85年、ジャパンカップ。
ある男が言った。
「競馬に絶対はないが、”その馬”には絶対がある。」シンボリルドルフ。
永遠なる皇帝。
シンボリルドルフ(Symboli Rudolf)は1981年生まれの日本の競走馬・種牡馬。日本競馬史上4頭目のクラシック三冠馬であり、また初めて無敗でクラシック三冠を達成した。「皇帝」、または「七冠馬」と称される。1987年顕彰馬に選出された。
主な勝ち鞍
1984年:牡馬クラシック三冠[皐月賞(GI)、東京優駿(GI)、菊花賞(GI)]、有馬記念(GI)、弥生賞(GIII)、セントライト記念(GIII)
1985年:天皇賞(春)(GI)、ジャパンカップ(GI)、有馬記念(GI)、日経賞(GII)
1984年優駿賞最優秀4歳牡馬、年度代表馬
1985年優駿賞最優秀5歳以上牡馬、年度代表馬
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「シンボリルドルフ(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父パーソロンは1971・1976年にリーディングサイアーを獲得し、父子3代天皇賞制覇の偉業を成し遂げたメジロマックイーンの祖父である天皇賞馬メジロアサマ・牡馬クラシック2冠馬サクラスターオーの父である日本ダービー馬サクラショウリ等、数々の名馬を輩出した名種牡馬である。
母スイートルナは現役時代は4戦1勝。半兄に1976年冬の中山大障害を制するなど障害競走で活躍したサクラオンリーがいる。繁殖牝馬としては生涯で5頭の仔しか残せず、その全てがパーソロンとの間の子であった。シンボリルドルフは彼女の4番目の子にあたる。
母の父スピードシンボリは有馬記念2連覇・天皇賞(春)・宝塚記念を制し、海外遠征も積極的に行い、近代競馬の礎を築いた1頭でもある。また、1990年には顕彰馬にも選出されている。
※当記事は、シンボリルドルフが活躍した活躍した時代の表記に合わせて、特に記載がない限り年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。
3歳時:皇帝始動
馬主はシンボリ軍団総帥の和田共弘氏、調教師はデビュー前からシンボリルドルフの素質を見抜き、シンボリルドルフの母父であるスピードシンボリの主戦騎手でもあった「ミスター競馬」こと野平祐二調教師。そして主戦騎手は「名手」岡部幸雄騎手という豪華な布陣で、シンボリルドルフは新潟の芝1000m新馬戦にてデビューした。
この1000mで岡部幸雄騎手は1600mの競馬を覚えさせ、次走の芝1600mいちょう特別では2400mの競馬をし、シンボリルドルフに将来戦うことになる牡馬クラシック戦線を見据えた教育を施している。
3走目は当時の3歳GIである朝日杯3歳ステークスではなく11月27日のオープン競走が使われている。これは馬主の和田共弘氏の「ジャパンカップに来場した海外の競馬関係者にシンボリルドルフという素晴らしいサラブレッドを見せたい」という意向に基づいてのことである。
4歳時:一冠目皐月賞~ビゼンニシキとの対決~
4歳緒戦は弥生賞(GIII)から始動。目下のライバルは前走共同通信杯4歳ステークス(GIII)を含む4戦4勝のビゼンニシキであるが、岡部騎手はビゼンニシキの主戦騎手でもあったため、どちらに騎乗するかを選ぶこととなった。
岡部騎手はビゼンニシキを管理する成宮調教師と縁が深く、馬主も猛烈にプッシュしてきたため、「岡部騎手はビゼンニシキに乗るのではないか」との見方が多かった。・・・が、岡部騎手が選択したのはシンボリルドルフであった。いや、岡部騎手曰く、「選択するとか迷うとかそういう次元じゃなかった。問題なくシンボリルドルフ。」とのこと。ちなみにこの選択?に激怒したビゼンニシキの馬主は二度と岡部騎手に騎乗依頼をすることはなかった。成宮師ともしばらく疎遠になったという。
そして迎えた弥生賞。休み明けに加えて当日の馬体重が+18kgだったからか1番人気はビゼンニシキ。ところが結果は1馬身3/4差でシンボリルドルフの完勝。岡部騎手曰く、「この日はビゼンニシキに格の違いを見せつけるレースをした」とのこと。
続く皐月賞ではビゼンニシキ陣営の乾坤一擲の秘策により一騎打ちとなり、ぶつかり合い斜行してしまったが、最終的には1馬身1/4離して皐月賞制覇。そして表彰式で岡部幸雄騎手が行ったのが、後の武豊騎手とディープインパクトへと繋がる一冠目を示す1本指を掲げるパフォーマンスである。
二冠目日本ダービー~「名手」に競馬を教える~
シンボリルドルフと激戦を繰り広げたビゼンニシキはマイラー血統であり、更には日本ダービーまでの過酷なローテーションから、シンボリルドルフは単勝1.3倍の圧倒的な支持を受けていた。
岡部幸雄騎手はこれまで好位差しの競馬をさせてきたにも関わらず、先頭を行くスズマッハら先行勢に並ぼうと指示を出したが、シンボリルドルフはその指示に全く答えず、第4コーナー過ぎ辺りで自ら進出を開始。先行勢を差し切り、無敗での牡馬クラシック二冠制覇を達成した。ビゼンニシキ?そんな馬いましたっけ?
岡部騎手は表彰式で二冠目を示す2本指を掲げ、「シンボリルドルフに競馬を教えてもらった」と語った。
三冠目菊花賞~史上初。無敗での牡馬クラシック三冠馬~
秋はセントライト記念(GIII)から始動。このレースを4馬身差のコースレコードで圧勝。余談ではあるが、このセントライト記念で2着に入り、皐月賞でも3着の実力を持つオンワードカメルンは菊花賞を回避。この事からもシンボリルドルフの圧倒的な実力が窺い知れる。
ところが、ここで「シンボリルドルフ自身が菊花賞を回避する」という噂が流れたのである。というのも、和田氏は前述の3歳時の逸話の通り、ジャパンカップというレースに相当いれ込んでおり、出来れば大目標であるジャパンカップに万全の状態で出走したいという思いがあった。が、菊花賞に出走するとジャパンカップは中1週となり、さすがに万全の状態での出走は厳しい。この世代、どの馬が最強かはだれがどう見ても明らか。なら、わざわざ取れるのが明らかな三冠など無視して万全の状態でジャパンカップに出走すべきではないか、というのである。
しかし、周囲からの説得や、ファンの強い要望もあり、和田氏も「やはり三冠もとっておこう」と折れたのであった。もしここでシンボリルドルフが菊花賞を回避していたら今の三冠の歴史は大きく変わっていたかもしれない。
そして菊花賞では外から強襲したゴールドウェイを3/4馬身離し勝利。アナウンサー杉本清氏による「大歓声だ京都競馬場!赤い大輪が薄曇りの京都競馬場に大きく咲いた!!」の名実況に彩られて、シンボリルドルフは史上初の無敗での牡馬クラシック三冠制覇を達成。「不敗の三冠馬」の称号を手に入れたのである。そして表彰式では、岡部幸雄騎手による三冠目を示す3本指が掲げられた。
ジャパンカップ・四冠目有馬記念~ミスターシービー・カツラギエースとの対決~
菊花賞への出走により、当初の大目標であったジャパンカップの出否が注目されたが、やはり和田氏にこの大目標を回避するという考えはなく、中1週のローテーションでシンボリルドルフはジャパンカップへ出走。前走の天皇賞(秋)を制した前年度牡馬クラシック三冠馬ミスターシービーとの史上初となる三冠馬同士の対決になった。
ミスターシービーは1番人気。シンボリルドルフは中1週のローテーションに加え、下痢を発症していることから生涯最低の4番人気であった。だがレースを制したのは三冠馬でも外国馬でもなく、逃げを得意とする宝塚記念覇者のカツラギエースだった。シンボリルドルフは英国のベッドタイムも差し切れず3着。こうしてシンボリルドルフの連勝記録は8連勝でストップ。初の敗戦を刻むことになってしまった。
次走の有馬記念では、逃げるカツラギエースを徹底マーク。第3、4コーナーで一気に差を詰め、直線で先頭に立つとそのまま2馬身突き放してゴールイン。カツラギエースにきっちりお返しをしてみせた。
表彰式では岡部幸雄騎手が4本指を掲げ、シンボリルドルフは史上初の4歳4冠を達成。7戦6勝3着1回の成績で最優秀4歳牡馬、そして年度代表馬に選ばれることになった。
5歳時:五冠目天皇賞(春)~三冠馬対決の決着~
シンボリルドルフの5歳緒戦である日経賞(GII)は今でも語り継がれている圧勝レースの1つである。シンボリルドルフ、終始馬なり。岡部幸雄騎手、終始持ったまま。その結果が4馬身差の圧勝である。もはや皇帝に敵はいなかった。
だが、それでも皇帝に立ち向かっていった馬がミスターシービーであった。3度目の対決となる天皇賞(春)では、皇帝に勝利するためにこれまでの戦法を捨てた。向こう正面からマクリ始め先頭に立ち、自身の菊花賞の再現を図ったのである。だがシンボリルドルフはもう一頭の三冠馬の奇襲にも全く動じず、いつもと同じく好位から直線で他馬を差し切り、シンザンと並ぶ五冠制覇を難なく成し遂げた。
勝ち方を極めたい。
この馬を初めて見た時、いずれクラシックを制する馬だと思いました
岡部君にも ルドルフは、ずーっと君が乗らなければいけないよ と言ってきました
1000mの新馬戦で1600mの競馬をさせ、
1600mの いちょう特別 では府中の2000mを意識して乗ってもらいました
もちろん岡部君も合意の上で・・・
デビュー前から常にルドルフは負けない、と言い続けてきたのも
我々はこの馬の並はずれた素質に最初から気づいていたからです
ルドルフは人知を超えた馬
この馬を授かったこと自体が奇跡なんです
五冠を達成、史上最強馬としての名声を得たルドルフ
より見事なレースぶりでみなさんの期待に応えさせたいと思っています
表彰式で岡部幸雄騎手は5本の指を掲げ、ミスターシービーはこの後脚部不安により休養。そして夏に骨膜炎を発症し引退となり、3度あった三冠馬の対決は3度ともシンボリルドルフの先着という結果に終わった。
次走の宝塚記念は直前に左肩跛行を発症し出走取り消し。ここを勝てば凱旋門賞遠征というプランもあったが、それは白紙となり、秋のGI戦線に向けて休養に入った。(ちなみにこの年の凱旋門賞馬はサクラローレルの父レインボウクエスト。ただ繰り上げ優勝なので評価が難しい)
天皇賞(秋)・六冠目ジャパンカップ~世界を見据える強さ~
シンボリルドルフの次の目標は勝利すれば春秋連覇となる天皇賞(秋)だったが、調整の遅れからステップレースを使えず、天皇賞(春)から約半年振りのぶっつけ本番だった。それに加えて府中2000mでは絶対不利の大外枠17番。このシンボリルドルフ打倒の絶好条件にマイルの皇帝ニホンピロウイナーや前走毎日王冠を制したゴールドウェイ、同競走2着の古馬ウインザーノットらが名乗りを上げた。
だがレースはシンボリルドルフが好位から他馬を引き離し、天皇賞春秋連覇かと思われたが、外から1頭の馬が皇帝を強襲。皇帝に対してまさかの差し切り勝ちという快挙を成し遂げたのは、当時準オープン馬のギャロップダイナだった。
今でこそ天皇賞(秋)を制し、翌年には安田記念制覇後に海外遠征も経験し、引退レースの有馬記念ではダイナガリバーの2着に入るという名馬として知られているが、当時のギャロップダイナは33戦7勝で、芝のレースで勝ったのは新馬戦のみ。単勝8820円の数字が示す通り、「あっと驚くギャロップダイナ」であった。(シンボリルドルフを差し切って勝ったのはギャロップダイナだけであり、ビゼンニシキ・ミスターシービー・後述のミホシンザンが遂に成し得なかった事である。)
休み明けの緒戦であったとはいえ、まさかの敗北を喫してしまったシンボリルドルフだったが、次走のジャパンカップでは地方競馬代表のロッキータイガーとの日本所属馬ワンツーフィニッシュとなる六冠制覇。ギャロップダイナは7着に敗れ、カツラギエースと同じくお返しをしてみせた。
表彰式では手綱から手を離し、五冠を掲げる手に指を1本置いて六冠目を指し示した。
七冠目有馬記念~ミホシンザンとの対決~
ジャパンカップを勝利したシンボリルドルフの次の相手は、五冠馬シンザンの最高傑作と言われている1歳下の牡馬クラシック二冠馬ミホシンザンであった。
シンボリルドルフは有馬記念でミホシンザンと対決し、4馬身差の圧勝。アナウンサーである盛山毅氏の名実況「世界のルドルフ、やはり強い!3馬身、4馬身、日本のミホシンザンを離す!」という言葉を背に、シンボリルドルフは海外遠征を行うことになる。母父であるスピードシンボリに次いで史上2頭目となる有馬記念2連覇となり、5戦4勝2着1回の成績で最優秀5歳以上牡馬、そして満票で年度代表馬に選出された(満票での年度代表馬はメイヂヒカリ、テンポイントに次ぐ史上3頭目となる)。
表彰式で岡部幸雄騎手は七冠制覇の指を掲げなかった。この七冠制覇のパフォーマンスは、後年にディープインパクトに騎乗した武豊騎手とオーナーの金子真人氏により成されることになる。
6歳時:海外遠征始動直後の悲運
シンボリルドルフは海外遠征を行うことになったが、馬主の和田共弘氏と野平祐二調教師の間で計画の意見が対立。具体的には、和田氏は春にアメリカへその後、秋にヨーロッパ遠征をするという計画を、一方の野平師は春は休養し秋にヨーロッパに遠征するという考えだった。結局、和田氏がアメリカ遠征を強行し(野平師を始め厩舎関係者は誰もついていかせてもらえなかった)、シンボリルドルフは米国のサンルイレイステークス(GI)に出走。米国特有である芝コースの中を横切るダートコースで左前脚繋靭帯炎を発症。Daharの6着に敗れた。帰国後、再度海外遠征が計画されるも、引退が決定。12月7日に引退式が行われた。
たらればの話になってしまうが、もしシンボリルドルフが無事に凱旋門賞へ行っていたら、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制覇したダンシングブレーヴとの対決になっていた。勝つにしろ負けるにしろ、是非とも実現して欲しかったレースではないだろうか。
次代へ繋がる血脈と歴史、そして大往生
6歳時の遠征は大変残念な結果で終わってしまったが、シンボリルドルフには自身の血を未来へと伝える役目があった。その優れた能力だけでなく、血統的にも貴重な存在だった。ルドルフの父を歴史上で遡っていくと三大始祖の一頭バイアリータークにたどり着く。バイアリータークを祖とするヘロド系は世界でも1%未満の少数派で、細々と受け継がれ続けている系統なのである(現在全世界の種牡馬の約98%は三大始祖の一頭ダーレーアラビアンを祖とするエクリプス系であり残りの1%強がゴドルフィンアラビアンを祖とするマッチェム系である)。そしてその血は帝王・トウカイテイオーへと受け継がれ、無敗の3冠馬の歴史は英雄・ディープインパクトへと受け継がれることになった。
そしてシンボリルドルフは余生を送っていたシンボリ牧場で2011年10月4日に死去。30歳(現表記)の大往生であった。
代表産駒トウカイテイオーの後系統の後継となる種牡馬は遂に現れず、シンボリルドルフのサイアーラインは一時期途絶えてしまっていた。しかし2019年11月からトウカイテイオー産駒のクワイトファインを種牡馬にする運動がクラウドファンディングで行われ、2020年1月8日に目標額に到達、種牡馬入りが決定した。このためクワイトファインは現存する唯一のシンボリルドルフ・トウカイテイオーの後継種牡馬であり、現在日本で残る2頭目のヘロド系種牡馬となった(もう1頭はメジロマックイーンの直系であるギンザグリングラス)。
血統表
*パーソロン Partholon 1960 鹿毛 |
Milesian 1953 鹿毛 |
My Babu | Djebel |
Perfume | |||
Oatflake | Coup de Lyon | ||
Avena | |||
Paleo 1953 鹿毛 |
Pharis | Pharos | |
Carissima | |||
Calonice | Abjer | ||
Coronis | |||
スイートルナ 1972 栗毛 FNo.11-c |
スピードシンボリ 1963 黒鹿毛 |
*ロイヤルチャレンヂャー | Royal Charger |
Skerweather | |||
スイートイン | *ライジングライト | ||
*フィーナー | |||
*ダンスタイム 1957 鹿毛 |
Palestine | Fair Trial | |
Una | |||
Samaritaine | Maravedis | ||
Sarita | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Tourbillon 5×5(6.25%)
- 彼の長兄シンボリフレンドは素質馬として期待され、現役時代はサクラシンゲキを相手に1981年の京王杯スプリングハンデキャップを勝ち取った。しかし気性の悪さが邪魔をしてこの1戦以外に重賞を勝つことは叶わず、最期はオープン戦での骨折競走中止で予後不良と診断されこの世を去っている。
- 彼の姉の1頭スイートコンコルドは、孫のアズサユミが母としてクランエンブレム・クリーバレンの障害重賞馬2頭を輩出。さらにアズサユミの子の1頭でクイーンカップ3着の経験があるラルケットからは、2018年のマイルチャンピオンシップを勝ち取ったステルヴィオが出ている。
- 彼の唯一の妹マチカネアスカは、孫世代から2007年の中山大障害の覇者メルシーエイタイムを送り出している。
主な産駒
- トウカイテイオー (1988年産 牡 母 トウカイナチュラル 母父 *ナイスダンサー)
- アイルトンシンボリ (1989年産 牡 母 *ブルーエスケープ 母父 Nureyev)
- 1992・93年ステイヤーズステークス(GIII)
- キョウワホウセキ (1989年産 牝 母 *シャープステーブル 母父 Sharpen Up)
- ジャムシード (1989年産 牡 母 スイートジェーン 母父 *シルバーシャーク)
- ツルマルツヨシ (1995年産 牡 母 *スイートシエロ 母父 Conquistador Cielo)
ヤマトダマシイ
1990年生まれの産駒に、新馬戦で出遅れたにも関わらず直線で14頭を差し切ったヤマトダマシイという馬がいる。
ビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケットのBNW3強に割って入る存在かとまで言われたが、次走の4歳500万下で故障を発症し無念の予後不良となってしまった。もし彼が無事でGIを1つでも勝っていたら、シンボリルドルフの種牡馬としての評価はさらに上がり、良い繁殖牝馬も回ってきたかもしれない。
ちなみに、ヤマトダマシイの管理調教師はシンボリルドルフの調教助手であった藤沢和雄調教師であり、ヤマトダマシイと同世代のもう一頭の期待馬クエストフォベスト(クラシック前に故障、復帰後は凡馬に)という二頭の期待馬を同時に失ったことが、「馬に無理をさせない」という藤沢厩舎の方針の礎となったといわれている。
関連動画
関連項目
外部リンク
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中央競馬の三冠馬 | ||
クラシック三冠 | 牡馬三冠 | セントライト(1941年) | シンザン(1964年) | ミスターシービー(1983年) | シンボリルドルフ(1984年) | ナリタブライアン(1994年) | ディープインパクト(2005年) | オルフェーヴル(2011年) | コントレイル(2020年) |
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牝馬三冠 | 達成馬無し | |
変則三冠 | クリフジ(1943年) | |
中央競馬牝馬三冠 | メジロラモーヌ(1986年) | スティルインラブ(2003年) | アパパネ(2010年) | ジェンティルドンナ(2012年) | アーモンドアイ(2018年) | デアリングタクト(2020年) |
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古馬三冠 | 春古馬 | 達成馬無し |
秋古馬 | テイエムオペラオー(2000年) | ゼンノロブロイ(2004年) | |
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