概要
本名はカイド・ホーヴェルソン。大相撲初のエストニア出身の力士である。正式な四股名は「把瑠都凱斗」(ばると かいと)であるが、これは本名の「カイド」と、故郷であるエストニアに面している海洋「バルト海」を由来としている。入門したときは三保ヶ関部屋に所属していたが、現在は尾上部屋に所属している。身長198cmという大きな体を活かした豪快な取り組みを得意としている。
初土俵は2004年5月場所であるが、そこからわずが12場所しか経ていない2006年の3月場所に新入幕を決める。これは、大相撲史上2位タイというスピード出世である。この場所は北の富士以来43年ぶりの十両全勝優勝という快挙を達成した。その後、怪我に悩まされたりもしたが、2008年11月場所には関脇昇進、2010年春場所には大関に昇進した。ヨーロッパ出身の大関は琴欧洲(ブルガリア出身)に続いて2人目。大関昇進後は終盤に星を落とすことが多く10勝前後の場所が続いていたが、2012年初場所は初日から14連勝、全勝は逃すも幕内での初優勝となった。翌場所は綱取りとなったが終盤星を落とし10勝止まり。
秋場所では足の指を骨折して途中休場。初のカド番となった九州場所では2日目に左足をケガしてしまいまたも途中休場、大関陥落となってしまった。大関復帰を懸けた2013年初場所も故障が癒えず8勝止まり。夏場所は再度膝を痛め途中休場、4年振りの平幕陥落となった名古屋場所も全休し、秋場所の番付では十両にまで下がっていた。
そして2013年秋場所が始まる4日前の9月11日、日本相撲協会に引退届を提出した。
「エストニアの怪物」と証され、欧州出身初の横綱なるかと大いに期待された有望株であったが、相撲からは粗さが抜けず怪我にも泣かされ、未完の大器のまま土俵を去ることになった。
引退後
引退から2年が経過した2015年10月21日、年末に開催予定の格闘技イベント「RIZIN」にて総合格闘家としてデビューすることが発表された。
12月31日に行われたRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 IZA(いざ)の舞にて、ピーター・アーツとのデビュー戦を行い、デビュー初戦を白星(判定勝ち)で飾った(当初はジェロム・レ・バンナと対戦が予定されていたが直前にキャンセルとなり、オファーを受けアーツが受諾した)
技術面の不安や巨体ゆえのスタミナ面など課題は多いが、巨体に似合わぬ俊敏な面も見せており、多くの力士を吊り上げ、投げ飛ばしてきた角界でも随一と言われた怪力を武器に、今後の活躍が注目されるところである。
政界へ
2018年に故郷エストニアの国会議員を目指すと宣言して帰国し、2019年3月に行われた国政総選挙で初当選を果たした。
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