香港特別行政区、通称香港とは、中国大陸南部の香港島及び九龍半島などから成る特別行政区の一つで、世界有数の貿易・国際都市である。元清国→イギリス領(1941~1945年は日本領)。 1997年より中国領となったものの、独立国に近い地位及び高度な自治権を持つ。資本主義。
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| 花:バウヒニア・ブレイケアナ |
一国二制度により、香港政府による香港基本法に基づいた独自の政治が行われている。約150年続いたイギリス領時代の状態を維持するとし、中国本土との間には事実上の国境線が引かれ、中国とは異なった独自の政治、司法、経済、税制、教育、思想、主義、文化などの社会体系を持つ。要は、軍隊と外交権を持たない点を除けば中国とは別の国も同然であり、当然のように中国政府のネット検閲、報道規制、言論統制、一人っ子政策、文字改革、言語政策などの対象からも外れる。
人口約700万人、面積は東京の約半分(うち70%は山)。公用語は広東語と英語、通貨は香港ドル(為替レートは米ドルに比例)、国別ドメインは「.hk」。法体制は米英法で、日本で言う最高裁判所にあたる香港終審法院にはイギリスの裁判官が招聘されている。死刑制度は無い。交通はイギリス同様左通行右ハンドル。(中国は右通行左ハンドルだが左ハンドル車の入境は法律で禁止)。
イギリス領時代より伝統的なレッセフェール(自由放任政策)に徹し、資本主義の砦として驚異的発展を遂げてきた。2010年現在でも経済自由度指数は16年連続で1位となっている。ちなみに中国は140位。
香港は昔から現在にかけても、共産中国に対する不信感が根強く残っている。要因として、イギリス領だったために共産党政権の影響を受けてこなかったこと、国共内戦や文化大革命、共産主義政策から逃れてきた人々と共に発展した世界有数の自由貿易港であること、天安門事件の存在などがある。
それにより、多くの香港人は返還を前にして中国による自由や人権の侵害を恐れた。返還が決定した1985年より、カナダやオーストラリアなどのイギリス連邦諸国、及びアメリカなどへの移民が大量に流出していくこととなる。
1988年6月4日、中国北京の天安門広場にて中国共産党が民主化デモを武力弾圧し、多数の死者を出した事件。
近くに返還を控える香港はこれに対しどの国よりも先に反応し、大々的に報道した。ほぼ全ての学校や企業、政府機関では公式に譴責・哀悼が行われ、事件への抗議デモの参加者は100万人にも上った。この事件は香港人の怒りと不安を大いに掻き立て、結果的に香港人の海外移住を爆発的に増加させた。
同事件は香港にとって半ばトラウマと化している面もあり、現在でも中国によるチベット弾圧などの非民主的行為にはいち早く反応し、報道している。また、毎年6月4日には香港島のヴィクトリア公園にて追悼集会が開かれている。(ちなみに2010年の参加者は15万人)。
前述したことに加え、香港と中国本土の間には非常に大きな経済的格差や生活水準、思想、文化の違いなどが存在していたため、いきなり統一してしまうと大陸の移民が香港に殺到し大混乱になることが懸念された。香港の経済がストップすれば中国経済も大打撃を受け、更に国際都市である香港への攻撃は世界中から非難の的となることが想定された。
これに対し中国側は「一国二制度」を提唱し、「五十年不變(返還後50年は現状を維持する)」や「港人治港(香港は香港人が治める」などを約束するとして、香港に対し念入りに安全を言い聞かせた。しかしながら香港のクリストファー・パッテン総督は返還を前に香港の民主化を加速させたため、中国との関係は緊張した。世界のメディアも「香港は中国に飲み込まれる」と信じ、香港の繁栄は終わると論じた。
そして香港返還は予定通りの1997年7月1日、歴史的豪雨に見舞われる中で行われた。この日は返還記念日として香港の祝日となっているが、毎年大規模な民主化(反中国共産党・香港政府)デモが行われる日でもある。
中国人が自由に香港に出入りできるようになれば、治安の悪化(実際に区境を挟んですぐ隣の深センは治安が悪い)は不可避である。また、「英領香港」パスポートは世界でも有利な扱いを受けていたが、「中華人民共和国」パスポートは信頼が薄く、世界中を飛び回って商売をしていた香港人にとってパスポートが後者に代わってしまうことは致命的だった。そこで、返還後も引き続き香港人を優遇してもらえるよう世界中に働きかけたが、そのためには「中国本土人」と「香港人」を明確に分ける、つまり「国境」を設けて別々のパスポートを発行する必要があった。
よって、香港と中国本土の間には事実上の国境線と出入国管理所が存在する。中国と香港では税制も異なるため当然、税関もある。中国本土人が香港に入る場合はパスポートと通行証(ビザのようなもの)が必要で、通行証は政府に申請して審査に通れば発行してもらえる。なお、香港人が中国本土に入る場合には特に制約は無い。また出入国管理の法律自体が異なるため、外国人の場合でも香港に入国するのと中国に入国するのでは条件が異なる。
そして現在、香港のパスポートには、イギリスの置き土産である「海外在住イギリス国民(BNO)」パスポートと「香港特別行政区(HKSAR)」パスポートがある。中国パスポートに比べはるかに信頼性が高く、日本や台湾へもビザ無しで入国することができる。
中国本土と台湾では政策として北京語(日本で言う「中国語」)を標準語に定めており、テレビや授業、音楽など公の場では必ず北京語が使用され広く普及しているのに対し、香港の標準語は広東語(粤語)である。なお北京語と広東語は音声的には別言語に等しく、2言語間の意思疎通は不可である。
学校は英語で授業をする英語学校と広東語の2種類(大学はほぼ全て英語)、テレビも広東語放送と英語放送の2つで、音楽や映画は広東語。返還前後から北京語の勉強も義務化されたためサッパリと言う人は減ったものの、英語に比べると通用度が低いのが現状である。しかしながら、広東語・英語・北京語のトリリンガルも珍しくはない。
繁体字と呼ばれる、画数の多い伝統的な漢字。台湾と同じと言われるが、香港のほうがより古いためにやや画数が多かったり、微妙な差はある。また、広東語を表記するために香港が作った独自の漢字も多数存在する。例えば日本でも有名な広東語「無問題(モウマンタイ)」は本来香港では「冇問題」と表記するが、「冇」は香港独自の漢字で日本には存在しないため、「無」を当てている(香港でも「無」の字は使われるし意味も同じだが、用法と声調が異なる)。
公式な文書やテレビの字幕などでは北京語と同様の文語が用いられるが、広告、ネット掲示板、漫画など砕けた表現を用いる場では広東語で表記(広東語は口語なので厳密に言えば当て字)されることが多い。
北京語の声調が4種類なのに対し、広東語は9種類。古中国語の発音や語彙を最もよく残している言語と言われる。響きとしてはタイ語、ベトナム語、チワン語などと類似しており、共通する特徴も見られるため、元はタイ語系の言語に古中国語が被さったクレオール言語であったと考えられている。文末語気助詞(語尾に付いて感情を表す。日本語の「~だぞ」「~か」的なもの。)は中国語の中でも最多で、100種類以上が常用されている。
香港の広東語の特徴としては、英語からの借用語が多数ある(例:タクシー→的士)などが挙げられる。
元々は清国の領地であったが、大英帝国との貿易において中国茶の輸入の対価として、清では禁止されていたアヘンを密輸入し販売していたため清側が英側との貿易を拒否した事が原因で1839年11月3日に第1次アヘン戦争が勃発。圧倒的な差で勝利した英国は1842年8月29日に南京条約を締結し、所謂不平等条約のほか香港の永久割譲を承認させた。しかし内地に入る事は認められていなかった。
反英運動が清国内で巻き起こり、アロー戦争(第二次アヘン戦争)が勃発したが清国はまたしても英仏連合軍に敗北したため、1860年に北京条約を結び九龍半島も割譲されるハメとなった。更にイギリスは清に迫って1898年7月1日より現在の香港を99年の条件付で租借した。その後1941年に日本軍に占領されたが、太平洋戦争後再びイギリス領に復帰。1997年7月1日に99年の租借期限が切れて中国に返還された。(香港島及び九龍半島の一部は永久割譲されたことになっていたが、中国側の交渉により「譲渡」された)。
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最終更新:2025/12/15(月) 05:00
最終更新:2025/12/15(月) 04:00
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