大宮アルディージャとは、埼玉県さいたま市(旧・大宮市)を本拠地とするプロサッカークラブである。
概要
| 日本プロサッカーリーグ |
| 大宮アルディージャ |
| 基本情報 |
| 創設 |
1969年 |
| クラブカラ― |
オレンジ、ネイビー |
| 本拠地 |
NACK5スタジアム大宮【さいたま市大宮区】 |
| ホームタウン |
埼玉県さいたま市 |
| 前身 |
NTT関東サッカー部 |
| プロサッカークラブテンプレート
|
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チームの前身は1969年創部のNTT関東サッカー部(旧名:電電関東サッカー部)。1999年にJリーグに加盟。2005年に初めてJ1リーグに昇格している。
チーム名の由来はスペイン語の「リス」(Ardilla)を読みやすくしたもの(Ardija)。ユニフォームはホームがオレンジ。アウェーは白。ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮(大宮公園サッカー場=さいたま市大宮区)。マスコットはアルディ、ミーヤ(リス)。ちなみにリスは旧大宮市のマスコット的存在である。
サッカースタイルや育成システムの礎はオランダサッカーであると明言。歴代監督には元オーストラリア代表監督のピム・ファーベーグ氏や弟のロバート・ファーベーグ氏といったオランダ人監督がいる。ラインを美しく保つ4-4-2システムに定評がある。
チームとしての方針がハッキリしており、またNTTグループの支援があるため資金力に恵まれていると言われているが、2桁順位が続いていて未だに1桁順位の経験が無い(J1昇格以降の6年間で最高順位は2006年、2008年、2010年の12位)。
歴史
前史
- 1969年に埼玉県浦和市を本拠地とする電電関東サッカー部が創部。
- 1985年、民営化により日本電信電話公社がNTTとなったことに伴い、NTT関東サッカー部へと改名。
- 1993年より旧JFLに在籍。
- 1998年、誘致のあった埼玉県大宮市に本拠地を移し、チーム名を「大宮アルディージャ」に改名。12月にはNTTグループが中心になった運営会社「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立。
J2参入からJ1昇格まで
- 1998年7月よりオランダ人のピム・ファーベークが監督に就任。トータルフットボールと組織力を重視したスタイルを目指すようになるも最後の旧JFLでは12位に終わる。
翌年のJリーグ2部制導入に合わせ、旧JFLからのJリーグ新参加8クラブの1クラブとしてJリーグに加盟。
- J2リーグ初年度の1999年はヨルン・ブーレが開幕からゴールを量産し首位争いをするが、5月にブーレが暴漢に襲われて左目を失明し現役引退に追い込まれる痛ましい事件が起きる。その後チームは失速し、6位に終わる。
- 2000年より三浦俊也が監督に就任。この年、浦和レッズがJ2に降格したことで初のさいたまダービーが実現。シーズン4位とまずまずの成績を残したが、上位3チームには1勝11敗と全く歯が立たなかった。2001年には前半戦圧倒的な攻撃力で首位を走るが、バルデス、ジョルジーニョと攻撃の核となる二人が怪我で長期離脱となり大きく失速。5位に終わり、J1昇格を逃す。
- 2002年、2003年は監督交代が相次ぐが、2年連続で6位となる。
- 2004年に三浦俊也が2年ぶりに監督に復帰。序盤は戦力の見極めに時間がかかり出遅れてしまうが、5月にトゥットが加入したことでチーム力を増すようになり、三浦監督が戦力をうまく使いこなすようになったことで打つ手がことごとく当たり、第32節からは年度終了まで13連勝を記録。首位の川崎フロンターレには大きく差を付けられたものの、自動昇格圏の2位を確保し、初のJ1リーグ昇格を決める。
残留力
- J1初年度の2005年はエースのクリスティアンがシーズン途中に移籍したことや負傷者の続出で一時は降格圏にまで転落するほど失速するが、終盤の4連勝で持ち直し、13位でJ1残留を果たす。2006年も12位で残留を果たすと、この年を最後に三浦監督が退任。
- 2007年よりピム元監督の弟であるロバート・ファーベークが監督に就任するが、開幕から低迷し中断期間に解任となる。強化部長である佐久間悟が後任となった後半戦もさほど大きな変化はなかったが、15位で辛うじてJ1残留。
- 2008年は樋口靖洋、2009年は張外龍が監督を務めるが、やはり低迷しながらも残留は成し遂げる。
- 2010年には有望な若手選手であった塚本泰史が難病を患い、さらにフロントの観客動員数の水増しと、試合以外で問題が多発。例によって残留争いを繰り広げたが、選手たちの奮闘で降格を免れた。
- 2011年は有望な若手選手を補強、さいたまシティーカップでは浦和レッズを相手に勝利、開幕戦では鹿島アントラーズと3-3と打ち合いの末に引き分けるなど一部からは台風の目として見られていたが、最終順位は13位、ホームでの勝ち点はJ1最下位という結果に終わった。
- 2012年、17位まで転落し今年こそ降格かと言われたが、5月にズデンコ・ベルデニックが監督に就任したことで風向きが変わる。ベルデニックは4-4-2のコンパクトなブロックをベースとした堅守速攻のスタイルをすぐにチームに浸透させる。さらに夏にスロベニア代表のノヴァコビッチとズラタンを獲得し得点源も確保したことで快進撃を見せる。第24節から最終節までなんと11試合負けなし(5勝6分)を記録し今年も13位でJ1残留を決めた。
- しかし、2013年の大宮は一味違った。前年からの負けなし記録を年が明けても更新し続け、第10節まで無敗で21試合負けなしというJ1新記録を打ち立てた。15節を終えた時点で11勝1敗3分と首位をひた走り、秋に強い(≒残留争いに強い)大宮がこのまま独走するのでは……と思った人も少なくなかったはず。が、ここから8連敗→引き分け1つ→8連敗という大失速。ハードワークを求められる戦術のため夏場が近づくにつれ選手に疲労が蓄積し、次第に選手とベルデニック監督の間に軋轢が生じるようになる。連敗の途中で監督を交代したが成果は上がらず、終わってみれば14位といういつも通りの順位に。「大宮が新たな残留のスタイルを披露した」と一部で揶揄されたりもした。
浦和レッズとの「さいたまダービー」では2013年までに7勝6敗5分(J1リーグ戦での対戦のみ)とダービーマッチでは互角以上の戦いを見せている。順位では2011年シーズンにおいて初めてレッズを上回った(大宮13位、浦和15位)。
上述のように、毎年のように残留争いに巻き込まれながらJ1残留を果たし続けていた。ラインディフェンスという戦術の特徴から、降格ラインも美しく操ると揶揄されることも。2009年1月にはチームが「落ちない!お守り」を発売したところ、受験生が殺到しわずか5日で完売となった(お守りの中身は使われることのなかった2008年の入れ替え戦チケット)。
- しかし2014年、この年監督に就任した大熊清がポゼッションサッカーをやろうとしたことで低調が続き、途中で監督が渋谷洋樹に交代となるが、最終的には清水エスパルスと残留争いを演じることとなり、最終節(第34戦)で勝利するも上位の清水が引き分け、勝ち点1の差で16位に終わり、シーズン10年目にして初のJ2降格が決定。これにより残留伝説にも終止符が打たれた。
再びJ1へ
- J2初年度の2015年は降格に伴う選手の流動せいかリーグ戦は序盤はもたつき、第2節で13位、第5節が10位と2桁順位になっていたが、着々と勝ちを積み重ね、第15節以降首位を維持。特に、FWで起用されるようになった家長昭博が潜在能力を開花させ、文字通りチームの王様として絶大な存在感を発揮。最終節では、大分トリニータ相手に2失点をしながらも逆転した。
これにより1シーズンでのJ1リーグ復帰と初のJ2リーグ優勝を果たした。
- J1復帰初年度の2016年、渋谷監督はこれまでのポゼッション型からアトレティコ・マドリードをモデルとした堅守速攻のチーム作りに着手する。開幕から順調に勝ち点を積み上げ、第13節鳥栖戦でのJ1通算400ゴールを達成を皮切りに家長昭博が日本人選手ではJ1初となる二桁得点、 第28節広島戦で6試合を残してJ1残留を確定や次節の川崎戦も勝利し、クラブJ1過去最高の勝ち点46以上を確定。さらに第31節鹿島戦でカシマサッカースタジアムでの初勝利。これによりシーズンの目標勝ち点48を上回る勝ち点50を達成する等記録的快挙が相次いだ。最終節(FC東京戦)で敗れた為ACLの出場可能性のある4位には届かなかったものの、最終的にJ1では最高成績の5位でシーズンを終えた。
- 2017年はエースの家長が川崎フロンターレに移籍した穴を埋めることができず、昨年と打って変わって開幕から6連敗で最下位となり9節に行われたさいたまダービーでシーズン初勝利する有様だった。フロントもシーズン中に2度の監督交代や選手補強を行うも実らず、33節目でJ2降格が決まり最終的に最下位でシーズンを終えた。
J2での残留力
- 2018年は「J優勝」を掲げて創設20年に臨んだものの開幕戦こそ勝利を収めたものの第9節まで黒星が先行し19位。その持ち直しシーズン前半を9位で折り返す。5位に浮上。J1昇格プレーオフ進出となる。
プレーオフ1回戦では東京Vに引き分け以上で1回戦進出と相手選手の退場による数的優位を活かせずに敗退。J2残留となる。シーズン終了後に石井正忠が監督を退任。
- 2019年は新監督に前長崎監督の高木琢也が就任。長年採用していた4バックから3バックに変更するも、当初は戦術が浸透せずスタートダッシュに失敗する。それでも中盤戦以降は戦力の優位性が出るようになり、気が付けば自動昇格圏まであと一歩となる3位でシーズンを終え、2年連続でプレーオフに進出。
しかしプレーオフでは前年に続いてモンテディオ山形の下剋上を許し、1回戦で敗退。
- 2020年は戦力が大幅に入れ替わったこと、コロナ渦の過密日程によって怪我人が続出したことが響き、大きく低迷。クラブ史上最低順位となる15位でシーズンを終える。
- 2021年は岩瀬健が監督に就任するも、これまで監督歴わずか2か月という経験不足を露呈し、開幕から成績不振に陥り10試合連続未勝利となった第15節で解任となる。
その後、暫定監督としてサッカー日本女子代表を世界一に導き、クラブのトータルアドバイザーを務めていた佐々木則夫が就任。6月からは前レノファ山口FC監督の霜田正浩が監督に就任。チームはJ3降格の危機に直面するほど低迷していたが、最終節で辛うじてJ2残留を果たす。
- 変革を掲げた2022年だったが、前年と同様にチームは守備が崩壊し、開幕から大きく低迷。5月に霜田監督を解任し、相馬直樹監督が後任に就任。相馬は守備の建て直しに着手するもなかなかうまくいかず、またもや残留争いに加わることに。最終節でようやく残留を勝ち取ったが、成績は19位で、3年連続でチームワースト順位を更新することとなった。
おもなタイトル
国内タイトル
個人タイトル
マスコット
マスコットキャラクターが男女揃ったりするとカップルだったり夫婦だったりすることが多い。
ここのアルディとミーヤも例に漏れずカップルという関係にあるが、力関係は圧倒的にミーヤが上。
彼氏(アルディ)がいながら、埼玉県のマスコットであるコバトンをはじめ様々な埼玉県内ご当地キャラとキスを行う。
挙句の果てにはライバルであるレッズのマスコット(レディア)とも何やら親密な関係を築いたりもする。
それでありながら彼氏の浮気?には厳しいのがミーヤ。
Jリーグの特命PR部女子マネージャーとアルディがハグをすればビンタを見舞い、
ファン感謝デーでマスコットショーMCのお姉さんとアルディがハグをすれば公衆の面前で土下座をさせるなどなど。
あまりに奔放すぎるキャラクターから一部サポーターからは魔性の女とも呼ばれる。
関係者
所属選手
OB
- 川島永嗣(2001年-2003年)
- 木谷公亮(2001年-2004年)
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関連項目
- サッカー
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ / J2リーグ
- 浦和レッドダイヤモンズ(さいたまダービーの相手)
- 埼玉県
- さいたま市
- 大宮市
- 残留力
関連リンク