで挫折した中村紀洋を獲得し大きな話題を呼ぶ。しかしシーズンに入るとどちらも故障が原因で大きく期待を裏切る結果に。

ルーキー平野佳寿は前半戦こそ新人王を争う活躍を見せるが、疲れで後半戦に失速。清原中村の不振でチームは絶対的な柱を欠き、リリーフも前年ほどの働きは出来ず、終盤はあわや東北楽天に追い抜かれるかというところまで落ちぶれ、勝率.391の5位に終わる。

オフ中村監督は低迷の責任をとって辞任。代わってテリーコリンズ監督に就任。また中村紀洋が故障の扱いを巡ってフロントと大揉めして自由契約となり、ブルーウェーブ時代からのであった谷佳知をトレードで巨人放出した。

2007年(62勝77敗5分、6位) 監督:テリー・コリンズ

前川勝彦免許ひき逃げ逮捕という不祥事で幕を開けた2007年

開幕直前、既に一度引退して1年のブランクがあったタフィ・ローズを獲得。実績は歴代最強クラスだが既に高齢でありブランクがあったこともあって、もが「働けるのか?」と首を傾げた。しかし蓋を開けてみればローズ年齢ブランクも感じさせない、往年と変わらぬ打棒を発揮し不動の4番に。終盤の離脱でタイトル山崎武司に譲ったが、42本塁打、96打点と文句なしの成績を残した。

しかし、シーズンを通しての明るい話題といえばそのぐらいで、チーム川越英隆吉井理人ダンセラフィニなどの先発が不振にあえぎ、打線も1、2番が固定できず序盤から苦戦。GW記録的な大失速をするとその後はAクラス争いもできず、東北楽天の躍進もあって合併3年にして最下位まで転がり落ちた。二軍との選手の入れ替えが少なく、二軍で活躍していた選手から不満のがあがることもあった。

その一方、シーズン後半戦では金子千尋岸田護などが台頭して希望となる。また坂口智隆ルーキー大引啓次などが積極的に起用され、低迷の中にも翌年への種はしっかりと撒かれていた。

オフ西武ライオンズを退団したアレックス・カブレラを獲得したほか、濱中治古木克明と長打のある選手を次々とトレードで獲得し、「いったいオリックスはどんな打線を組む気なんだ?」ともが首を傾げた。

2008年(75勝68敗1分、2位) 監督:テリー・コリンズ→大石大二郎

1月11日ジェレミー・パウエルを獲得との報道が出るが、末に福岡ソフトバンクホークスパウエルの獲得を発表。二重契約が発覚し大揉めとなり、結局パウエル福岡ソフトバンクに入団することに。色々と物議を醸したが、よもやこれがフラグになろうとは、この時はも予想していなかった。

前年の最下位もあって前評判は低く、平野佳やデイビーらロー補が次々と戦線離脱し開幕から先発ローテーションが組めないという暗展開で開幕を迎える。急遽リリーフから小松聖山本省吾ローテーションに入ることになり、開幕直後はカブレラの不振もあって苦戦が続いた。カブレラの復調とともにチームは多少上向きになるが、5月21日にはコリンズが「野球に対する全ての情熱を失った」と突然辞任。急遽ヘッドコーチ大石大二郎が代行として揮をとることになる。

ところが、この監督交代が契機となり、カブレラローズの大暴れに引っぱられてチームはぐんぐんと上昇気流に乗る。先発小松聖を筆頭に、場から金子千尋山本省吾近藤一樹の4本柱が確立坂口智隆後藤光尊らが覚醒してレギュラーを掴み、加藤大輔劇場しつつ守護神として奮闘する。

北京五輪代表にも選ばれず戦ダウンが一切かった恩恵もあってか、みるみる順位を上げAクラス争いに参戦し、9月に大失速した福岡ソフトバンクを蹴落として最終的に9年ぶりのAクラスとなる2位へ駆け上がった。小松聖が15勝を挙げ新人王、ローズ打点王加藤大輔セーブ王坂口智隆ゴールデングラブいた。

だがクライマックスシリーズでは北海道日本ハムに経験の差を見せつけられ、1stステージで敗退。

オフにはホセ・フェルナンデスを獲得しさらに重量打線化を論む。またトレードで大村直之を獲得した。

2009年(56勝86敗2分、6位) 監督:大石大二郎

ローズカブレラ、ラロッカフェルナンデスと並ぶ重量打線ビッグボーイズ」を売りに、開幕前は優勝補にも挙げられた。キャンプでは野茂英雄を臨時コーチに招聘。

しかしカブレラローズが相次いで故障で離脱、ラロッカフェルナンデスも故障して、ビッグボーイ全員うことは結局かった。さらに後藤日高、大引といったレギュラーまでもが次々と離脱する極端な故障禍に泣かされる。

投手小松がズタボロに打ちこまれたのを筆頭に、正捕手日高の不在もあってか、守護神・加藤大輔以下それまで較的安定していたリリーフが崩壊。シーズン終盤には11勝していたエース金子が抑えに回る事態になった。

結局、開幕前には充実と評されていたはずの戦が全く整わず、歯車が狂ったまま千葉ロッテとともに低飛行が続き、最終的には最下位に転落。オフには責任を取って大石監督が辞任。後任に前阪神監督で球団OBの岡田彰布の就任が決定した。また球団本部長中村勝広シーズン中に解任された。

なおフェルナンデス解雇され、ローズ契約が難航し結局退団。ビッグボーイズは解体となった。一方、トレードで巨人から木佐貫洋阪神を戦外になったアーロム・バルディリス、そしてメジャーから日本に復帰した田口壮を獲得。

2010年代

詳細

2010年(69勝71敗4分、5位) 監督:岡田彰布

宮古島キャンプ中、小瀬浩之ホテルで転落死するという悲報に見舞われる。再出発をす矢先の、若手野手のホープだった小瀬の突然の死に、チームファンは深い悲しみに包まれた。なお、小瀬の死を受けて開幕前に埼玉西武からトレードで赤田将吾を獲得。

東北楽天との開幕3連戦を3連勝と幸先のいいスタートを切る。しかし大暴れしていたカブレラがまたも戦線離脱、投手も安定感を欠いて次第に連敗が立つようになり、4月の終わりには4位に転落。そのまま交流戦を迎える。が、交流戦に入ってから岸田護リリーフに回ったことで平野佳寿と必勝リレーが形勢されリリーフが安定。打線T-岡田バルディリス覚醒カブレラの復帰に北川博敏の好調、シーズン中にトレードで獲得した荒金久雄も活躍し、勢いに乗って16勝8敗で交流戦優勝、6あった借金を済する。しかしこの年の交流戦はパが上位を独占したため、ほとんど差を詰められず順位は4位のままだった。

そのまま波に乗れるかとおもいきや、レギュラーシーズン再開直後の北海道日本ハム3連戦で3連敗すると、再び勝ったり負けたりを繰り返して5割前後をうろうろし、調子を上げてきた北海道日本ハムと4位争いをしながら上位3球団に追いすがる展開になる。金子千尋が3試合連続完封を皮切りに13連勝を果たし、途中加入のフランシスコ・カラバイヨや外野にコンバートされた森山周の台頭、ルーキー比嘉幹貴が故障から復活鴨志田バーニング中山慎也についに覚醒の兆しなど明るい材料も多かったが、山本省吾近藤一樹らの先発が相変わらずピリッとせず、較的安定感のあった木佐貫洋は援護に恵まれなかった。

それでも終盤戦まで千葉ロッテ北海道日本ハムと三つCS争いを繰り広げ、残り10試合の時点ではまだ優勝の可性さえ残っていたが、最後に堪えきれず脱落。2試合を残してBクラスが確定、最後は消化試合モード千葉ロッテCS進出を麗にアシストし、岡田政権1年は69勝71敗4分、借金2の5位で幕を閉じた。

金子千尋最多勝T-岡田ベストナイン本塁打王カブレラベストナイン坂口智隆ゴールデングラブを獲得。しかしオフにはカブレラの残留交渉が決裂、退団となる。代わりに巨人から李承燁を獲得。またMLB通算124勝の韓国英雄賛浩を獲得し、投打に韓国スター選手をえた。トレードでは山本省吾一輝らを放出して、横浜から寺原隼人高宮和也などを獲得。ドラフト会議では岡田監督がくじを3回連続で外す史上初の記録を作ってしまった(外れ外れ外れ1位名は駿太)。なおドラフトでくじ運が悪いのは昔からである。

2011年(69勝68敗7分、4位) 監督:岡田彰布

「新・黄金時代へ」のキャッチコピーを掲げ、チームカラーロゴマスコットの変更など大幅なリニューアルを敢行した岡田政権2年。だが、キャンプ金子千尋がと近藤一樹が戦線離脱という、いきなり暗ただようスタートとなる。

キャンプオープン戦で活躍した高卒ルーキー駿太を開幕スタメンに抜して話題を呼ぶ。しかし開幕直後は統一球もあってか後藤光尊T-岡田李承燁ら中心打者の不振で打線が機せず、西勇輝の台頭だけが明るいニュースという状態で苦戦が続いた。

それでも前年優勝した交流戦に入ると徐々にチームは上向きはじめる。坂口智隆田口壮の1・2番コンビが打ちまくり、6月には金子近藤が復帰し7連勝。交流戦を15勝7敗2分の2位という好成績で終えて最下位から一気に3位へ駆け上がった。が、7月は3試合連続サヨナラ勝ちのあと7連敗、8月には6連勝のあと7連敗。勝ちだしても負けだしても止まらなくなる波の大きさで、3位から5位の間を上下し続ける展開が続く。

8月の終わりから9月にかけて9連勝すると、3連敗のあと5連勝、1敗を挟んでまた5連勝と快進撃。10ゲーム以上離されていた2位日本ハム一気に薄し、あわや逆転2位かというところまで迫ったが、10月に入ると再び連敗モードに入ってしまう。同く9月以降猛に追い上げてきていた西武にぴたりと背後にり付かれ、引き分け以上でCS進出だったソフトバンクとの最終戦エース金子千尋で敗戦。同日に日本ハムに勝った西武に僅か勝率1毛差(西武勝率.5037、オリックス勝率.5036)でかわされ、最後の最後で4位に転落、掴みかけていたCS進出を逃した。

寺原隼人が12勝を挙げ復活西勇輝先発中継ぎを往復しながらも10勝を挙げ、中山慎也がついに先発ローテに定着。リリーフでも吉野誠復活など、投手は新戦の台頭や今までくすぶっていた選手の復活が見られた。一方打線アーロム・バルディリスシーズン通して勝負強い打撃で牽引、坂口後藤もしっかり巻き返したが、T-岡田の不振や北川博敏の離脱などで安定した破壊は発揮できず、層の薄さを選手のやりくりで乗り切っていたが、最後に地の差で尽きる格好になったシーズンだった。

オフ李承燁が退団。代わりに韓国三冠王李大浩を獲得。また西武からFA宣言したミンチェと、巨人を退団した高橋信二を獲得。金子圭輔とのトレードで高橋秀聡を、戦外から中村一生などを獲得し、田口壮加藤大輔が戦外となった。

2012年(57勝77敗10分、6位) 監督:岡田彰布→森脇浩司(代行)

ソフトバンクが表ローテ3枚と川崎西武帆足ミンチェフェルナンデス日本ハムダルビッシュと、Aクラス3球団がそれぞれの流出によって戦ダウンは免れないという状況の中、オリックスCSまであと一歩のところまで迫った前年から大きな戦流出はなく、李大浩ミンチェらの補強によって明確な戦アップに成功したと、開幕前は優勝補にも挙げる者も多かった。

しかし訓練されたオリックスファンたちが、優勝補と言われながら最下位に沈んだ2009年を想起して抱えた不安はい時期から的中する。開幕前に、またしてもエース金子千尋が戦線離脱。急遽アメリカから帰ってきた井川慶を獲得し、開幕投手アルフレッド・フィガロが務めることになったが、ソフトバンクとの開幕3連戦を3連敗、寺原隼人が戦線離脱と幸先の悪いスタートを切る。4番として李大浩はなかなか長打が出ず、例年通り先不調の坂口後藤ら中心打者の不振に加え、中山や西といった昨年台頭した先発がピリッとせず、フィガロや木佐貫は援護に恵まれない。さらに平野-岸田へ繋ぐセットアッパーとして期待したミンチェも全く頼りにならず、5月半ばに坂口が戦線離脱すると、そのまま西武との最下位争いに突入した。

李大浩5月後半から調子を上げて三冠王争いを始めるほどの成績を残し始め、ドラフト8位ルーキー川端崇義が外野のレギュラーに定着するなどしたが、大引や後藤らの調子は一向に上がらず、坂口不在の打線得点を欠き、投手も前倒し復帰した金子が再び離脱した他、前年ののほぼ全員が前年以下の成績ではどうにもならず、6月西武が復調してからは、混戦パ・リーグから取り残され、最下位街道をひた走ることになった。シーズン中にボビー・スケールズアレッサンドロ・マエストリを獲得したが、チームの起爆剤になるまでには至らず。

元々名しでの選手批判捕手リード批判が多かった岡田監督への不満のなどが次第にスポーツ新聞などにも書かれるようになり、シーズン後半には岡田監督との轢から投手コーチの両方がベンチから追い出されブルペン詰めになり、投手ピンチには山田バッテリーコーチがマウンドに行くという異常事態に。終盤にはとうとう、岡田監督過去2年間批判し続け捕手失格の烙印を押した日高剛がスタメンマスクを被るようになるやチーム調子が上向くという皮な事態にもなり、3年間で築き上げられた岡田政権は全に崩壊状態に。CS進出の芽がほぼ潰えるとチームモチベーション全に失われ、9月半ばからひっそりと阪急時代を含めても球団史上ワーストとなる12連敗。セ・リーグ横浜DeNAベイスターズよりく最下位が決まり、退任の決まった岡田監督は高代ヘッドコーチとともに休養という形で事実上解任。森脇浩司チーフコーチ監督代行を務めることになった。

森脇監督代行就任後は最終戦西勇輝福岡ソフトバンクホークス相手にノーヒットノーランを達成するなど、5連勝を含む7勝2敗の好成績を残し、最終戦後に森脇代行がそのまま次期監督に就任することが決定した。

オフ寺原隼人日高剛FA宣言し、寺原は古巣ソフトバンクへ、日高阪神へ移籍。北川博敏鈴木郁洋引退して二軍コーチに。FA平野恵一を獲得し、寺原人的補償馬原孝浩を獲得。巨人香月良太阿南放出して東野峻山本和作を、西武山崎浩司放出して原拓也を獲得。高宮和也平野人的補償放出され、戦外から平井正史などを獲得した。

2013年(66勝73敗5分、5位) 監督:森脇浩司

年明け後、無援護に苦しみながら先発ローテーションを支えた木佐貫洋2013年から選手会長を務めるはずだった大引啓次外野手赤田将吾らを放出し、日本ハムから糸井嘉男八木智哉を獲得する3対2の大トレードを行った。中でも糸井は日本ハムの中心選手であり、日本ハムファンのみならず、野球ファン衝撃を与えた。

優勝補として名が挙げられたが糸井と八木の獲得の為に木佐貫と大引と田を出した代償は大きく、さらに坂口智隆後藤光尊などレギュラー組の不振や故障もあり気が付けば層が薄くなってしまい経験の少ない若手を使わざるをえない状態となった。おまけに長年染みついた負け犬体質が拭えず初めこそはっていた森脇監督も後半になると苦言を呈するようになった。

シーズン途中でホセ・フェルナンデスを獲得するも浮上の兆しがないまま日本ハムと共に最下位争いを繰り広げてしまい、最下位は免れたが結局5年連続のBクラスとなった。

オフミンチェフェルナンデス自由契約李大浩アーロム・バルディリス契約が難航し結局退団(後に李大浩ソフトバンクアーロム・バルディリスDeNAに入団)。自由契約から谷佳知エステバン・ヘルマンウィリー・モー・ペーニャを、後藤光尊とのトレードで鉄平を獲得した。

2014年(80勝62敗2分、2位) 監督:森脇浩司

快進撃を繰り広げ、ソフトバンク優勝を争ったが、最後は10月2日の延長戦で尽きて優勝を逃した。

詳細はプロ野球2014を参照

2015年(61勝80敗2分、5位) 監督:森脇浩司→福良淳一(代行)

中島裕之小谷野栄一トニ・ブランコと野手を補強したが、この3人は不振と怪に苦しみ、期待された成績を残せず、上位どころか下位に低迷した。

詳細はプロ野球2015を参照

2016年(57勝83敗3分 6位) 監督:福良淳一

終始下位に低迷。オープン戦、ウェスタン、交流戦レギュラーシーズン全て最下位と屈辱の1年となった。糸井嘉男が最年長で盗塁王を獲得し、オフ阪神FA移籍。

詳細はプロ野球2016を参照

2017年(63勝79敗1分 4位) 監督:福良淳一

4月までは15勝8敗と好スタートも、5月に6勝19敗と大失速。以降はほぼ5割進行で4位独走に終わる。オフ平野佳寿MLBへ移籍。

詳細はプロ野球2017を参照

2018年(65勝73敗5分 4位) 監督:福良淳一

7月半ばまでロッテソフトバンクと熾な3位争いを繰り広げたが、7月下旬から失速し8月頭にはほぼAクラス争いから脱落。そこからはほぼ5割進行で前年同様3位とも5位とも離れた4位で終了。オフに福良監督が退任、西勇輝阪神FA移籍、金子千尋が退団。

詳細はプロ野球2018を参照

2019年(61勝75敗7分 6位) 監督:西村徳文

山本由伸最優秀防御率山岡泰輔最高勝率など若手先発の活躍が立ったものの、打線の弱さと救援の不調に苦しみ、3年ぶりの最下位。

詳細はプロ野球2019を参照

2020年代

2020年(45勝68敗7分 6位) 監督:西村徳文→中嶋聡(代行)

開幕前はアダム・ジョーンズを獲得して話題を呼んだが、開幕から深刻な貧打で低迷が続き、シーズン途中の8月20日西村徳文監督が辞任。中嶋聡監督代行となってからは多少持ち直したが、最下位独走からは抜け出せずに終わった。

詳細はプロ野球2020を参照

2021年(70勝55敗18分 優勝) 監督:中嶋聡

オリックス・ブルーウェーブ時代の1996年以来25年ぶり、大阪近鉄バファローズとの合併後としては初リーグ優勝を果たした。

詳細はプロ野球2021を参

2022年(76勝65敗2分 優勝・日本一) 監督:中嶋聡

1996年以来のリーグ連覇、近鉄との合併後としては初日本一を達成。

詳細はプロ野球2022を参照

2023年(86勝53敗4分 優勝) 監督:中嶋聡

令和初の3連覇。日本シリーズでは阪神タイガースとの関西ダービーとなったが、3勝4敗で敗退。

詳細はプロ野球2023を参照

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