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福岡ソフトバンクホークス単語

フクオカソフトバンクホークス

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パシフィックリーグ
福岡ソフトバンクホークス
基本情報
創設 1938年
本拠地 福岡 ヤフオク!ドーム
一般略称 ソフトバンク
アルファベット H
優勝回数
リーグ優勝 20
日本一 9回
セ・パ交流戦 8回
アジアチャンピオン 0回
経歴
球団組織
運営 ソフトバンク
オーナー 孫正義
プロ野球球団テンプレート

いざゆーけー 無敵ーのー 若軍団ー♪

福岡ソフトバンクホークスとは、日本プロ野球パシフィック・リーグに属する球団である。本拠地は福岡ドーム福岡 ヤフオク!ドーム)、二軍三軍筑後市にあるタマホームスタジアム筑後2016年から)。

略称は「ソフトバンク」「ソフバン」「SB」「」「ソ」など。スポーツ新聞などでは「ソフトB」「ソフト」と書かれることもある。帽子ロゴは「Sh」。
南海時代から二度の身売りを経ながら70年以上も同じチーム名を使い続けていることもあって、ファンの間では「ホークス」と呼ばれることの方が多い。

概要

親会社はソフトバンク株式会社現在監督工藤公康2015年~)。

プロ野球明期からの長い歴史を持つ球団。強球団として毎年上位争いをする黄金時代(1946年~1970年代後半・1998年~)と、弱小球団として万年下位に沈む暗黒時代(1リーグ時代・1970年代末~1990年代後半)がはっきりと分かれている。他の球団とべても優勝監督長期政権を取る傾向にあり、南海時代の鶴岡一人23年、ダイエーソフトバンク時代の王貞治は14年に渡って監督を務めた。

地元九州での人気は非常に高く、ダイエー時代からパ・リーグでは随一の観客動員数を誇る。所属選手にも九州出身者や九州高校大学社会人チームを出た選手が多く、九州ブランドを重視している。近年は内川聖一大分)、帆足和幸福岡)、鶴岡慎也鹿児島)、中田賢一福岡)など他球団の九州出身選手がFAで移籍してくることも多い。また、かつて南海ホークスが本拠地としていた関西にも根強いファンが多いほか、TOKYO MXの放送を球団が買い取って催試合の地上波中継を行っているため、関東圏にもファンは多い。イケメン選手が多いため、若い女性ファンの多い球団でもある。

南海からダイエーへの身売りによる大阪から九州への本拠地移転に際し、地域密着を掲げて九州での不動の人気を獲得した経営戦略は、後の日本ハムファイターズ北海道移転を初めとしたパ・リーグの地域密着方針の先駆けである。

かつては日本一ホームランが出にくいと言われる福岡ドームを本拠地としながらも、王監督時代は「ダイハード打線」に代表されるような強打線を売りとしていた。秋山工藤政権以降はどちらかといえば投手を含めた守備のチームで、リリーフの充実度と内野の守備は球界屈。基本的に選手の任せのチームなので、打線投手歯車が噛み合えば手が付けられないほどの強さを誇るが、戦が整わない状態になると意外な脆さをみせるシーズンもある。特に00年代後半あたりは、毎年開幕前の予想では優勝補の筆頭に挙げられ、シーズンでは評判倒れの戦詐欺になりがちだった。故障者の続出も毎年の恒例行事で、ヤ戦病院並の惨状になることもしくない。

2011年からは、若手選手の実戦経験の場を増やすため、育成選手を大幅に増やして本格的な三軍制を導入。2016年には新球場を建設して二軍三軍の本拠地を移転し育成環境を整え、潤沢な資バックに補強と育成を両立した充実の戦で、2011年以降で5度の日本一と球界を牽引している。

セ・パ交流戦を大の得意としており、2019年までの15年間で優勝(最高勝率)8回、通算で214126敗14分の勝率.629(通算200勝は12球団一)という圧倒的な強さを誇る。2011年には最高勝率記録となる勝率.818(18勝4敗2分)をマークするなど、セ・リーグの各球団から怖れられている(ただし阪神タイガースだけはほぼ互の戦績を残している。鷹虎決戦の項を参照)。毎年交流戦の時期は戦っており、交流戦が終わってから失速し始めるのがお約束

ダイエー時代から使われている球団歌の「いざゆけ若鷹軍団」は福岡ではもはや県民歌のような扱いである。ダイエーからソフトバンクに球団が売却された際、福岡の商工会議所の会頭が孫正義オーナーとの宴席で「いざゆけ若鷹軍団」を歌い上げ、「この曲を変えたら福岡市全員を敵に回すと思って下さい」脅した曲を変えないよう要望したという噂もある。福岡県民ならずとも、ダイエー時代にダイエー及び関連企業の店舗で飽きるほど聞いて覚えてしまった人も多いだろう。

ホークスオープン戦はほとんど福岡ドームで行われる。たまに宮崎などでオープン戦をする場合があるが、2010年催試合全てが福岡ドームと、福岡ドーム偏重な日程を組んでいる。九州人気が高いだけに、もう少し九州オープン戦を開いてほしいところ。公式戦は北九州熊本藤崎台)、鹿児島池)などで地方催試合を組む。北九州の試合は色んな意味で荒れた展開になるため、ファンは戦々恐々。

南海時代後期は貧乏球団だったが、ダイエー以降は基本的にパ・リーグの中でも随一の持ち球団で、ダイエー時代やソフトバンク身売り直後には年俸数億円の大物外国人を連れてくることが多かった。その一方、ソフトバンク初期は大の複数年契約が重なったこともあって現有戦の高年俸だけでいっぱいいっぱいになり、補強には非常に消極的な球団になっていた。そのため、2010年オフからはベースを抑え出来高を重視した複数年制を導入。相次いで大補強を敢行するなど、フロントの方針に変化が見られはじめた。秋の風物詩に業を煮やしたのが理由だけど。お金持ち球団のわりに戦流出が多いのはダイエー時代からの伝統である。そんなこんなでソフトバンク身売り直後は赤字だったが、現在年俸総額がぶっちぎりの12球団トップでありながら球団単体で年間数十億円の黒字を出すまでに至っている。

2004年からは毎年7月に「鷹の祭典」というイベントを行っており、福岡ドームの来場者全員レプリカユニフォームを配布するという太っなことをやっている。2006年からは選手がこの期間のみ特別ユニフォームを着用するようになり、福岡ドームはその年限定の特別ユニフォームを着たファンで埋め尽くされる。2012年からは東京ドームでも鷹の祭典が開催されており、関東圏のファンを喜ばせている。2014年からは大阪ドームでも鷹の祭典を開催している。ホークス応援席がカラフルなのは毎年ここで配られるレプリカユニフォームの色が違うせい。

世界一の球団をす」とする孫正義オーナーは、球団にとっては"は出すが口は出さない"という理想のオーナーを地でいく存在であり、また大事な試合には頻繁に観戦に訪れ、勝利するとベンチに現れ大喜びしている姿がしょっちゅう見られる。優勝や日本一時には監督に続いて胴上げされるなど、選手からもされている様子。

かつて福岡西鉄ライオンズが本拠地としており、のちにダイエー福岡に進出したのちも、西武ライオンズGMをしていた根本陸夫を引き抜いて西武から工藤公康秋山幸二石毛宏典など選手を多数獲得して現在の強ホークスを作り上げるなど、埼玉西武ライオンズとは縁が深く、ホークスにとってはなかなかシーズンで勝ち越せなかった宿敵でもある。また南海時代に同じ関西を本拠地としていたオリックス・バファローズは、阪急ブレーブス時代から不思議といろいろな因縁がついて回っている(オリックス・バファローズの記事参照)。

2012年から2014年にはニコニコ生放送にてホームゲーム72試合を無料配信。映像・音CS放送(2012年日テレ+、2013年2014年FOX SPORTS)のものをそのまま使用した。2015年楽天を除くパ・リーグ他球団ともどもディレイ放送のみ。2016年二軍戦の中継のみとなっている。

マスコット

ハリーホーク
(※ダイエー時代)

ハリーホークを筆頭に、「ホークファミリー」と呼ばれる12球団最多の総勢8体マスコットがいる。
前身は平和台球場時代に存在したホーマーホークら4体。ハリーはホーマーのという設定である。

1992年に福岡ダイエーホークスが本拠地を福岡ドームに移した際に誕生。福岡ソフトバンクホークスとなった現在カラーリングオレンジから黄色に変更して健在である。ただ人数が多すぎるせいか、メインハリーホークハニーホーク以外のホークファミリーに関しては、他球団ファンからは論、ホークスファンからも認知度は高くない。

デザイナーイラストレーター坂井永年。本人もその縁でかホークスファンハリーホークの誕生秘話は本人のブログ記事exitにまとめられている。

最近ではソフトバンクお父さんマスコット的な扱いを受けることが多く、ハリーホーク自体の影もちょっと薄い。

詳しくは「ホークファミリー」「ハリーホーク」の記事もそれぞれ参照。

他に2012年からは内川聖一モデルにした「ウッチーくん」、松田宣浩モデルの「マッチくん」、森福允彦モデルの「チョメちゃん」、本多雄一モデルの「ポンちゃん」という4体の着ぐるみが新たに登場。2013年には5体として攝津正モデルの「セッツくん」が登場した。ちょっとキモい。

さらに2015年からはキャラクターうさん」も登場。選手着ぐるみもさらに増えているのだが、公式サイトに詳細がないため全部で何人いるのかファンもよくわかっていない。

開幕戦の呪い

2000年から2012年まで、ホークスと開幕戦を戦ったチームはその年Bクラスになるというジンクスが存在した。2010年日本ハムは前年優勝からのBクラス2011年オリックスは前年の日本ハムともども最終戦で3位から4位に転落となかなか強固なジンクスだったが、2013年東北楽天ゴールデンイーグルス日本一になったことでこのジンクスは13年で途切れた。しかしそれ以降も2015年ロッテが3位になったのみで、やはりホークスの開幕戦の相手はBクラスになることが多い。

2000年代 2010年代
2000年 ロッテ 5位 2010年 日本ハム 4位
(3位から最終戦ロッテに逆転される)
2001年 オリックス 4位 2011年 オリックス 4位
(3位から最終戦西武に逆転される)
2002年 日本ハム 5位 2012年 オリックス 6位
2003年 ロッテ 4位 2013年 楽天 1位日本一
2004年 オリックス 6位 2014年 ロッテ 4位
2005年 日本ハム 5位 2015年 ロッテ 3位
2006年 ロッテ 4位 2016年 楽天 5位
2007年 オリックス 6位 2017年 ロッテ 6位
2008年 楽天 5位 2018年 オリックス 4位
2009年 オリックス 6位 2019年 西武 ?位

2008年9月24日ニコニコ生放送

2008年9月24日ニコニコ生放送において、Yahoo!動画との提携により初の野球中継が実現。対戦カードは福岡ソフトバンクホークスvsオリックス・バファローズだった。

奇しくも前日、ソフトバンク王貞治監督が今期限りでの退任を表明。当該試合はソフトバンクの今季本拠地最終戦であるとともに、王監督政権下での本拠地最終戦ともなった。また、前日の段階で埼玉西武ライオンズリーグ優勝マジックを1としており、同日のロッテ戦に西武が勝つか、2位オリックスがこの試合に敗れるかで西武リーグ優勝が決まるという試合でもあった。こんな試合を引き当てたのは偶然か、はたまた運営の強運か?

先着1万名限定との告知だったが、実際には延べ4万人が視聴、総コメント数は35万を突破する盛況ぶりを見せ、荒らしなどの問題はあったものの中継自体は概ね好評を得た模様である。

なお、試合は4-1でオリックス・バファローズ勝利西武ロッテに敗れたため、西武の優勝決定は26日の日本ハム戦に持ち越されることになった。ソフトバンクは王監督の本拠地最終戦で飾れず6連敗。この敗戦で11年ぶりのBクラスが確定することとなった。また、試合後の王監督の退任セレモニーも合わせて中継された。

余談であるが、動画上部にときおり現れる運営コメントはややホークス寄りであった(ホークスの攻撃時、フェンス際への大飛球に「惜しい」とのコメントのあと、「そして、セーフ」と後付けのフォローが入っていた)。

この中継の成功が、その後の東北楽天ゴールデンイーグルスとの提携、そしてソフトバンクDeNAオリックスニコ生配信に繋がっていった…のかもしれない。

所属選手・首脳陣

首脳陣

一軍 二軍 三軍

所属選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示exitがあるまで編集しないでください。

投手 捕手 内野手 外野手

記事のある球団スタッフ

記事のあるOB・移籍選手・関係者(南海・ダイエー時代を含む)

あ行 か行
さ行 た行
な行 は行
ま行 や行
ら行 わ行

歴史

南海軍~南海ホークス時代

1938年に南海として創設されたのが始まり。戦時中に親会社の南海鉄道が吸収合併で近畿日本鉄道になったため、球団名もそれに伴って近畿日本軍近畿グレートリング称された。1947年シーズン中に南海南海電気鉄道として再分離したため、再び親会社が南海に戻り南海ホークス称された。この当時は大阪府を本拠としており、1950年には大阪球場完成テレビでのプロ野球中継が本格化するまでは大阪阪神タイガース人気を誇り、名将・鶴岡一人監督、次いで選手兼任の野村克也監督のもと、パ・リーグ初年の1950年から野村監督解任の1977年までの28年間で優勝10回、日本一2回、Aクラス24回という抜群の成績を残した。

しかし、1977年シーズン終盤に野村克也プレイングマネージャーが「私混同」問題で解任されると、ワンマンオーナー川勝傅は球団経営への意欲を失い、南海ホークス貧乏球団に転落する。1978年以降はBクラス定位置となり、在阪テレビ阪神タイガースへの偏向もあって球団の人気も低下。川勝以外の経営は球団を手放したいとずっと考えていたため(関西国際空港開業に伴う難波駅の拡工事で、大阪球場が邪魔になったという事情もある)、川勝が逝去した1988年ダイエーへの球団譲渡を成立させた。球団名も福岡ダイエーホークスとなった。

福岡ダイエーホークス時代

福岡ではかつて西鉄ライオンズが確固たる地位を築いていたが、「黒い霧事件」で人気、実ともに急に低下し、紆余曲折あって西武ライオンズとして埼玉に移転(1979年~)した経緯があったため、福岡の者にとっては約10年ぶりの地元球団となった事もあって歓迎ムードで迎えられた。初年度(1989年)から4年間は平和台球場を使用していたが、1993年には日本一面積を誇る福岡ドーム完成し、評判の悪かった「ガッチャマンヘルメット」も止してを基調とした新ユニフォームになった。

同時に、チームの基盤づくりのために西武ライオンズから根本陸夫を引き抜いた。根本はそのまま監督に就任し、一年は戦を見極めるためにあえて大きな補強をしなかったが、その年のオフフリーエージェント松永浩美を獲得し、チームの顔であった佐々木誠エース村田勝喜を放出して古巣西武ライオンズから秋山幸二らを獲得した(世紀のトレード)。翌1994年は4位ながら同率2位の2球団とはゲーム差なしという好成績を収め、オフには元巨人軍王貞治の招聘に成功し、根本ユニフォームを脱いでフロント入りした。

根本西武時代から大トレードやドラフトの囲い込み戦略などで「球界の寝業師」として辣腕をふるっているが、ダイエーでも強行名や太いパイプを駆使し、時には親会社まで動かし、上述の秋山石毛宏典工藤公康を獲得して強西武の血を入れることでチームに蔓延していた負け犬根性を払拭するとともに、ドラフトでは小久保裕紀城島健司藤井将雄井口資仁松中信彦柴原洋斉藤和巳といった後の選手を多数獲得、強ホークスの礎を作り上げた。その功績は「根本マジック」として伝説となり、今でも昔からのホークスファンの間ではとなっている(根本氏はホークスの優勝を見届けることなく1999年4月末に死去)。

1998年

オリックス・ブルーウェーブと同率3位となって南海ホークス時代から続いていた20年連続Bクラスからようやく抜け出した。

1999年

チーム防御率4位・同得点4位と抜けた戦ではなかったが、工藤公康若田部健一永井智浩、星野順治の先発二桁カルテット、中継ぎで最高勝率を獲得した「死神篠原貴行、抑えにはまったロドニー・ペドラザ藤井将雄吉田修司ら磐石の中継ぎリレーを形成。ダイエーホークスとして初のリーグ優勝を果たして日本シリーズでは中日ドラゴンズも破り実に35年ぶりの日本一く。

2000年

小久保が復調・中が覚醒して30100打点コンビを形成するも、城島が故障離脱、投手は二桁勝利投手が0人という前年同様微妙な戦ではあったが、投壊の日ハム・貧打の西武を退けてリーグ2連覇を達成。前年に中継ぎエースとして活躍した藤井将雄が病に倒れる。リーグ制覇の胴上げの中、若田部健一の持った背番号15のハリー人形の姿は感動を呼んだ。チームV2を見届けた藤井は現役選手のまま肺で逝去。日本シリーズでは球団が日程確保を怠る大チョンボをやらかして変則日程による開催となり、FA移籍した工藤の所属する巨人に2勝4敗で敗れる。

2003年

小久保が開幕前に怪で離脱するが、井口資仁村松有人覚醒川崎宗則の台頭もあり、"ダイハード打線"と名付けられたチーム打率.297日本記録)という圧倒的破壊打線と、斉藤和巳杉内俊哉和田毅新垣渚の充実の先発リーグを独走で制覇。日本シリーズでは阪神タイガースにお互いの本拠地のみで勝利するという対戦結果となり4勝3敗で日本一となっている(余談であるが、日本シリーズの対戦相手だった1999年中日2003年阪神監督は同じ星野仙一である)。しかしこの年のオフ小久保が不可解な償トレードで巨人に移籍。さらに村松有人FAオリックスに移籍(「天然芝の球場プレーしたい」という名だったが、実際はフロントへの不信感からの移籍だったと言われている)と、フロントと選手間の溝が浮き彫りになる。

2004年

近鉄オリックスの合併に伴う球界再編の動きの中、親会社のダイエーの経営悪化により、一時はロッテとの合併の噂まで持ち上がる。結局ダイエーは球団経営から撤退、ソフトバンクが球団経営権を引き継ぎ、福岡ソフトバンクホークスが誕生した。

福岡ソフトバンクホークス時代

2005年(89勝45敗2分、1位2位) 監督:王貞治

球団売却と前後しての流出が相次ぎながらも厚い選手層で優勝争いを続けていたが、2004年から始まったプレーオフの悲劇がホークスを襲う。2004年レギュラーシーズン1位通過するも、プレーオフ2勝3敗で西武ライオンズに敗退。これが全ての始まりだった。

ソフトバンク1年となる2005年は、FA大村直之、新外国人としてトニー・バティスタホルベルト・カブレラを獲得。退団した井口資仁を埋めて余りある大補強をもって迎えた。

その分厚い戦通り、シーズンはほぼ順満帆だった。投手タイトルをほぼ総なめにする大活躍を見せた杉内俊哉を筆頭に、斉藤和巳和田毅新垣渚の四本柱がった先発に加え、シーズン中に馬原孝浩が守護に定着。打線も二冠王の松中信彦、打撃3部門全て2位の活躍を見せたフリオ・ズレータら中軸に加え前年テスト入団の宮地克彦らがを締め、圧倒的な強さで勝ち続けた。最終的に8945敗の勝率.664、積み上げた貯は実に44最強打線を誇った2003年に勝るとも劣らない最強チームだった。

ところが、1勝のアドバンテージを得られる2位との5ゲーム差に僅かに届かず(4.5ゲーム差)、終盤に自打球で戦線離脱した城島を欠いたプレーオフでは、またしても2勝3敗で今度はコバマサナイト千葉ロッテマリーンズの前に敗れた。

2006年(75勝56敗5分、3位) 監督:王貞治→森脇浩司(代行)

城島健司FAメジャー移籍し退団。加えて前年3番打者を務めたトニー・バティスタ解雇したため、1点を確実に取りに行くスモールベースボールへの転換を掲げて迎えたシーズン。しかし、開幕前に第1回WBC監督を務めた王貞治監督シーズン中に倒れ、森脇浩司監督代行の下での戦いとなる。

斉藤和巳を筆頭とした投手の奮闘で、西武日本ハムと三つの熾な優勝争いを繰り広げるが、バティスタに代わる3番打者を結局シーズン通して固定できず、加えて城島の抜けた打線は破壊を欠き、スモールベースボールは単なる貧打に終わった。結局終盤に息切れして最後の最後に6連敗、3位でシーズンを終える。

プレーオフでは2位西武勝利する(ちなみにこれが2011年CSを突破するまで一のプレーオフCSでの勝ち上がりであった)ものの、日本ハムの勢いの前に屈し敗退。第2戦、0-1のサヨナラ負けで敗退が決まった間、マウンドに崩れ落ちて立ち上がれなくなった斉藤和巳の姿は彼がすっかり見えなくなってしまった今もホークスファンの瞼に焼き付いている。

2007年(73勝66敗5分、3位) 監督:王貞治

4年前、不可解な償トレードで巨人放出された小久保裕紀FAチームに復帰。トレードで多村仁ヤクルトを退団したリックガトームソンを獲得。大物ルーキー大隣憲司も加わり、圧倒的優勝補とされた。

ところが、シーズンが始まってみれば多村小久保とも期待されたほどの打棒は見せられず、中に至ってはレギュラー定着後最低の数字となる大不振に陥り、球界最強クリーンナップのはずだった「TMK」は見事に回った。川崎宗則が故障で長期離脱、さらにエース斉藤和巳が肩を痛めて本来の投球ができず、新垣渚は暴投王ARAKAKIと化す。ガトームソンはドーピング違反騒動を起こし、大隣ルーキーとしての期待に応えられず、前年リリーフで奮闘した藤岡好明柳瀬明宏は不調で結果を残せずに終わる。

杉内俊哉が復活、馬原孝浩セーブ王き、水田章雄リリーフとしてフル回転するなどしたが、結局チームは波に乗れないままレギュラーシーズン3位に終わり、クライマックスシリーズでは2位ロッテ敗北4年連続プレーオフ敗退となった。

2008年(64勝77敗3分、6位) 監督:王貞治

王貞治監督ラストシーズンとの覚悟を持って臨んだ2008年。しかし斉藤和巳が開幕前の手術で結局シーズンを棒に振り、和田原、大村小久保を故障で欠いて開幕を迎える。

開幕戦は楽天柴原洋の逆転サヨナラ3ランで勝利するという劇的な形でスタート小久保の復帰や、松田宣浩久米勇紀ら若手の台頭もあり、セ・パ交流戦では熾なデッドヒートを制し、ソフトバンクとなってから初の「優勝」を手にする。

しかしセ・パ交流戦後は、前年から続く故障禍、リリーフ夏バテ北京五輪への派遣などで戦が低下。西武にじわじわと引き離されながらもなんとかCS圏内は確保し続けていたが、9月に入ると糸が切れたように記録的な大失速。く間に順位を転がり落ち、9月24日の本拠地最終戦に敗れ11年ぶりのBクラスが確定。その後は楽天と一進一退の最下位争いを続けたが、最終戦の直接対決に延長12回サヨナラで敗れ、1996年以来12年ぶりの最下位に沈んだ。

野球板的には「ドミンゴwwwwwwwww」で始まり、プロブロガーが誕生し、ストレート 140km/h 真中中央 ゴロ(二併打)で終わるという色んな意味で濃い年であった。

この年、1995年から14年間監督を務めた王貞治監督が、体調不良と成績不振を理由に退任を表明。後任には総合コーチ秋山幸二が昇格し、2009年からは秋山監督のもとチーム再建に挑む事になった。

2009年(74勝65敗5分、3位) 監督:秋山幸二

秋山政権1年リリーフの立て直し、城島健司の移籍以来固まらない正捕手の固定、3番打者不在の解消など課題を多く抱えて開幕を迎える。多村が開幕前に当然のように離脱、開幕戦では新3番打者のはずだった松田折と不穏なスタートを切り、開幕からしばらくは勝率5割前後をうろうろし続けた。

しかし、松田の離脱によって急遽獲得したホセ・オーティズが抜群の勝負強さで長年の懸案だった3番打者に定着。さらに3年長谷川勇也が一時期首位打者争いをするなど覚醒田上秀則が攻守両面で大きな成長を見せ城島移籍以来最大のウィークポイントだった正捕手問題に決着をつけるなど、打のニューヒーローが続々と登場。投手も前年の弱点だった救援ルーキー攝津正と新外国人ブライアン・ファルケンボーグが加わり、守護馬原孝浩へ繋ぐ勝利の方程式SBM」が確立した。

多村松田が復帰した交流戦では不動のオーダーと盤石の投手で快進撃を続け連覇を達成。一気に日本ハムとの首位争いに参戦したが、交流戦の終わり頃から場にかけて、和田松田オーティズらが立て続けに故障離脱。先発の駒不足も露呈し、終盤には投げすぎの影ファルケンボーグの離脱と原の大炎上SBM空中分解9月に入ってハムが失速した際もお付き合いしてしまい、結局猛な追い上げを見せた楽天に抜かれ3位に終わった。

CS?なかったよ

2010年(76勝63敗5分、優勝したけどCS敗退) 監督:秋山幸二

シーズン開幕前にシアトル・マリナーズに移籍していた城島健司日本球界に復帰すると発表。古巣であるホークスが獲得に名乗り出るかと思われたが、何故か見送った。田上ェ・・・
ちなみに城島本人はソフトバンクからオファーがあれば、最優先で受けるつもりだったとのこと。

シーズン開幕後には中、田上長谷川ホールトンらが不振に陥ったものの、前年4勝の和田が復活し内とともに勝ちのデッドヒートを繰り広げ、SBMを擁するリリーフには甲藤啓介が加わりSBM48としてさらに盤石となる。打線川崎小久保が開幕から好調でチームを牽引し、松田小久保が離脱してからも多村仁志がスペらず打線の核として奮闘。途中加入のロベルト・ペタジーニ打線を埋め、西武ロッテと熾な優勝争いを繰り広げる。西武ドームでの西武戦が大の苦手だったために、一時期西武に突き放されるが、途中入団の金澤健人、4年森福允彦らが台頭して12球団最強リリーフを形勢し西武に追いすがった。

9月に入ると例年通り失速。西武マジックも点し、今年もここまでかともが思った、残り6試合から奇跡が起こる。福岡ドームでの西武との最終3連戦を、全て逆転で3連勝。3.5ゲーム差を一気にひっくり返し、残り2試合でマジック2を点させる。9月25日日本ハム戦で内がダルビッシュ完封で投げ勝ちマジック1。そして翌日、デーゲーム西武が敗れたため楽天との最終戦の試合中に7年ぶりのリーグ優勝が決まった。最終的に西武とのゲーム差は0、勝率2厘差(ソフトバンク.547、西武.545)という大接戦のシーズンを制し、チームは歓喜の美に酔った。

ところが、1勝のアドバンテージを得て迎えたクライマックスシリーズでは、驚異的な勝負強さで勝ち上がってきた3位ロッテを迎え撃ち、3勝1敗で王手をかける。しかし打線の不振は明らかであり、チームを優勝に導いた原動であった内や攝津ファルケンボーグが打たれ、大手をかけた状態からまさかの3連敗。6度の挑戦にして、またしても日本シリーズの夢はホークスの手からするりと逃げていった。

2011年(88勝46敗10分、完全優勝・CS制覇・日本一アジアシリーズ制覇ならず・・・) 監督:秋山幸二

ついにフロント秋の風物詩に業を煮やし、数年ぶりの大補強に打って出た。内川聖一細川亨FAで入団。さらにオリックスを退団したアレックス・カブレラを獲得。FA宣言した多村仁志が残留したため戦の流出もなく、小久保中・内川オーティズカブレラのうち最低でもひとりは必ずベンチになるという勢な野手うことになった。一方、投手は「右の先発不足」という明確な弱点に対して補強はせず、不振だったホールトンの残留と攝津正先発転向でまかなう方針をとった。

甲藤啓介キャンプで離脱した以外はほぼベストメンバーえて開幕を迎えると、統一球の導入を味方につけて投手無双状態に突入。2010年、駒不足に苦しんだ先発は、ホールトン全復活、攝津正の転向の成功、山田大樹岩嵜翔の台頭で12球団最強と化した。4月19日から5月15日まで22試合連続QS達成5月までチームQS9割という驚異の先発無双で、前年まで酷使無双だった中継ぎの負担が減るどころか敗戦処理組が失業状態となる。

攝津の抜けたリリーフは、開幕から原が絶不調で二軍落ち、同時期にファルケンボーグも一時離脱するなど普通ならガタガタになりそうな状況だったが、前述の先発無双に加え森福允彦金澤健人がしっかりとを埋め、SBM48の解体を感じさせない安定感を誇った。打線は4番に座るカブレラが不振に陥ったが、3番に入った内川聖一が打ちまくり、本多雄一とともに打線を牽引。また松田宣浩統一球をものともせず本塁打を量産し覚醒の気配を見せる。

日本ハムと同率首位で得意のセ・パ交流戦に突入すると、交流戦史上最高勝率となる18勝4敗2分の勝率.818をマークするなど圧倒的な強さで勝ちまくり、3度交流戦優勝を果たした。しかし日本ハムが追いすがり、3ゲーム差の一騎打ち状態でリーグ戦へ戻った。

交流戦の終盤から故障者が続出。交流戦MVP内川に加え、多村オーティズが離脱、カブレラも故障を抱えた状態での出場になる。7月に入ると多村オーティズが復帰したが、福田秀平カブレラ細川田上秀則原が立て続けに故障で二軍落ち。スクランブル状態に陥るが、5月までは代打に甘んじていた松中信彦内川の代役の3番打者として奮闘しチームを牽引するなど、大補強による層の厚さがそれを補った。一度は日本ハムに首位を明け渡したが、セ・パ交流戦後も勝ち越し、貯24を積み上げて日本ハムと同率首位で前半戦を終えた。

後半戦が始まっても交流戦の勢いそのままに、オリックス戦で3タテを2回されつつも順調に勝ちを積み重ねていった。ローテーションを回すかのように故障者が復帰しては新たな故障者が生じていたが、補強に加え福田秀平明石健志ら若手も台頭する選手層の厚さでそれを乗り切り、投手も崩れることなく、常に隙のい戦いで首位を守った。

ぴたりと2位で追いすがっていた日本ハムが、8月下旬、梨田昌孝監督の退任報道をきっかけに大失速。ゲーム差が一気に広がり始め、9月17日についに優勝マジック17を点させる。その後はそのまま連敗することなく着々とマジックを減らし、10月1日マジック1で迎えた西武戦に勝利し、見事リーグ2連覇を達成する。西武ドームでの試合だったが、秋山監督孫正義オーナー川崎小久保内川胴上げが行われ、ライトスタンドからはいざゆけ若鷹軍団大合唱球場内は歓喜の輪に包まれた。

また、リーグ制覇の10月1日以後、中止の1試合を除き連勝を続けたホークスは、10月10日オリックス戦に勝利し、ペナントレースを通して他の全ての11球団(交流戦も含む)に勝ち越す、史上初の全優勝を達成した。最終的に88勝46敗10分、積み上げた貯42勝率.657という、2005年に匹敵する勝ちっぷりで、2位日本ハム17.5ゲーム差をつける圧勝であった。

クライマックスシリーズ

1stステージ日本ハムを撃破した西武を迎え撃つ。シーズンでは15勝5敗4分と圧勝した相手だが、昨年と同じギリギリで3位に滑り込み勢いに乗るチームということで秋の風物詩の不安が高まる。
しかし第1戦を、内川聖一の先制打などで4-2で勝利すると、第2戦では秋の風物詩徴であった松中信彦代打満塁ホームランを放ち風物詩の不安を全に粉砕。第3戦では杉内俊哉涌井秀章の熾な投げ合いの末、延長10回に一度はリードされるも長谷川勇也タイムリーで追いつき、延長12回表を抑え引き分け以上が確定してついに悲願の日本シリーズ進出が決定。最後は長谷川サヨナラ打を放って敗の3連勝でを添え、長年苦しめられた短期決戦の呪縛をついに解き放った。

日本シリーズ

対戦相手は中日ドラゴンズ。下評では圧倒的優勢とされたが、本拠地での第1戦、第2戦とも1-1の延長10回に原が打たれて連敗、いきなり苦に立たされる。しかしナゴヤドームに移った第3戦を攝津の好投や第2戦まで絶不調だった多村本塁打、抑えをファルケンボーグスイッチするなどで勝利すると、第4戦では森福允彦満塁ピンチを切り抜ける「福の11球」、そしてとどめのファルケンボーグ8・9回連投で、勢いに乗って敵地で3連勝、王手をかける。ところが、福岡に戻っての第6戦を落とし3勝3敗、も予想だにしなかった弁慶シリーズとなる。そして運命の第7戦、杉内俊哉の好投、打線川崎小林の球を見切り満塁押し出しで先制したのを皮切りに、山崎の適時打と中のホームインなどで3点を獲得、最後は9回ファルケンボーグピッチャー強襲退場と言うアクシデントが発生するも、福→攝津リレー封。3-0で勝利し、4勝3敗で8年ぶりの日本一を達成した。

アジアシリーズではベテランが欠場し若手体で挑んだが、決勝で韓国の三ライオンズに敗れた。

2012年(67勝65敗12分、3位) 監督:秋山幸二

1999年オフには工藤公康FA巨人に移籍、2003年オフには小久保裕紀償トレード事件に加え村松有人FAオリックスへ移籍と、日本一オフには予想だにしないの流出があるという嫌なジンクスは健在であった。既定路線であった和田毅川崎宗則メジャー挑戦に加え、杉内俊哉D.J.ホールトン巨人に移籍。3人で43勝を挙げた先発投手3人と不動の正遊撃手が一気に抜けるという異常事態レベルの戦流出に見舞われる。

移籍した先発投手を埋めるために、西武から帆足和幸FA、また前年MLBで11勝を挙げたブラッド・ペニーを総額750万ドルという契約で獲得。野手ではメジャー通算84発の実績を持つウィリー・モー・ペーニャを獲得した。また開幕前に馬原孝浩が右肩の手術で姿を消したため、リリーフ埋めとして岡島秀樹を獲得。

去年の圧勝もあり、戦流出を含めても優勝補という前評判で開幕し、オリックスとの開幕3連戦を3連勝と幸先の良いスタートを切ったが、その後は波に乗りきれない戦いが続く。原因は特に投手補強の大失敗で、ペニーは開幕直後の1試合投げただけでいなくなり、同じく開幕ローテーション入りしたレニエルピントも使い物にならず、帆足に至っては開幕ローテーション入りどころか二軍ですら大炎上して行方不明。結局先発ローテーションは攝津を軸に、山田岩嵜大隣、そして復活(?)した新垣渚生え抜きローテーションに落ち着いた。

リリーフファルケンボーグ福、岡島は安定していたが、金澤の出遅れと不調、吉川の不調でやりくりに苦しむ。野手では明石が開幕からレギュラーに定着し、ペーニャ本塁打を量産してファンを喜ばせたが、本多が首痛に起因する不調に悩み、内川中、細川も打撃不振に陥る。ローテーションの関係で毎回成瀬善久唐川侑己藤岡貴裕の表ローテとぶつかることになったロッテ戦でボコボコにされ、貯を伸ばせずにセ・パ交流戦へ。巻き返しを図った交流戦では、ファルケンボーグが戦線離脱した上、内川ペーニャが大スランプに陥って打線が機不全を起こし、引き分けを挟んで8連敗するなどチームも大失速。大得意のはずの交流戦で11位という惨敗を喫しBクラスに転落した。

交流戦後は小久保裕紀2000本安打達成という一大イベントもあったが、チームは不振の内川を5番に下げて好調の松田を3番に回し、ペーニャを外したり打順を下げたり、捕手を打撃でアピールした高谷裕亮にしてみたり、柳田悠岐をスタメンで起用、李杜軒中村晃などを抜してみたりと、試行錯誤の戦いが続いた。投手高卒ルーキー武田翔太麗に台頭。ファルケン不在のリリーフ神内靖藤岡好明に、故障で育成落ちしていた柳瀬明宏という懐かしの3人が復活するなど、後半戦の巻き返しへの土台を作ったが、前半戦は借1の4位で終了。1996年以来16年ぶりの借ターンとなった。

後半戦開始々、低調な打線の中で孤軍奮闘していた松田死球折し戦線離脱したが、それと入れ替わるように内川が復調。そして8月14日小久保裕紀が現役引退を表明すると、そこからチームは7連勝の快進撃で、一気に上位を伺えるところまで来た。しかし8月23日、堂上隼人が婦女暴行で逮捕されるという不祥事チームの勢いはぶっかけられる形になる。

その後は日本ハム西武背中を追いかけながら、僅かな希望が遠ざかったり近付いたりの一進一退の展開が続いた。内川は結局後半戦打ちまくって3割に間に合わせ、武田翔太がローテーション入りして勝ちまくりファンに大きな希望を与えたが、本多シーズン通しての不調、終盤は明石も失速して1番・2番を固定しきれないことに起因する打線の得点不足は結局最後までどうにもならなかった。なんとかAクラスは確保したが、打線の弱さを徴するように小久保バースデー引退試合となった最終戦西勇輝ノーヒットノーランを食らうというオチがついて、貯2の3位でシーズンを終えた。チーム防御率は2年連続でダントツリーグ1位となる2.56をマークしたが、総得点が最下位のオリックスと僅か9点差のリーグ5位、チーム得点圏打率リーグ最下位の.238という打線の弱さに泣いたシーズンだった。

クライマックスシリーズ

1stステージ西武との死闘の末2勝1敗で突破。勢いに乗ってファイナルステージ札幌に乗り込んだが、第1戦で糸井嘉男の同点2ランから福が打たれて逆転負けを喫すると、第2戦でも内川エラーでの失点とまた糸井に福が2ランを浴び敗戦。第3戦はエース攝津を立てたが、その攝津が初回のベースカバーで右足を捻って1回途中で降、4回には本多が守備でフェンスに突して負傷退場と呪われているかのような展開で、最後は負ければここで引退となる小久保ショートフライに倒れ、3連敗で敗れ去った。試合後、稲葉篤紀から小久保束が手渡され、両チームの選手が集まり小久保胴上げし、小久保の現役生活は終わった。

2013年(73勝69敗2分、4位) 監督:秋山幸二

打線強化のため小久保の抜けた一塁に前年MLBオールスター出場も果たしたブライアン・ラヘア投手ではペニーで懲りずにMLB通算108勝のビセンテ・パディーヤ大物外国人2人を獲得。さらにメジャーから戻って来た五十嵐亮太と、FAオリックスから寺原隼人を獲得するが、寺原人的補償で故障からの復帰をしていた馬原孝浩が人的保障でオリックスに移籍。他、トレードで多村仁志吉川輝昭神内靖DeNA放出して吉村裕基江尻慎太郎山本省吾を獲得。

相変わらず開幕前の前評判は高く、優勝補筆頭という扱いで幕を開けたシーズンだったが、前評判通りにいかないのがホークスの常。この年はシーズンを通して、先発の崩壊ホークスは悩まされることになる。

オープン戦で結果を残し、ルーキーで開幕ローテーション入りを果たした東浜巨山中浩史シーズンに入ると全く通用せず速攻で二軍落ち。パディーヤはペニー同様1試合投げただけで姿を消し(ペニーと違いその後戻ってきたがピリッとせず)、前年8勝1敗1.09という成績を残した2年武田翔太は制球難に苦しみ、山田大樹秋山監督からアホンダラと呼ばれるほどの不甲斐ない投球が続く。大隣憲司に至っては6月黄色靭帯化症という難病が発覚しシーズン絶望。前年全く戦になれなかった帆足和幸が復活したが安定感はもうひとつで、攝津正ひとりが孤軍奮闘するという状況が開幕直後から延々と続くという状況。打線本多雄一の不振で1・2番が固定できず、序盤はタイムリー欠乏症に苦しむ。リリーフ岩嵜翔千賀滉大の若手セットアッパーコンビが大活躍して森福允彦の不振のを埋めたが、全体的には試行錯誤状態で5割がなかなか破れないままセ・パ交流戦へ。

得意としているセ・パ交流戦で、チームは息を吹き返す。怪から復帰した中村晃の1番抜が成功、内川聖一松田宣浩長谷川勇也クリーンナップが打ちまくり、長谷川交流戦史上最高打率を記録。15勝8敗1分で4度交流戦優勝を果たし、貯も8まで増やしてレギュラーシーズンに弾みがつくはずだった。ところがセ・パ交流戦優勝セレモニーを松中信彦断で欠席、秋山監督激怒して二軍に落とすという中造反事件が結果としてチームの勢いにを差すことになってしまった。

レギュラーシーズンに戻ると、最大の問題である先発不足は解決の処すら立たず、リリーフファルケンボーグが姿を消し、岩嵜千賀セットアッパーコンビ調子を崩し始め、せっかく作った貯をあっという間にすり減らしてまた5割前後をうろうろする。打線中村・今宮の1・2番コンビの固定、長谷川の絶好調もあって打つときは打ちまくり、リリーフ五十嵐亮太の抑え固定や福の復調、柳瀬明宏江尻慎太郎嘉弥真新也らの奮闘でどうにか回っていたが、肝心の先発チームQS率が4割を切るという惨状ではいかんともしがたかった。

それでも例年苦手の9月には新外国人ポール・オセゲラが先発に加わり、貯を再び最多の8まで戻す。なんとかCS圏内は確保できるかと思われたが、壊滅状態の先発の中で孤軍奮闘していた攝津正がついに尽き、猛な勢いで追い上げてきた西武を振り切れず、最後の最後で4位に転落。前年を上回る貯4ながら、2008年以来のBクラスシーズンを終えることになった。打線の弱さに泣いた前年とは打って変わって、チーム打率.274、総得点660はいずれもリーグ1位、救援防御率2.68リーグ1位だったが、先発防御率4.14はリーグ5位、チームQS率最下位、1点差の試合は17勝26敗の借9と、先発の崩壊と接戦の弱さが足を引っった。

長谷川勇也首位打者・最多安打タイトルを獲得。200安打も期待されたが198安打と惜しくも届かなかった。

オフブライアン・ウルフジェイソン・スタンリッジ中田賢一デニス・サファテ鶴岡慎也李大浩など大補強を敢行した。

2014年(78勝60敗6分、優勝・CS制覇・日本一) 監督:秋山幸二

オリックスと最後まで優勝争いを繰り広げ、10月2日の最終戦での直接対決(10.2決戦)に勝利したことで3年ぶりの優勝。秋山幸二監督を3年ぶりの日本一で飾った。

詳細はプロ野球2014を参照

2015年(90勝49敗4分、優勝・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康

工藤公康政権1年柳田悠岐が3番に入り、トリプルスリーを達成。横綱相撲と言うべき強さで他球団を寄せ付けず、90勝を挙げ圧勝した。

詳細はプロ野球2015を参照

2016年(83勝54敗6分、2位) 監督:工藤公康

前半戦で貯30を積み上げ首位を独走していたが、後半戦で日本ハムの猛追を振り切れず、最大11.5ゲーム差を逆転される歴史的V逸。

詳細はプロ野球2016を参照

2017年(94勝49敗0分、優勝・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康

前半は楽天と競り合い、場に突き放すと、最終的には九州移転以降で最多となる94勝を挙げて圧勝。デニス・サファテセーブプロ野球記録を更新

詳細はプロ野球2017を参照

2018年(82勝60敗1分、2位・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康

故障者の続出との不調で、8月上旬で借持ちという大苦戦。8月半ばから新戦の台頭で西武を猛追するが、逃げ切られ2位に終わった。しかしCSでその西武を撃破して、球団史上初の下克上を達成。日本シリーズでも広島を破り、終わってみれば2年連続日本一いた。

詳細はプロ野球2018を参照

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