アナール痛井(本名:痛井切次(きれじ))とは日本のゲイ能人、アナル評論家である。
概要
1965年岡山県の出身。芸名のアナールはアラビア随一のホモにしてウマル(ムスリム学者)・社会学者のアブー・アル=アッナールの影響下岡山の県北に設立されたミッションゲイスクール、アブー=アル=アッナール高等学校に由来している。高校卒業後ホモの聖地とされる律京大学を目指すも不合格。挿施田大学文学部に入学しホモビの台本に大学生ながら携わるなど活躍を見せた。
在学中に友人とゲイ能界入りを目指しコントデカ枕を結成するも学業不振で単位が取れず除籍処分となる。なお本人によれば、在学中に取った単位の一つに「イキ声経済論」なる科目があり、これが後にアナル評論家としてのキャリアに役立ったそうである。
売れ始めの知名度が高くない頃は出身校のアッナール高校から「勝手に学校名を源氏名に使うな」等の抗議が多発したが、ブラハモリなどテレビ番組のレギュラーや下北沢ラジオォン!放送のMCなど、ゲイ能人としての知名度が高まるにつれ宣伝として受け入れるようになった。
アナール痛井にとっての転換点とされるのが「こちらケツ近く亀有肛門前露出所」、通称ポジ亀の主人公、ホモ津ポジ吉役である。当時ゲイ能人が声優としてアニメに出演することが増えてきた頃であり、少なからず不満もあったが迫真の喘ぎ声とアナルの役作りから次第に評判も良くなっていった。
また近年では高学歴ゲイ人としても活躍し、総理のチンポ開示を求めるデモを行うなど政治にも関心を示している。
アナル評論家としての痛井
アナル評論家としては左曲がりチンポの方が気持ちいい、という立場であり、これはポジ亀時代の悲しいエピソードが関係していると言われている[要出典]。
ポジ亀時代のサイン会に偉い人が来た際、わざわざケツマンをおっぴろげ、友好の意を示そうとした痛井に見向きもせず当の偉い人はイってしまった(これに関し痛井は「右曲がりチンポ気持ちいい派だったのだろう、挿入れて気持ちいい素振りをすればいくらでも良い評判をばら撒くのに試さなかったのは残念だ」と述べている)。そのためか、「右曲がりチンポ派と左曲がり派は同時に気持ちよくはなれない、悲しいすれ違いを避けるため、今からでもオナニーする時の手は法律で定めるか、行政がケツとチンポの形、感度等を管理すべき」と語っており、チンポ解放運動にも精を出している。
関連動画
関連項目
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