- プロ野球選手一覧 > ジェフ・ウィリアムス
ジェフ・ウィリアムス(Jeff Williams、1972年6月6日-)とは、オーストラリア出身の元プロ野球選手(投手)である。現在は阪神タイガースの駐米スカウトを努める。
メジャー時代まで
OB | |
---|---|
ジェフ・ウィリアムス Jeff Williams |
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基本情報 | |
国籍 | オーストラリア |
出身地 | キャンベラ |
生年月日 | 1972年6月6日 |
身長 体重 |
183cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1996年 |
引退 | 2011年 |
経歴 | |
選手歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | オーストラリア |
五輪 | 1996年、2004年 |
プロ野球選手テンプレート |
アトランタ五輪では日本戦でも投げていた。今岡誠と対戦したかは不明。
メジャー時代は初アウトがベニー・アグバヤニ、最後に本塁打を浴びたのがアレックス・オチョアと後々日本球界で活躍する面々ばかりであった。他、イチローの頭部に死球を当てたこともあった。
阪神時代
2003年阪神に入団し、クローザーを務め、リーグ優勝に貢献する。
2004年はアテネ五輪に召集され日本の打者を徹底的に抑え込んだ。
2005年はセットアッパーに転向し、藤川球児、久保田智之と共にJFKを結成し優勝に貢献。また外国人投手最多登板の記録を作る。
2006年は怪我で出遅れるも、前年同様安定した成績を残す。オフにメジャーから誘いがあるも阪神で野球人生を終えたいという本人の意向で残留した。
2007年は9月17日時点で55試合に登板し自責点1、防御率0.15という超人的な成績(最終的には60試合で防御率0.96)で打線・先発共に不安定だったチームを支え、Aクラス入りに貢献した。
2008年から肩痛、膝痛などの症状を訴え、2009年オフに手術をするためチームに迷惑はかけられないと自ら退団を申し入れ退団した。その後は現役復帰を目指しリハビリを続けていたが、2011年2月14日、左肩の故障再発を理由に復帰を断念し、現役引退を発表。その後、阪神の駐米スカウトに就任した。
人物
- 阪神タイガースへの愛着は強く、2006年以降オフにはメジャーからのオファーといってストーブリーグで紙面を飾るのがあるのは当たり前であった。しかしウィリアムスは全てそれを断り阪神で野球人生を終えたいと公言、最終的にはその通り最終所属球団が阪神のまま現役引退した。また、藤川球児ら中継ぎ陣や中西コーチの信頼も厚く「僕らのリーダーはジェフ」と藤川は答えている。自らミサンガを作り中継ぎ陣に配って結束力を高めたこともあった。
- 後年、ウィリアムスとともにプレーした赤星憲広や金本知憲らは、彼を「日本人以上にサムライだった」と評している。
- ケビン・メンチの活躍に本当に太鼓判を押したのかは不明。
プレースタイル
- 左のサイドスローから繰り出される右打者が空振りした後当たってしまうスライダーと、微妙に動く速球を武器としていた。左打者は特に打ちづらく、「背中からボールが来てる」と比喩されるほどであった。
- 本人曰く、日本最強の打者は藤本敦士である。また珍しい左投げ右打ちの選手である。
通算成績
通算:11年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
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MLB:4年 | 37 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | .800 | 57.2 | 41 | 30 | 52 | 48 | 7.49 | 1.84 |
NPB:7年 | 371 | 0 | 0 | 16 | 17 | 47 | 141 | .484 | 371.2 | 122 | 418 | 101 | 91 | 2.20 | 1.10 |
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関連項目
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