澤﨑俊和単語

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澤﨑俊和(さわざき としかず)とは、元プロ野球選手である。

概要

1974年9月21日生まれ。千葉県千葉市出身。小学2年時から本格的に野球を始める。

志学館高等学校に進学。2年時からエースとして活躍したが、甲子園大会に出場することはかった。プロからも誘いがあったが、大学進学を決めた。

卒業後、青山学院大学に進学。同期には井口忠仁倉野信次清水将海らがいた。4年時にはリーグ戦でMVPと最優秀投手に選ばれ、全日アマチュア野球王座決定戦は社会人野球の住友金属を下し、日大学野球日本代表にも選出されるなど、充実のシーズンを過ごした。在学4年間で最優秀投手2回、ベストナイン2回受賞。

1996年ドラフト会議にて、広島東洋カープを逆名し1位名で入団。アマチュアNo.1投手という看板を引っさげての入団であった。同期入団には黒田博樹がいた。

即戦として期待された1997年、開幕から先発ローテーション入りを果たし、時にはリリーフ登板するなど獅子奮の活躍を見せ、オールスターゲームにも初出場を果たしている。38試合の登板で12勝8敗、防御率3.74と好成績を残し、新人王に選ばれた。

1998年、17試合登板先発登板は1試合のみ、勝利数も1勝に終わるなど、スランプに陥った。

1999年、前年抑え投手を任されていた小林幹英が不調に陥ったことから抑えを任され、1勝2敗14セーブチーム最多のセーブ数を記録したが、防御率は6.38と今ひとつな成績に終わる。

2000年先発投手に戻り4勝を挙げたが、右肘を故障。翌2001年に再び肘を故障し、一軍登板なし。

2003年中継ぎ投手として復活し、40試合に登板して4勝1敗1セーブ防御率4.34を記録

2004年中継ぎとして38試合に登板したが、防御率6.70に終わる。

2005年、再び故障。シーズン終了後自由契約を言い渡され、そのまま現役を引退

引退後、広島に残り、投手コーチとして2021年まで活動。

2022年には滋賀GOブラックス投手コーチを務めた。

2023年にはYKSホワイトキングスの監督を務めた。

現在解説者として活動している。

人物・エピソード

抜群の制球とキレのあるスライダー武器に活躍した右腕。

練習熱心な性格であったが、それ故に酷使やオーバーワークになることも多かったようである。

立ちが整っており、現役時代は女性人気も高かった。

通算成績

投手成績

通算:8年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 180 2 1 24 17 15 0 .585 360.0 149 243 198 188 4.70

獲得タイトル・表彰

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